あなたが愛したのは、誰の子だったのでしょう
R15は保険です
連載でUPしてしまったので再投稿です
聞こえたのは、従妹の慎ましやかな笑い声だった。
「ごめんねぇ、リゼット。ルシィがわたしを愛してるっていうから」
乱れた寝具と脱ぎ散らかされた衣服。
リゼットから守るように従妹を抱き寄せる男と、うっとりとその胸にしなだれかかる従妹。
肌を露わにしているのに、羞恥の欠片もない。高揚感にとらわれて恍惚とする二人。
リゼット・アシュベリーはその光景を前に、ただ立ち尽くしていた。
従妹セシリアの侍女に呼ばれて訪れたセシリアの私室。
その寝台の上にいるのは、リゼットの婚約者ルシアン・ハートフォードと従妹のセシリアだった。
「ふふっ、これでお父様もきっと認めてくれるわ。ルシィに純潔を捧げたんだもの」
セシリアは、天使のような愛らしい顔に幸せそうな笑みを浮かべる。
「そうだ。僕が責任を取る。リゼットとの婚約を破棄して、君を妻にするよ。伯爵家にはセシィの方がふさわしいのだから」
ルシアンはセシリアを甘やかすように金髪を梳いた。
その様子に、ただ胸の奥がすっと冷えていく。
「……何度も」
二人がこちらを振り向いた。
「何度も、あなたたちを止めたのに」
自分でも驚くほど声に感情が乗っていなかった。
期待など、とうの昔に失くなってしまっていたのかもしれない。
その声が冷淡に聞こえたのか、セシリアは悪びれることなく睫毛を震わせてルシアンに縋りついた。
「ルシィ、リゼットの嫉妬が怖いわ」
「セシィ心配しなくていい。僕がいる。――はぁ、こんなに従妹を怯えさせてなんとも思わないのか、リゼット。本当に君は高慢で、セシィを目の敵にしてばかりだな」
「……私が、ですか?」
「嫡流の娘であることを鼻にかけて、義父上から与えられた課題にも手を付けていないと聞いている。その上、伯爵令嬢としての教養すら身につけようとしていないそうだな」
「それは……」
「ほら、そうやってすぐに言い訳しようとするだろう。セシリアとは大違いだ。セシィは何もかもを上手くできるわけじゃない。勉強だって最初は何度もつまずいていた。でも、それでも諦めずに続けてきた。その姿を僕はいつも見ていたんだ。君よりセシィのほうがこの家に相応しい。伯爵家の婿として、正しい当主を見極めるのも僕の仕事だろう」
ルシアンが正義に酔っているのはわかっていた。
彼は目に見えるものしか見ない。
叔父がルシアンに領主の仕事を教えるとき、その手伝いをするのはいつもセシリアだ。
その時間、リゼットはいつも離れに閉じ込められているのに。
彼の中ではリゼットから伯爵家を取り上げることこそが正義なのだ。
そして、そのために性交渉を――
吐き気が込み上げた。
使用人たちが騒ぎ立てる中、誰かがこちらへ駆け寄ってくる。
「お嬢様!」
その声を最後に、リゼットの意識は暗闇に沈んだ。
リゼットが両親を亡くしたのは、二歳のときだ。
馬車を引く馬が暴走し、道を外れて崖から転落。父も母もその事故で帰らぬ人となった。
伯爵家には幼いリゼットだけが残された。
事故の翌日には、父の弟であるアルベルト・アシュベリーが代理として伯爵家を預かることになっていた。
最初こそリゼットも叔父が来てくれたことに安堵し、本邸で四人で暮らしていたのだ。
しかし、その時からセシリアは愛らしくて、彼女が笑うと主夫妻を亡くして気落ちしていた使用人たちも笑顔を浮かべた。そうして徐々に伯爵家は明るさを取り戻した。
両親の死から立ち直れず、うまく笑えないでいるリゼットとは違い、『セシリア様はいつも私たちを元気づけてくれる』。そんな声が聞こえ始めるのも早かった。
使用人の心はあっさりと奪われたのだ。
そして、天使のようなセシリアがリゼットを怖がったことで離れに追いやられ、最低限の衣食しか与えられなくなった。
温かく優しさにあふれた両親との大切な場所は、叔父夫妻にとってかわられたのだ。
