6 ハンター試験
レファーンと一緒にギルド本部に行くと、今度は行列に並ぶことなく建物の奥へと案内された。
レファーンから、ギルドハンターになるには試験を突破する必要があると聞いている。圧倒的に絶対数の少ない魔道士の場合、試験は形式的なもので、ほとんど落ちる心配もないということも。
(……と言っても、ハンター試験って、実戦だって言ってたけど)
大いに不安だ。実戦なんて出来るのだろうか。人面樹を見てしばらく腰を抜かしていたこの私に。
でも、試験に受からないとハンターになれない。つまり、支度金がもらえない! 私には先立つものがどうしても必要なのだ。今着ている服を洗濯するためにも、せめてもう一枚服が欲しいし、毎晩お風呂に浸かりに行くためにも、それなりにまとまった額の小銭がいる。
「……小さい野望だな」
レファーンが呆れたように呟いた。
うるさい、そこ。何が小さいものか。衣食住を満たすということは、私にとって何にも優先すべき最重要項目なのだ。昔の偉い人だって言っているじゃないか。人、衣食満ちて礼節を知る、って!
「そんな話は知らん」
試験官に連れられるまま、細い石畳の通路を歩いた先には、小さな木の扉があった。その小さな扉の向こうには、深くて底が見えないほどの、長い下りの階段が続いている。壁の両側にランプが掛かっているので、物を見るのに不自由はないけれど、随分と物々しい雰囲気だ。
「これ、どこに続いているの?」
「行けばわかる」
答えになっていない答えをありがとう。ふん。
現代人の知識しか持たない私では、行っても結局わからないのではと思ったけれど、それは杞憂に終わった。
階段の先は、私でも知っている場所だった。いや、実物を見たのは初めてだけど、テレビで、ネットで、それこそゲームで、ほとんどの日本人なら知っているであろう場所だった。
(闘技場……!)
地面を掘り下げて、すり鉢状にした一番下に、広く平らな土の舞台。それをぐるりと隙間なく囲む、頑丈そうな鉄柵。戦いの様子全体を見渡せるように、観客席が高い位置に設けられている。
驚くべきは、この設備が地下に存在しているということだ。しかもギルドの真下に。
どういう建築技術なのだろう、この世界。現代だって、これを築くのは相当大変なような気がするのだけど。ダンプもショベルカーも無いわけだから、人力で掘ったのだろうか……凄すぎる。
いやに明るいなと思い、天井を振り仰ぐと、そこには白い光の玉が幾つも浮いていた。
(便利だな、あれ)
夜を昼のように明るく照らすその玉は、明らかに化学ではなく魔法の力によるものだ。
「ここが試験会場です。今は使われなくなった闘技場ですが……ここで魔物と戦っていただきます。まぁ、そんなに強い魔物は出しませんけどね」
試験官の男の人が言い、私は固い表情で頷いた。
彼は強い魔物は出さないと言ったけど、油断は禁物だ。あの人面樹を雑魚と言い放ったレファーンの例もある。彼らにとっては強敵ではなくとも、私には十分すぎるほどの脅威という可能性だって、大いにあり得る。
中央の舞台に降りる前、レファーンが私に耳打ちした。
「ユウ。出てくる魔物はグリーユという虫の魔物だ。動きも遅いし、火がよく効く。人面樹にぶっ放したのと同じ魔法を使え。一発で消し炭になる。今度は失敗せずに出来るな?」
「……わかった」
今度は腕を焼かないようにしなければ。
大した火傷じゃなかったから、レファーンが魔法で癒してくれたけど、あんな痛くて怖い思いはもう懲り懲りだ。
私が舞台の中に、レファーンと試験監督の男の人が、柵の向こうに立った。
試験官の指示で、私は舞台の端まで移動した。魔物と対峙する時、なるべく距離を置けるようにとの彼の配慮だろう。
柵越しに、彼は小さな緑色の玉を転がした。男の人の掌なら、すっぽりと包みこめるくらいの大きさの、一見するとビー玉のような球だった。
何だろうと思っていると、玉に急に亀裂が走った。白い煙がもくもくと立ち昇る。白い煙は視界を覆い尽くすほどの量だったけど、突然の強い風に、一瞬で吹き飛ばされた。
煙だけではなく、あれほど距離を置いていたにも関わらず、私まで吹き飛ばされそうになった。バランスを崩し片膝を地面に付いた時、切羽詰まったような声が耳に飛び込んできた。
「逃げて下さいっ!」
試験官の男の人が、真っ蒼な顔で叫んでいる。
明らかに様子が変だ。
私はグリーユという虫の魔物を見上げた。……虫?
