21 象徴と囚人と
大神官さんに連れられて、私は、そのまま彼の私室へと通された。
間もなくお茶とお菓子が運ばれてきた。ワゴンを押して現れた人には見覚えがある。
エンテさんだ。今の私と同じような衣装を身に付けている。彼女も巫女なんだ。でも、よくよく見れば、袖や帯に金糸の複雑な刺繍が施されていた。上級巫女だ。だから、大神官の側に仕えていられるのだろう。
「では、私は失礼いたします」
エンテさんが去った後、私は、出されたケーキを遠慮なく頂いた。
口の中が一気に甘くなったので、美味しい紅茶もやっぱり遠慮なく飲み干した。
むぐむぐとよく動く私の口を、大神官さんが感心したように眺めている。
「いい食べっぷりだなぁ」
「美味しいよ、これ。大神官さん、食べないの?」
「いや、俺、甘いものはあんまり……」
「じゃあ、私が食べてあげよっか」
「いきなり二人分いくか……」
だって、残すなんて勿体ない。地球……いや地球じゃなかった、こちらの世界の平和のために、私が残飯を減らしてあげよう。決して根がイヤシイわけではない。
ぱくぱくぱく……。
「……で、大神官さん、名前なんていうの?」
と、食べながら、私は聞いた。
生クリームを唇の端に乗せたまま、まさかそんな重要なことを聞かれるなんて大神官さんは夢にも思っていなかったらしく、はい? と目を丸くした。
うーん。眼鏡かけていないけど、似合うだろうなぁ、この人。
頭が良さそうというか、理知的な雰囲気の顔なんだ。日本人にしては背も高い。百八十センチは下らないだろう。
日本にいた頃は、さぞやもてていたに違いない。向こうの世界は貴重なイケメンを一人逃してしまったわけだ。ああ勿体ない。
「あ、私ね。高坂優っていうんだ。高い坂に、優しいでユウ。高一だよ。ずっと陸上のハードルやっててね。こっちではギデオンのハンターに拾われて、私も一緒にハンターやってるんだ」
「俺は……司」
私の軽いノリに流されるように、大神官さんも、ぽろっとその名前を口にする。一度言ってしまうと、気が楽になったのか、詳しく説明してくれた。
「藤枝司。藤に枝。司は……そのまま司会の司。こっちに来たのは中三の終わりだった。高校……行きたかったなぁ、俺も。俺はずっと剣道やってた」
もう八年も経ってしまった、と、ツカサは呟いた。
高校どころか大学も卒業して、新社会人として働いていてもいい年だと。
「ツカサは……帰りたい?」
「ユウは?」
逆に聞き返された。
「私は帰りたいよ。ううん、絶対に帰ってみせる。だから、今、色々手がかりを探しているんだ」
「俺は……」
ここから解放される手段が、現代への帰還だけならば、帰りたい、とツカサは言った。
裏を返せば、他に方法があるのなら、帰れなくても構わない、ということ。
それが普通の反応かもしれないな、と、私は思った。
八年は長い。簡単には捨てられないしがらみが出来るには、十分な長さだ。ましてツカサには、身を張って彼の命を守ってくれる、素敵な女性までいるのだから。
(エンテさん、きっと、ツカサが好きなんだろうなぁ……。ツカサだって。ああもう、両想いなのにじれったい。エンテさん連れて逃げればいいのに)
何となく浮かんだそれは、我ながら名案に思えた。
一人で逃げたらエンテさんが殺されてしまうなら、二人で逃げればいいんだ。魔力無限大のツカサが本気になったら、それを追える魔道士なんて滅多にいない。見つけたところでサックリ返り討ちにあって終わりだろう。
(うーん。でも、二人が駆け落ち、愛の逃避行できるくらい好き合っているかなんて、さすがにわかんないし)
いきなり初対面で振る話題でもない。うっかり口にしたら、穏やかなツカサでもさすがに鼻白むだろう。
私は、別のことを聞いてみることにした。
「今、レファーンっていうハンターの人と一緒にこの街に居るのだけど……レファーンも神殿の中に入れるようにって、出来ないかな? ツカサに紹介したいし」
いいよ、と、大神官の権限であっさり了承してもらえるかと思ったら、ツカサは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん。俺には何かを決める権限は無いんだ。そういうのは神官長の仕事で……。神官長に話は伝えておくけど、余所者が神殿に入るのを極端に嫌っているから、たぶん、そのレファーンって人を入れるのは無理だと思う」
「権限は無いって……」
私はぽかんと口を開けた。
だって、大神官だよ、ツカサは。全聖職者の頂点に立つ人だって聞いたよ。それが、何かを決めることは出来ないって……どういうこと?
