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追放令嬢のインフラ改革 ~ハリボテ魔法で国を直して成り上がる~  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話 決戦! 舞台装置の巨大ダム

「あ、ああ……水が……!」


誰かの悲鳴が、轟音にかき消された。


私の目の前で、限界を迎えた堤防が弾け飛んだ。

そこから溢れ出したのは、水ではない。

泥と瓦礫を含んだ、黒い暴力の塊だ。


倒壊した凱旋門が川を塞いだせいで、行き場を失った濁流が、蛇のような鎌首をもたげてこちらへ――下流の街へと襲いかかる。


「ひ、ひぃぃッ! 逃げろ! 死ぬぞ!」

「結界は!? 王子、結界を出してくれ!」


作業員たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

ローランド王子は腰が抜けたのか、泥の中にへたり込み、ただガタガタと震えていた。

彼の手から、あの青い宝石――結界の核となる石が転がり落ちる。

泥を何より嫌っていた彼が、美しい軍服が汚れることすら気にしていない。


もう、誰にも止められない。

常識的な手段では。


焦るな。私は演出家だ。

この舞台を支配するのは私だ。

深く息を吸い込み、両手を夜空へと掲げる。

雨が顔を叩く。

キースの視線が、背中に焼き付いているのが分かる。


彼が全てを捨てて託してくれた、この一瞬。

失敗すれば、私たちはただの「国を滅ぼした反逆者」として泥に沈む。


必要なのは壁じゃない。

この膨大な質量を受け止める、広大な「空間」だ。

現実には存在しない、どこまでも広がる理想郷。


脳裏に描くのは、前世の公衆浴場で見た、あの壮大な壁画。

湯船の向こうに広がる、雄大な山と、底なしに青い湖。


魔力を練り上げる。

指先が熱くなり、血管の中を溶岩が走るような感覚。

全魔力を叩き込む。


「『舞台装置生成(ステージ・クラフト)』――最大出力展開!」


叫ぶと同時に、世界が震えた。


演目(セット)No.100、雄大なる連峰と(グランド・アルプス)!」


カッ!


閃光が走り、夜の闇が塗り替えられた。


「な、なんだアレは!?」


逃げていた作業員が足を止め、空を見上げた。


決壊した堤防の向こう側。

濁流が迫るその空間に、突如として「それ」は出現した。


高さ五十メートル、幅数百メートルに及ぶ、巨大な壁。

いや、壁ではない。

そこに描かれているのは、雪を頂いた険しい山々と、その麓に広がる鏡のような湖だ。


あまりにも鮮やかすぎる青と緑。

遠近法が極端に強調された、劇画のような筆致(タッチ)

それはまさに、空から降りてきた巨大な「背景画」だった。


「……絵? 山脈の、絵か?」


誰かが呆然と呟く。

そう、ただの板絵だ。厚さは数センチしかない。

普通なら、濁流に触れた瞬間に粉々になるはずだ。


だが、私はこの絵に「設定」を書き込んでいる。

『ここは無限の奥行きを持つ湖である』と。


ザパァァァァァァッ!!