(……違う)
虫じゃなかった。目の前にいるのは。それは鷲の頭を持ち、翼を持ち、胴から下は獅子の体を持っていた。象を上回るほどの巨体で、象などよりも遥かに凶悪な気配を滲ませていた。
「グリフォンです! すみません。グリまで同じだったので、間違えたみたいです!」
ちょ、試験官。待ってよ。そんな間違え方ってある!?
どう考えても初心者が相手に出来る魔物じゃないでしょ、これ!
『エゼル・ガウティア・イネストゥーノ!』
慌てふためく試験官とは対照的に、レファーンの判断は早かった。身体能力だけでその高い柵を飛び越え、グリフォンを挟んで私の対角線上に立つ。
素早く呪文を唱えると、地面にほとんど平行に、まるで雷のような青白い閃光が駆け抜けた。光は残像を煌めかせながら翼の付け根を貫き、ちょうど飛び上がろうとしていた魔物を、容赦なく地面に叩き落とした。
ぐうぅぅぅ!!!
魔物が唸った。怒り狂っているのが、手に取るようにわかる。
憎悪に満ちた眼差しを、レファーンに向けた。私の存在なんか忘れたように。
(そうか)
私がグリフォンの攻撃目標にならないように、注意を引いてくれたんだ。
「レファーン! 危な……!」
グリフォンが突進した。やっぱりこいつ、相当に素早い! 羽が使えなくても、その強靭な四肢で風のように走ることが出来る。
一瞬でレファーンに肉薄すると、鋭いかぎ爪を振り上げた。鎧も楯も持っていない生身の人間があんなもの受けたら……!
だけど、グリフォンの爪はレファーンには届かなかった。彼を引き裂くと思われたその瞬間に、突然現れた目に見えない盾に、無様に弾き飛ばされた。
盾は身を守るだけではなく、カウンターの力も持っているようだった。青白い火花が散り、高圧電線が切れた時にも似た、ばちばちという音が響く。グリフォンの腕は黒く焼け焦げ、一気に炭化した衝撃でぼろぼろと崩れ落ちた。
感心しきったように、試験官が呟く。
「雷の盾の魔法……久々に見ましたが、相変わらず見事ですねぇ」
「雷の……盾?」
「襲って来たものを防ぐと同時に、強力な雷撃を見舞う、攻防一体の上級魔法ですよ」
レファーンが強い事は知っていた。
あの人面樹をあっさりと片付けたのだから。
でも、正直、ここまでとは思わなかった。グリフォンですら、全くと言っていいほど歯が立たない。
その気になれば、この人は一瞬で魔物を灰にも出来たのではないだろうか。そうしなかったのは、万が一にも私と試験監督が巻き込まれないように、配慮しただけであって……。
「お前がとどめを刺せ」
倒れて横たわるグリフォンを一瞥し、レファーンが言った。
魔物が窮鼠猫を噛まないように、用意周到に、魔法でその巨体を拘束しながら。
「とどめ……」
私は、ごくりと、喉を鳴らす。
人面樹を別にすれば、私は生き物を殺すのは初めてだった。もちろん、何かの拍子に蟻を踏んだり、殺虫剤で蠅を吹き飛ばしたりするくらいのことは、あったけど。
鷲の頭と獅子の体を持つ魔物は、何だか、元の世界の生き物にも通じるものがあって、命を奪うことに躊躇いを感じてしまう。
試験なのに、そこまでしなければならないのだろうか。もう勝負はついている。私は何もしていないから、再試が待っているだろうけど。
「躊躇うな。躊躇ったら……実戦では自分が死ぬだけだ」
レファーンは、私の中にある、いかにも現代人っぽい感傷までも、見抜いていたのだろうか。
試験は、魔法の実力を試すものなどではなく、覚悟の強さを見抜くためのものだったのかもしれない。中途半端なままでは、いずれ間違いなく死ぬぞ、と。
(ごめん)
心の中で、私はグリフォンに謝った。
(ごめんね。でも、私、生きたいんだ……。ここの世界で、生き抜きたいの)
『エゼル・ガウティア・イネストゥーノ』
さっき、レファーンが唱えた呪文。真っ直ぐに駆け抜ける雷光の魔法。
鋭い光の剣は、今度こそ、翼の付け根などではなく、魔物の体の中央を貫いた。
断末魔の悲鳴を聞きながら、私は、これがこの世界で生きて行くための掟なのだと、自分に言い聞かせていた。
私は、人としても、魔道士としても、未熟すぎて、すぐに割り切ることなんて、出来そうにもないけれど……。