20 カガリの御子
星祭りの開催期間である三日間、それまでの待機期間である十日間、計十三日間を、ハンターは、大神殿の中で過ごすことを許される。
宛がわれたのは個室だった。市井のみすぼらしい宿とは比べ物にならないくらい、立派な造りの部屋だった。
私は十三日間遠慮なくここに住むことにした。真っ先に頭に浮かんだのは、レファーンのことだ。
私がここに泊まれば、彼はベッドで眠れる。いくら体力のあるレファーンでも、十三日間もあんな石の床で過ごしたら、さすがに疲労困憊になってしまうだろう。
(よし! 私の方は心おきなく捜索開始!)
お目当ての大神官に会うために残された時間は、十三日。
何処の出身ですか、とか、もし同郷の人なら、帰る手段に心当たりありますか、とか、聞きたい事は山ほどある。でも、まず真っ先に言おうと思っている言葉は、もう決まっていた。
(名前、何ていうんですか?)
尊い真名だから口にしたら駄目なんて、アホらしい。
両親からもらった名前だ。私だったら大切にしたい。誰かにちゃんと呼んで欲しい。
私と同郷の人なら……きっと、そう思うはず。
焦っている時、時間の経過は早く感じる。
あっという間に、三日間が過ぎ去った。大神官にはまだ会えない。
第一、この建物が広すぎる。何百年もかけて、今も少しずつ増改築を繰り返しているとかで、歴代の建築家すら正確な図面を引けないほどに、造りが複雑怪奇なのだ。
ドアを開けたらすぐ階段とか、庭の途中に細い通路が突き出しているとか、明らかにおかしいだろう、この神殿! 延々と歩き続けた通路の先がただの行き止まりって、もはやケンカ売っているとしか思えない。
(……ってか、もうちょっと住む人に優しい家を目指そうよ! 何度歩き回っても迷子になるって、どういうこと!?)
ああもう。進退窮まれりとは、この事だ。
帰る道もわからない。どうしよう……。
ふと見ると、通路の先が明るい。もしかして外? とにかく建物の中から一旦出てみた方が良いかもしれない。
私は走った。巫女服を着たらお淑やかに! と、巫女長さんが叫んでいたのを思い出す。でも、今は大目に見て欲しい。
淑やかに歩いていたら、日が暮れても部屋に戻れそうにないのだから。
(このままじゃ晩御飯食べ損ねちゃうよ!)
通路の先は、中庭を囲む巡り廊下になっていた。だから明るかったんだ。外じゃないのは残念だけど、緑が見えて、少しほっとした。
通路から巡り廊下に出ようとして……。
どしん、と、勢いよく人にぶつかった。
走っていたのは私なのに、相手が大柄だったので、吹っ飛んだのは私の方だった。尻餅をついて床に座り込む形になり、まずは靴が、そして足が、見えた。
法衣を着ていない。神殿を守る聖騎士の白ブーツも履いていない。……あれ?
顔を見上げて、私は凍りついた。
銀の髪に、薄い青い瞳。ギデオンの影響を受けない聖域国の王子殿下が、そこにいた。
(な、な、な、なんで!? なんでここにいるワケ!? まさかお祭り見に来たとか!? そんな暇でいいの!? だって王子でしょ!? 自分の国でちゃんと仕事しなよ!)
そりゃあもう、一瞬のうちに悪態を付きまくりましたとも。
慌てて目を逸らして、下を向きながら。
(私はただの迷子の巫女さんです。気付かないで、お願い! 早くどっか行ってっ!)
「大丈夫か?」
彼が座り込む私に手を差し出す。私は、恐れ多くて平伏す一般人を装って、ひたすら下を向きながら、はい、と呟いた。
「も、申し訳ございません。急いでおりましたもので……」
「あまり急ぐと却って危ないぞ。怪我はないか?」
「はい、大丈夫です」
いや、そんな紳士的に一巫女の身体、心配してくれなくていいから。
気をつけろ! とでも怒鳴って、むしろさっさと通り過ぎてくれた方がありがたいというか……。
「……似合うじゃないか、なかなか」
急に口調が変わった。
ぎゅ、と、心臓が縮み上がるような感覚。
「……っあ」
強い力で、ぐいと引っ張り上げられる。顎を掴まれ、顔を持ち上げられた。すぐ目の前に、異国の王子の端正な貌がある。
「やはり娘だったか」
王子が言った。心なしか、嬉しそうに。
私は思った。最悪の人に知られてしまったと。
「女顔って言ったら許さないって、言いませんでしたっけ?」
女じゃなくて女装しているだけ! と、こうなったらトコトン言い張ることにした。そんな甘っちょろい言い訳が通じるような相手でないことは、重々承知の上だけど、私としては、一度喰らった毒は皿まできれいに平らげるしかない。
「まだ言い張るか」
「い、言い張るとかじゃなくて……」
突然、王子が私の前に屈みこんだ。えっ? と思っている間に、足が浮き、視界がぐんと高くなった。重力に引かれるように、上体ががくんと折れ、お腹が下から圧迫された。
「う、うそ」
米俵みたいに、私は王子に担がれていた。
あまりに不安定なその体勢に、羞恥よりもむしろ恐怖の方が湧き上がる。落ちまいとする意識が働いて、私は反射的に王子の背中の服を掴んでいた。
「ちょっ……な、何すんの!」
「あくまで男と言い張るなら、確かめてみるまでだ」
「……は?」
確かめる? 何を? どうやって?
