12 青い花2
ギデオンの北の森は、人が管理している森だ。
増えすぎた樹木は伐採し、足りない箇所には植林し、伸びた下草を定期的に刈り取って、小さな子供でも歩きやすいように常に配慮されている。
林道を外れなければ、気分はすっかりピクニックだった。実際、切り株の上に腰かけて、弁当をつついている家族連れもいた。
(さすがに、こんなに人通りの多い所には、生えていないよね)
少し脇道にそれた方が良さそうだ。奥に行きすぎると、森に慣れていない私は迷子になる可能性が高いけど、道から適度な距離を保ってさえいれば、それほど危険は無いように思われた。
(青い花、かぁ。ガストンさんはすぐにわかると言っていたけど)
その時、視界の端に、自然のものではあり得ない色彩を、認めた。
向き直り、じっと目を凝らしたけど、今度は何も見えなかった。気のせいで終わらせることの出来ない直感が働いて、私は、どんどん深くなる草木を掻き分けながら、先へと進んだ。
(あった!)
一目見て、すぐにわかった。
ガストンさんの言う通り、目の覚めるような青だった。天の一番高いところの青を、海の一番深いところの青を、そのまま切り取って来たかのような。
緑の天蓋に覆われた木陰の中、ほのかに光を放っている。
大地の魔力を吸っている、との言葉通り、光合成も必要としないのだろう。茎も葉も真っ白だった。
五枚の花弁だけが異様な青を誇示しており、その花があるだけで、辺りの景色が御伽の世界にすり替わったかのような、奇妙な錯覚に陥る。
(摘んでも……いいんだよね)
たかが花一輪なのに、畏怖さえ感じてしまって、手折るのが躊躇われた。
真っ白な茎に触れてみる。指先に、不思議な熱が伝わってきた。
ぽき、と、茎が折れた。力も入れていないのに、勝手に。
私は慌てて手をひっこめた。何? 私、まだ折ってないよ!?
折れた花が、地面に横たわっている。そのままにしておいたら、きっと、すぐに枯れてしまうのだろう。
私は花を拾い上げた。折れてしまったものは仕方ない。依頼完遂のために、ありがたく使わせてもらおう。
持参した布に、花を包んだ。
すぐに取って返すつもりだったけど、どうしてか、急に疲労感と睡魔が襲ってきて、私はその場に座り込んだ。
何だろう。くらくらする。
私は顔を覆った。枕が欲しいと思った。……いや、いくら近場でも、森の中で居眠りなんて無防備すぎるだろう、私!
早く花を持って帰るんだ。うたた寝なんかして、うっかり日が暮れてしまったら、途端に帰還が難しくなる。
啖呵を切って出てきたセシルに、大いに馬鹿にされる。レファーンも心配するだろう。
(うー……もう駄目)
体が、ぐらりと傾いた。布に包んだ青い花が、手の中から零れ落ちた。
(え? 何これ)
私の掌よりも小さかったはずの可憐なそれが、大輪の華になっていた。
さらに青く、艶やかに咲き誇り、放つ光までもが、不吉なほどに強さを増して……。
どさっ、と、体が、地面に落ちた。
暗闇が迫ってくると思ったら……なぜか、目の前に、ギデオンの街並みが広がった。
城のような大きな中央の建造物。高い尖塔。街中に響き渡る音量で、正午を知らせてくれる時計台。
それらが、全て、眼下に一望できる。
とてつもなく大きな鳥になって、空から見下ろしているような感覚だった。私、どうしたのだろう。これは夢? 夢にしては、妙にリアルな……。
レファーンがいてくれたら、この不可解な状況に、答えをくれたかもしれないのに。
(レファーン……)
彼の顔を思い浮かべた途端、ぐにゃりと景色が歪んだ。
こつ、こつ、こつ、と、足音が聞こえた。屋敷の廊下を足早に歩いているレファーンの姿が見えた。
遠い場所から遥かに見下ろすのではなく、ごく近いところから、私は彼を目で追っていた。見られているなんて露とも知らず、レファーンは、廊下を歩き、扉を開け、外に出た。
目を射抜くオレンジ色の光に、私はひどく驚いた。日没が迫っている。全てのものが、長く濃く影を引いている。
私が花を見つけた時、まだ日は高かった。あれから何時間経ったのだろう。地面に倒れた私の体は……。
(私の体!?)
再び視界が入れ替わった。森の中に、私がいた。目に沁みるような空と海の青に囲まれて。
ヴェーラだ。たった一輪しかなかった花が、一面を埋め尽くすように咲き乱れている。
ちょっと待って。増えすぎだろう……いくら何でも! おまけに、なに、その大きさは。子供の頭ほどもありそうな巨大な花は、見事というよりは、ただひたすらに気持ち悪い。
(とにかく、起きなさいよ、私!)
眠っている私に、全てを見下ろしている私が、怒鳴りつける。変な光景。
(いつまで寝ている気だってば! こらっ!)
……起きやしない。我ながら鋼の心臓だ。もう少し危機感持とうよ……。
「これは……」
誰かが近付いてきた。男の人が二人。美しさを通り越して、もはや不気味でしかない光景に、驚き、呆然としている気配が伝わってくる。
気持ちはわからないでもないけど、感心していないで、そこでスピスピ眠っている私を早く起こしてやって欲しい。叩いてもつねっても、この際どんな手段でもいいから。
日が暮れる前に帰らないと……。
「ヴェーラが……こんなに」
長い茶色の髪を首の後ろで一括りにした青年が、呟く。ヴェーラの群棲を掻き分けるようにして、もう一人、銀髪の男の人が、寝ている私の傍らに立った。
「この少年の魔力に反応したようだな……」
「こんな……際限なく増えるなんて」
「大地の祝福を受けたものならば、あり得ない話ではない。魔力の質が地脈を這うそれと同じだからな。ヴェーラが間違えたのだろう……。実際にこんな光景を見たのは初めてだが」
「この少年が……大地の愛し子?」
「恐らくな」
銀髪の男の人が、屈みこんで、私を抱き起した。左腕で背中を支え、右腕を両膝の裏側にさし入れる。
うげ……抱き上げようとしている? いや、起こすだけでいいってば。お願いだから放置して。……ってか、むしろ触るなー!
「どうするおつもりで?」
「国に連れ帰る」
私は声にならない悲鳴を上げた。
どうせ抱きあげて運ぶなら、ギデオンの街までにしてよ! 国ってどこよ。どこ連れて行く気よ。この人攫い!
「大地の御子ならば、使い道は多いからな」
ぞっとするような事を、ぞっとするような微笑と共に、銀髪の青年は言った。
使い道って……何。
「殿下、誰か来ます」
茶色の髪の青年が言い、殿下、と呼ばれた彼が、軽く舌打ちした。
もしかして……お忍びなんだろうか、この人たち。姿を見られたくなさそうな。
渋々といった感じで、殿下とやらは、私を再び地面に降ろした。相変わらず脳天気に眠りこける私の顔を覗き込み、二の腕が鳥肌立つようなことを、平然と言ってのけた。
「……残念だ。娘であったなら、花嫁に出来たものを」
近付いて来る誰かに、私は心の底から感謝した。
その誰かがレファーンだとわかった時、張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れて、私の意識は今度こそ闇の中へと沈んで行った。