じゃあ、何のために居るの?
何のために、そんなに我慢しているの?
「象徴なんだ。大神官は。権力は無いんだ」
「象徴って……」
名前すら取り上げられて、希望の一つも叶えることを許されず、象徴?
違う。そんなのは象徴じゃない。
そんなのは、囚人っていうんだ。
「ツカサ……それでいいの?」
「え?」
「おかしいよ。一番偉いのはツカサでしょ。なんでその神官長ってのに好き勝手やらせるの」
「いや、それは……」
「ツカサ、命令しちゃいなよ。俺の方が偉いんだって。神官長が何か言ってきても、ほっときなよ。大地の子であるこの俺に逆らうのか! って」
この大神殿を魔力で包んで、守っているのは、ツカサ。
街に出て、癒しの奇跡を見せて、人々の心を掴んでいるのも、ツカサ。
権力は、それに相応しい働きをしている人のものであると、私は思う。
ツカサがいなければ何も出来ない神官長なんて……いらない。
「そんな単純な話じゃないんだ、ユウ。この国は、王と聖職者の二つの勢力がある。二つの勢力が、微妙な均衡を保って成り立っている国なんだ。俺が神官長に逆らって、聖職者側の力が弱くなったら、その均衡が崩れてしまう。下手をしたら内乱だ。たくさんの人が傷ついて……」
「内乱なんて、そんな簡単に起きないよ」
「え……」
「だって、レファーンが言っていたもの。今のフォルトリガの女王様は、とても賢明な人だって。そんな賢明な人が、自分の国を簡単に戦場にするはずがない。……誰が言ったの、ツカサ。ツカサが神官長に逆らったら、内乱になるなんて」
「それ、は」
「神官長本人が言ったんじゃないの。それか、神官長の手先の奴か」
ツカサが、今まで身動きが取れなかった理由が、少しずつ見えてきた。
エンテさんの殉死の件もその一つ。でも、それだけでは……ない。
「ツカサ。ツカサが何を言ってもやっても、ツカサが恐れているような事態にはならないよ。私が言ったんじゃ信じられないかもしれないけどね。レファーンが言っていたんだから、間違いない。今の女王様は……絶対に、つまらない内乱なんか起こす人じゃないって」
誰かが扉を叩いた。
エンテさんが、空いたお皿とカップを下げに来てくれた。
ああ……つい話しこんじゃった。
しかも、お国の勢力争いとか、つまんない話。
ツカサも、ペラペラ喋る私に付き合ってくれて、きっと疲れてしまったのだろう。急に妙に無口になって、先程から何やら深刻な顔つきで考え込んでいる。
そろそろ退出の頃合いかもしれない。
「ツカサ。今日は楽しかったよ。ツカサに会えて本当に良かった」
ドアノブに手をかけた時、後ろから、ツカサに呼び止められた。
「ユウ! 明日も……明日も来てくれ。それに、君の言っていたレファーンという人にも会ってみたい」
私もツカサにレファーンを会わせたい。
何ていうか……ツカサには、周りに相談できる人がいない。正確な知識を与えてくれて、公平な情報を示してくれて、その上で、自分自身の力で考えさせてくれるような……そんな人物が、司にこそ必要だと思う。
「レファーンが神殿の中に入れたら、ここで三人で好きなだけ話せるんだけどねぇ」
「その件については……俺が何とかするよ」
ん?
なんか、さっきと言っている事が違うような。
「ユウが言ったんだろ。大神官なんだから、命令すればいいって」
「うん。確かに言ったけど。……無理しなくていいよ」
「おい……」
だって、ツカサは優しすぎるから。
人に偉そうに指図することすら、苦痛に感じてしまうかもしれない。
レファーンやクラウス王子とは、根本的にそこが違う。彼らは、必要とあれば、命令も強制も厭わないだろう……。
二人とも、従わせることに慣れた者のみが持つ、独特の風格を漂わせている。
「また明日ね。ツカサ」