第1話 追放された令嬢は、橋を「上演」する
ガタゴトと、尻の肉が悲鳴を上げる振動が三日三晩続いた。
格安の乗合馬車から放り出されるように降りた私は、思わず地面に口づけしそうになった。
「……ここが、私の新しい家?」
目の前に建っているのは、屋敷というより「ホラー映画のセット」と呼ぶのがふさわしい代物だった。
外壁はツタに侵食され、煙突はピサの斜塔のように傾いている。
窓ガラスの半分はベニヤ板で塞がれ、風が吹くたびにヒューヒューと亡霊のような音が鳴っていた。
「セレナ様、お待ちしておりました」
出迎えてくれたのは、腰の曲がった管理人の老夫婦だった。
「旦那様からは『反省室』と聞いておりますが……まさかこんな廃屋にお嬢様を押し込むなんて」
「いいのよ、気にしないで。私、こういう場所嫌いじゃないから」
私はスカートの埃を払い、ニッと笑って見せた。
強がりじゃない。本音だ。
前世、高校の演劇部で「大道具チーフ」として青春を捧げた私にとって、このボロ屋は「宝の山」にしか見えない。
「(まずは雨漏りの導線確保。床材は腐ってるから全交換。建材がないなら魔法で作ればいい)」
頭の中で高速で図面を引きながら、私は屋敷を見上げた。
指がうずく。早く工具を握りたい。
一週間前。
王宮のきらびやかな舞踏会で、元婚約者のローランド王子は高らかに宣言した。
『セレナ、君との婚約を破棄する! 君の土魔法は泥臭くて野暮ったい。王族の隣に立つにふさわしい「美」がない!』
周りの貴族たちも、扇で口元を隠してクスクスと笑っていた。
『あれで伯爵令嬢? まるで土木作業員ね』
『土いじりなんて、庭師にでもやらせておけばいいのに』
悔しさはあった。
でも、それ以上に呆れてしまったのだ。
彼らは魔法を「イルミネーション」か何かだと思っている。
生活を支える土台なんて、汚い仕事だと見下している。
「ま、おかげで自由になれたんだし」
私は大きく伸びをした。
もう、呼吸困難になるコルセットも、中身のない夜会も必要ない。
ここなら、誰にも文句を言われずにモノ作りができる。
「お嬢様、荷物を運びますじゃ」
「あ、私も持ちます。この工具箱、鉄アレイより重いので」
私が袖をまくろうとした時だった。
「大変だーっ! 橋が! 橋が落ちたぞ!」
屋敷の裏手、森の方から悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
管理人の爺やが顔面蒼白になる。
「いかん! 先日の長雨で地盤が緩んでおったから……あそこは村への唯一の道じゃ!」
私は考えるよりも先に駆け出していた。
邪魔なドレスの裾をたくし上げ、森の中の獣道を疾走する。
私の足は速い。
前世、開演五分前のトラブル対応で鍛えられた「現場ダッシュ」は伊達じゃない。
視界が開けた。
そこには、茶色い濁流が渦巻く川があった。
そして、対岸へと続くはずの古い石橋が、真ん中から無惨に崩落していた。
「ママ! 痛いよぉ!」
対岸で、子供の泣き声がする。
目を凝らすと、五歳くらいの男の子が足を抱えてうずくまっていた。
そばには母親らしき女性が、必死に背中をさすっている。
「誰か! 息子が足を挫いて歩けないんです! 誰か助けて!」
母親の悲痛な叫びが、川の轟音にかき消されそうになる。
こちらの岸には、農具を持った村人たちが数人集まっていたが、誰も動けないでいた。
「だめだ、流れが速すぎる。小舟じゃ一瞬で転覆するぞ!」
「ロープはないか!?」
「隣村への迂回路なんて、馬車で半日はかかる……あの子の足、折れてるかもしれねえぞ!」
絶望的な空気が漂う。
私は唇を噛み締めた。
助けなきゃ。
でも、どうやって?
私は泳げないし、光魔法使いのような「空を飛ぶ」華麗な技もない。
「(やるしかない……魔法で)」
私は自分の手を見つめる。
私の魔法は「土属性」の変異種だ。
物質を生成し、形作ることができる。
でも、今まで人前で見せると必ず笑われてきた。
『なんだその安っぽい作り物は』『おもちゃか?』と。
だから、人前では使わないと決めていた。
辺境でひっそり暮らすつもりだった。
「(……でも、今は緊急事態だもんね! 背に腹は代えられない!)」
私は深く息を吸い込んだ。
周りの村人たちは、対岸への呼びかけに夢中で、まだこちらに気づいていない。
今ならやれる。
私は川岸の岩陰に身を隠し、対岸の崩れた橋桁を見据えた。
距離は約二十メートル。
「(イメージしろ。倉庫にある在庫から、最適なセットを。軽くて、設置が早くて、絶対に落ちないやつ)」
脳内の引き出しをガサゴトと漁る。
あった。
私が前世で作った、文化祭の演劇用の橋。
ベニヤ板と発泡スチロールで作った、持ち運び可能な「書き割りの橋」。
「『舞台装置生成』――セットNo.4、石橋!」
指先から魔力が奔流となって溢れ出す。
通常の土魔法のような、地面がズズズと盛り上がる重厚な音はない。
もっと軽く、乾いた音がした。
ポンッ!