黒い濁流が、絵に激突した。

その瞬間、あり得ない現象が起きた。


水が、絵の中に吸い込まれていく。


「は……?」


ローランドが口をあんぐりと開けた。


水しぶきを上げた濁流は、絵の表面に触れた途端、まるで最初からそこにあった風景の一部であるかのように、絵の中の「湖」へと流れ込んでいった。

現実の泥水が、二次元の青い湖へと変換され、波紋となって広がっていく。


騙し(トリックアート)ではない。

空間歪曲魔法だ。

書き割りの向こう側に、擬似的な亜空間を作り出し、そこに水を廃棄しているのだ。

見た目はシュールな「浴場の壁画」だが、その処理能力は本物の巨大堰(ダム)をも凌駕する。


「吸い込まれて……いく……?」

「おい見ろ! 水が街へ行かないぞ!」

「あの絵が、水を飲んでいるのか!?」


ゴォォォォ……という音が、徐々に小さくなっていく。

溢れ出しそうだった川の水位が、恐ろしい速度で「絵の中」へと排水されていくからだ。


私は両手を掲げたまま、歯を食いしばった。

重い。

数万トンの水圧を、魔力だけで支えている。

腕が引きちぎれそうだ。

意識が飛びそうになる。


まだだ。まだ足りない。

一滴も漏らすな。


「……う、うおおおお!」


気合を入れる。

鼻からツーと温かいものが垂れた。鼻血だ。

視界が霞む。

膝が笑う。


限界か。

私の意識が闇に沈み(ブラックアウト)かけた、その時だった。


「セレナ!」


背中を、誰かが支えてくれた。

温かい。

大きくて力強い手が、私の背中越しに魔力を送ってくれているのではない。

ただ、物理的に私を支え、倒れないように抱き留めてくれている。


「キース……さん……」

「見事だ。……あと少しだ、俺が支える。やり遂げろ!」


耳元で響く声。

その熱が、冷え切った私の体に活力を注ぎ込む。

そうだ。この人が見ている。

私の最高の舞台を、特等席で見ているのだ。

無様な幕切れなんて許されない。


「――終幕(フィナーレ)ですッ!」


私は最後の力を振り絞り、魔力を爆発させた。


ボンッ!


空間が歪み、絵の中の湖が満水になったことを告げる音がした。

同時に、川の水位が安全圏まで下がったのを確認し、私は術式を解除した。


巨大な山脈の絵が、キラキラと光の粒子になって消滅していく。

吸い込まれた大量の水は、亜空間の彼方へと消え去った。


後に残ったのは、嘘のように静まり返った川と、泥だらけの河川敷。

そして、呆然と立ち尽くす人々だけだった。


雨が、止んでいた。

黒い雲の隙間から、細い月明かりが差し込んでいる。


「……は、はは……」


私は力が抜け、膝から崩れ落ちそうになった。

だが、地面に倒れることはなかった。


ガシッ。


キースが私を抱きしめていたからだ。

支えるというレベルではない。

私の体を強く、折れそうなほど強く、その腕の中に閉じ込めていた。


「……生きているな」


震える声が、頭上から降ってきた。


「はい……なんとか……」

「馬鹿者が。寿命が縮んだぞ」


悪態をついているが、声が湿っている。

キースは顔を私の肩に埋め、荒い呼吸を繰り返していた。

彼の心臓の音が、私の背中に直接響いてくる。

ドクン、ドクンと、早鐘を打っている。


「……貴方がやれと言ったんですよ」

「ああ。言った。……だが、本当にやるとは」


キースは顔を上げ、私の顔を覗き込んだ。

眼鏡はどこかへ飛んでいってしまったらしい。

露わになったアイスブルーの瞳が、月明かりを反射して揺れていた。

そこには、いつもの冷徹な光はなく、ただ純粋な安堵と、熱っぽい感情だけがあった。


「ありがとう、セレナ。君が、この国を救ったんだ」


「……あんな変な絵で、ですけどね」


私が自嘲すると、キースはふっと笑った。

そして、泥だらけの私の頬を、親指で優しく拭った。


「世界で一番、美しい絵だったよ」


その言葉に、私の涙腺が決壊した。

緊張の糸が切れ、私はキースの胸に顔を埋めて泣いた。

彼はずっと、私の頭を撫で続けてくれた。


「……あり得ない……」


泥水の中で、ローランド王子が亡霊のように呟いていた。


「あんな……書き割りが……余の門より役に立ったというのか……?」


彼は自分の手元に落ちている、役立たずの青い石を見つめ、絶望に顔を歪めていた。

その姿に声をかける者は、護衛の騎士ですら一人もいなかった。


夜明けが近い。

東の空が白み始め、私の作った「伝説」と、王子の「失態」を、白日の下に晒そうとしていた。

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