「幸い、空き部屋は山ほどある。……時間もな」
がん、と、頭を殴られたような衝撃だった。王子が何をしようしているのか、遅まきながら、ようやく気付いた。
「や……やだっ! 離せ! 触るなぁっ!!」
「暴れるな。落ちるぞ」
「落ちて死んだ方がましっ! この変態! 離せえぇっ!!」
「やれやれ。相変わらず元気がいいな……」
「やだやだやだっ! あんたなんか大っ嫌いっ!」
足をばたつかせたけど、そもそも太腿のあたりを抑え込まれているので、大して動かせない。
ならばと握り拳を作って背中を叩いてみたけれど、鉄を相手にしているようで、終いには私の手の方が痛くなった。
(そうだ! 魔法! 私、魔道士だったっ!)
覚えたての眠りの魔法を使ってみる。昏倒とまではいかなくとも、睡魔に襲われ体や頭の動きは鈍るはず……。
と、期待したのに、どういう訳か何も起きない。
王子が愉快そうに笑った。
「大神殿の中で魔法が使えるわけがないだろう。この空間は、大地の子である大神官の魔力によって、封じられているのだからな」
そんなの知るかー!
王子の足が止まった。いかがわしい事をするのにちょうどよい部屋を見つけたのかと、私はヴェーラの花なみに青褪めたけど、そうではなかった。
「これはこれは……」
何処となく皮肉っぽい王子の声が聞こえる。
「珍しいな。貴方が部屋から出てくるとは。……大神官殿」
王子に担がれているので、私から見えるのは王子の背中の一部と床だけだ。あれほど探していた大神官に対しては、お尻を向けているという、まさに最悪の状況。
(いるの? そこにいるの!?)
ああもう! この馬鹿王子! いい加減離せー!
「……嫌がっているようにしか見えませんが」
カガリの御子が言った。夢の中と同じ、静かな声で。
「二、三時間後には、嫌がらなくなるさ」
王子が答えた。な、何てことを! このっ!
「……同意の上ならば、俺から言うべき事はありませんね」
「ああ、邪魔しないでくれ」
王子が立ち去ろうとする。
私は叫んだ。助けて! ではなく、全く別のことを。
「貴方に会いに来たの、カガリの御子っ!」
王子が、大神官の前を通り過ぎる。
立ち位置が変わった事で、私は、はっきりと、幻ではない生身の大神官の顔を見ることが出来た。
「……日本の人、だよね?」
カガリの御子が、大きく目を見開く。
「……君は」
「私、日本から来たの。高校生だった。こっちで、貴方を探していた。どうしても会いたくて……」
この世界で、たった三人の、同胞。
「貴方の名前を聞きに来たんだよ」
「クラウス王子!」
大神官が、王子の前に回り込む。
「その者を離してやって下さい。俺に……俺に縁のある人間かもしれないんです。俺と、同じ……」
「なに?」
「お願いしますっ!」
クラウス王子の手が緩んだ。大神官さん、何をしたのだろう? 王子がひどく驚いている気配が伝わってくる。
私がもがくと、今度はあっさり体が肩から外れて、落ちた。いや、落ちそうになった私をクラウス王子が素早く支え、そのまま床に降ろしてくれた。
大神官、と呼ばれる、国で一番偉いはずの聖職者が、深々と、王子に頭を下げている。
お辞儀、という、こちらの世界には無い文化。いきなりがばっと頭を下げられたから、王子は、一体何事かと面食らったんだ。
「……毒気を抜かれた」
勝手にしろと呟いて、王子は去った。
根っから悪い人ではないのかも知れないな……と、少し、王子を見直した。