間の抜けた破裂音と共に、虚空から「それ」が出現した。
「え?」
村人の誰かが声を上げた。
崩れ落ちた橋の上に、覆いかぶさるようにして、新しい橋が架かっていた。
二十メートルの川幅をひとまたぎにする、灰色のアーチ橋。
ただ、問題はその見た目だ。
表面はのっぺりとしていて、石の質感がない。
石積みの継ぎ目は、明らかに「黒いマジックペン」で描かれた線だ。
全体的にやけに発色が良く、テカテカと光を反射している。
そして何より、「薄い」。
横から見ると、厚みが数センチしかない板のように見える。
まさに、舞台の背景に使う「書き割り」そのものだった。
「な、なんだこれ……?」
「空から橋が降ってきた!?」
「いや、絵か? これ、絵じゃないか?」
村人たちがざわめく。
私は岩陰で頭を抱えた。
「(ううっ、やっぱり質感設定をミスった……! 急いでたからテクスチャが貼り遅れた!)」
でも、機能はしているはずだ。
私は心の中で設定値を叫ぶ。
『強度:鉄骨並み』『重量:発泡スチロール並み』『固定:空間座標アンカー』!
対岸の母親が、呆然と目の前に現れた「絵」を見つめていた。
「渡って! 大丈夫だから!」
思わず叫んでしまった。
母親がこちらを見る。
彼女は震える足で、その「書き割り」に近づいた。
どう見ても、乗ったらバリッと割れそうな見た目だ。
躊躇するのは当たり前だ。
しかし、子供が苦痛に呻き声を上げた瞬間、彼女の顔つきが変わった。
母親は意を決して、目を閉じ、その「絵」の上に足を叩きつけた。
ダンッ!
硬質な音が響いた。
橋はビクともしない。揺れもしない。
「……え?」
母親は驚いて目を開けた。
手すり(これも絵だが)を掴んで揺らしてみるが、まるで岩盤に固定されているかのように動かない。
「い、いける……!」
彼女は子供を背負い、走り出した。
ペラペラの書き割りの上を、人が走る。
傍から見れば、空中に浮いた絵の上を走っているような、物理法則を無視した光景だ。
だが、橋は確実に彼女たちの体重を支え、こちらの岸へと送り届けた。
二人が無事に地面を踏んだ瞬間、村人たちから割れんばかりの歓声が上がった。
「すげえ! 渡れたぞ!」
「誰がやったんだ? 神様の奇跡か?」
私はほっと息を吐き、心臓を押さえた。
よし、バレてない。
今のうちに逃げよう。
こんな「珍妙な橋」を作ったのが、新しく来た領主の娘だと知れたら、初日から変人扱いだ。
足音を忍ばせて、森の方へ戻ろうとした時だった。
「――面白い構造だ」
すぐ耳元で、低い男の声がした。
「ひゃっ!?」
カエルのような悲鳴が出た。
慌てて振り返ると、いつの間にか背後の木立に、一人の男が立っていた。
黒髪に、銀縁の眼鏡。
上質なコートを着ているが、その足元のブーツは泥だらけだ。
手には丸められた図面のような羊皮紙と、奇妙な計測機器を握っている。
目の下には、何日寝ていないのかと思うほど濃いクマがあった。
いかにも「現場帰りの不機嫌な役人」といった風貌だ。
彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、私の作った「書き割りの橋」をじっと、値踏みするように見つめていた。
「君がやったのか?」
「え、あ、いえ、私は……通りすがりの……」
しどろもどろになる私を無視して、男は橋の方へと歩き出した。
そして、腰のベルトから、銀色に光るハンマーのような道具を取り出した。
(な、なんでそんな物騒なものを!?)
カンッ!
彼は橋の欄干を、ハンマーで思い切り叩いた。
普通なら石が砕けるか、あるいは発泡スチロールならボコッと凹むはずだ。
だが、返ってきたのは、鋼鉄を弾いたような甲高い金属音だった。
男の目が、眼鏡の奥で鋭く光った。
彼は懐から小さなモノクルを取り出し、橋にかざす。
「……質量はほぼゼロ。なのに強度はオリハルコン級。魔力構成式は……なんだこれ、独自言語か?」
彼はブツブツと早口で呟きながら、恐ろしい形相でこちらを振り向いた。
「おい」
「は、はい!」
怒られる。
勝手に景観を損ねる工作物を作った罪で、投獄されるんだ。
私は身をすくませた。
男はスタスタと私に近づいてくると、私の顔を至近距離で覗き込んだ。
クマのせいで目が怖い。
でも、その瞳には、砂漠でオアシスを見つけたような、飢えた光が宿っていた。
「名前は?」
「セ、セレナ……ワイズです」
「セレナ。……俺はキース。この国の腐りきったインフラに絶望していた、ただの都市計画局長だ」
彼は私の手を取り、なぜか拝むように両手で握りしめた。
その手はゴツゴツしていて、熱かった。
「君のそのデタラメな才能、国ごと俺に預けてくれないか?」
「は?」
「言い直そう。この橋、俺が買い取る。そして君もだ」
私の頭の中で、何かがショートする音がした。
この時の私はまだ知らなかった。
このクマだらけの男が、国の予算を握る「影の実力者」であり、後に私を過労と溺愛の沼に引きずり込むことになるなんて。
夕日に照らされた「書き割りの橋」は、相変わらずチープに、しかし頼もしく輝いていた。