それから、父に劣等感を抱いていた叔父は、離れに来てはリゼットを罵倒し、時には暴力を振るうことで憂さを晴らしてきた。
部屋に引きこもり、リゼットが使用人にさえ心を開かなくなったのはこのころからだった。
しばらくして学園に入ると、セシリアの美貌は瞬く間に知れ渡った。
波打つような豊かな金色の髪。
澄んだ空色の瞳。
天使のように愛らしく、笑顔は花が咲いたようだと学園では誰からも好かれていた。
一方、リゼットの髪と瞳は地味と言われる赤茶色だ。
だが、赤茶と言っても実際はボルドーで、父はリゼットと同じ色彩をしていた母をこよなく愛していたし、リゼットは母の重厚感のあるベルベットのような髪をとても美しいと思っていた。
けれど、多くの人が赤茶で地味だと言えば、そうなってしまうものなのだ。
そしていつしか、周囲では
――セシリア様のほうがよっぽど伯爵家のご令嬢らしい。
――セシリア様のほうが美しく可憐で、心が癒されるようだ。
と、二人を比べることが当たり前になっていた。
そんな時、リゼットとルシアン・ハートフォードとの婚約が決まった。
ルシアンはハートフォード子爵家の次男で、同い年の少年だった。
家を継ぐ兄がいるため、彼はアシュベリー伯爵家へ婿入りすることになる。
最初の頃は彼も優しかった。
リゼットがどう振舞っていいかわからずにいれば、話しかけてくれた。
茶会では人見知りのリゼットにずっと寄り添ってくれた。
その頃のリゼットは、自分にも普通の幸せがあるのだと思っていた。
けれど、一つ下のセシリアが社交界へ出るようになってから少しずつ変わっていった。
リゼットをエスコートするものの、会場に入れば、
「ごめん、リゼット。セシリアが一人で困っているようだから」
そういって、すぐにセシリアのもとへ行ってしまう。
婚約者がいるのだからと注意することもあったが、彼の友人たちが二人をリゼットから守るように立ちはだかるようになった。
「リゼット嬢、こんなところにいたのか」
「ルシアンも大変だね」
「……何がでしょう」
「こんな陰険な婚約者がいるなんてさ」
そう言って、目が痛くなるようなピンク色のドレスを着るリゼットを嗤った。
リゼットには深い色が合うことを分かっていながら、叔母はリボンや花のついた子供用のようなドレスをリゼットに着せるのだ。
「セシリア嬢のようになりたいからって、ドレスを奪っていくんだってな?」
「全く似合っていないのにな!」
「それに比べて、彼女は本当に可憐で……わかってるだろ、お前は邪魔でしかないんだよ」
罵倒を投げてくる男たちの向こうに、ルシアンとセシリアはいた。
バルコニーで二人は身を寄せ合っていた。
夜風に金色の髪が揺れ、まるで一枚の絵画のようだ。
誰もがお似合いだと言いたくなるのもわかる。
そんな光景だった。
二人の少し波打った美しい金髪が月の光で輝く。
空色の瞳でお互いを見つめ合い、微笑み合う表情は、従姉である自分よりもよっぽど――
そこまで考えて、リゼットは目を伏せた。
「セシリア! また夜会でルシアンの傍にいたそうだな! 何度言えばわかるんだ!」
「だってぇ……」
叔父の怒声に、セシリアが唇を尖らせる。
「ルシィがつまらなさそうにしていたからお話してただけだもの。ルシィを楽しませられないリゼットが悪いのよ?」
「それでもだ! 婚約者でもない男とあまり親しくするものではない!」
「でも、私とルシィが仲良くしていたって、リゼットは何も言わないわ」
「そういう問題ではない!」
「だけどぉ……」
「夜会でも必ず誰かを間に置け! ルシアンと二人きりになることは許さない、いいな!」
喉が裂けて、血でも出るのではないかという怒号だった。
リゼットのことなど気にかけない叔父が、なぜか婚約者に関してだけはリゼットに味方する。
リゼットにとって嬉しいという感情はなく、ただただ奇妙なものだった。
あまりにもルシアンがセシリアしか構わないので、そんなに愛し合っているならと、一度提案したことがあるのだ。
「いっそルシアン様とセシリアを婚約させてしまえばいいのでは?」と。
その時も叔父は顔色を変えた。
「二度とそのようなことを言うな!」と頬を張り倒されたことで、それ以降口にしたことはなかったが、リゼットは叔父が折れてくれたらと何度願ったかしれない。
その過剰と言える反応。
リゼットはその時、ふとあることに思い至った。
その内容を確かめるために、ある人物に一通の手紙を書いて送った。
リゼットが不貞現場を目にする、二週間ほど前のことだった。
「お嬢様」
目を覚ますと、侍女が側に立っていた。
その青ざめた顔を見て、婚約者と従妹の睦事を見てしまったことを思い出す。
あれは夢ではない。
その気持ち悪さに胃が裏返りそうになる。
「……私はどれぐらい気を失っていたの?」
「一刻ほどです。旦那様もお戻りになっています」
「そう……」
「その、お嬢様、お客様がいらっしゃっているのです」
「お客様?」
「はい、ハートフォード子爵様です。今、お部屋の外でお待ちなのです」
リゼットはゆっくりと身を起こした。
「……わかったわ、お招きして。羽織るものを頂戴」
少し身なりを整えたあと、侍女が連れてきたのは銀髪の男。
ハートフォード子爵、ルシアンの父親だった。
リゼットの父と懇意にしていたことから、ルシアンとの婚約もすんなり決まったという経緯がある。
彼はリゼットを見ると、深々と頭を下げた。
「気分が優れないところに押しかけて申し訳ない」
「お気になさらず」
「ルシアンのことで、つらい思いをさせてしまったことを謝りたかった」
「……いえ、子爵様がルシアン様を諭されていることは知っておりましたから」
「そうか……、だが、どれほど咎めても聞く耳を持たず、反対に燃え上がらせてしまった。その上、謹慎させていたのに、抜け出した結果がこれだ。誠に申し訳なかった」
リゼットが当主に戻るためには、婚姻するのが最も手っ取り早い方法だった。
それもあって、子爵は婚約解消を望んでいなかったのだ。
リゼットはすでに17歳。近い年齢で婚約がない貴族の子息は問題ありとされる者ばかりだ。
ルシアンとの婚約がなくなると、次の婿にはもっと手が付けられない者が来てしまう。
それを危惧してのことだとリゼットも知っていた。
「もう済んだことです。こうなったからには婚約は破棄されるのでしょう?」
「ああ、君の望み通りに。それと、このことだが――」
子爵はそういって胸元から一通の手紙を取り出した。
「この告発の手紙。君からだったのだね」
リゼットは目を伏せた。
それを肯定ととらえたのか、彼は笑みを見せた。
「まず、礼を言っておきたい。ありがとう」
「……いえ。私も真実を知りたかったので」
「そうか……。いつ気づいた?」
「気づいたというか……叔父の態度から、何かが隠されていると思ったのです。それを調べるには子爵様を頼るのが一番だと思いました」
「素晴らしい勘だな」
「恐れ入ります」
後見人という立場を利用して、十五年も伯爵家を支配している男。
戦うすべを持たないリゼットでは、その男を引きずり下ろすことは難しかった。
だからこそのあの手紙だった。
「君がこれを寄越さなければ、踏ん切りがつかなかった。長年疑いつつも信じなければと、自分の気持ちを押さえつけていた」
「そのようなことが」
「ああ、だが、これで君も私も疑心から解放されるな。君が正式に爵位を継ぐときには、必ず私も力を貸そう。今まで君が冷遇されていたことを知りながら助けられなかった、私からの贖罪だとでも思ってくれ」
家庭内のことは治外法権に近いものがある。王家でさえ介入するのが難しい。
それこそリゼットが助けを求めれば可能だったが、諦観していたせいで助けを求めるという考えさえなかった。
「気にかけていただき、ありがとうございます」
ハートフォード家は侯爵家の分家にあたり、子爵自身も社交界に強い影響力を持っている。
リゼットにとって、これほど頼もしい後ろ盾はない。
「では、君に真実を見届けてほしい。共に来てくれるか?」
「はい」
リゼットは立ち上がって前を見据えた。
二人が居間へ向かう廊下には、いつもより多くの使用人が控えていた。
青ざめた顔で誰も口を開かず、リゼットと子爵が通り過ぎるとただ深く頭を下げる。
まるで審判を待つ囚人のような彼らを見て、リゼットは悟った。
もう、後戻りはできないのだと。
結託して、ルシアンを屋敷へ招き入れた使用人たち。
叔父がいない今夜なら二人を止める者はいない、と考えたのかもしれない。
まさか、その結果が何をもたらすのかも知らずに。
騎士――おそらく子爵家の者により居間の扉が開かれると、一番に目に入ったのはセシリアとルシアンだった。
立ち尽くしている二人の頬は真っ赤に腫れている。ルシアンを殴ったのは確実に子爵だが、セシリアを殴ったのはおそらく叔父……
蒼白な顔をしながら、まだ自分たちが何をしたのか正確には理解していないようだった。
そしてその向こうには、子爵が連れてきた騎士たちに床に押さえつけられている叔父と、一人の女性。ルシアンの母であることは明白だ。ルシアンは彼女に似た金髪碧眼だと思っていたから。
「では、アシュベリー伯爵代理」
子爵が一歩前へ出ると、叔父が顔を上げる。
「十七年前、貴公が私の妻と関係を持っていたとの情報が私の下に届いた」
「――っ!」
「私が王都に滞在しているときを見計らって、別邸で過ごしたそうじゃないか、ひと月も。しかも、生まれた子を私の子として育てさせた」
「な、何をもってそのような! 貴様、私をそのようなでたらめな情報で拘束していたのか!」
「そうよ、あなた! 私より誰が寄越したのかもわからないその話を信じるというの⁉」
もがきながら怒鳴る叔父と、真摯に訴える子爵夫人。
子爵はただ冷めた目で彼らを見下ろしていた。
「残念ながら調べはついている。お前の侍女と、加担していたお前の実家の使用人がすべて吐いた。金を受け取り、受胎時期をずらして報告した医者も拘束している」
「ばかな!」
「そんな……!」
叔父は子爵の眼差しに怯えながらも、ぎろりと子爵夫人を睨みつけた。
露呈したことを責めるかのように。
「素直に罪を告白すれば多少の恩情を与えるつもりにしていたが、余計な気遣いだったようだな」
「違うの、あなた! 違うのよ……!!」
ルシアンは子爵をぼんやりと見上げていたが、子爵はルシアンに一瞥も寄越さなかった。
父のその様子に、ルシアンの顔から血の気が引いていく。
「母上、まさか……」
「……ル、ルシアン、違うのよ……」
「違わないだろう?」
子爵の声は冷たかった。
「ルシアンは私の子ではない。アルベルト・アシュベリー伯爵代理の子だ」
子爵の揺るがない声音に、叔父は「あぁ……」と力なくうなだれた。
その姿に、リゼットはすっと胸がすくのを感じた。
ああ。
高慢で、身勝手で、私を虐げ続けてきた男も、最後はこうなるのか。
「ルシアン、わかるか? お前とセシリア嬢は父親が同じだ」
ルシアンは愕然とした様子で、その場にうずくまった。
「あ、あ……」
愛を囁いた相手は誰だったのか。
幾度も熱を放った相手は誰だったのか。
妻にすると約束した相手は誰だったのか。
「……嘘だ」
ルシアンは真っ青な唇を震わせた。
「何度も、あなたたちを止めたのに」
「リゼット……し、知っていたのか?」
「そんな、嘘!……嘘よ!」
セシリアはいやいやをするように首を振る。
「ですが、仕方ないですね。反対されるほど恋は燃え上がるものといいますから」
ルシアンがリゼットに怯えたような眼差しを向けてくる。
リゼットは、それをくすりと笑いながらまっすぐに受け止めた。
「婚約者様」
ルシアンの、ゆらゆらと揺れる空色の瞳を見つめ、リゼットは静かに問いかけた。
「腹違いの妹との愛の行為は、溺れるほど好いものでしたか?」




