悪役令嬢になりそびれたようです
魔法があり、魔物のいる世界です。リハビリ作品。
前世を思い出したのは十五歳の春。
私は乙女ゲームの悪役令嬢に生まれ変わっているのに気が付いた。
いや、訂正しよう。
悪役令嬢になるはずが、なりそびれたことに気が付いた、というのが正解だ。
公爵家の娘に生まれて、この国の第一王子の婚約者になるはずが、なっていないのが現在の私。婚約者でなければ、王子ルートの悪役令嬢にはなれない。ヒロインの邪魔をする理由がないから。
更に言うならば。
舞台となるのは貴族の子女が通う学園。前世を思い出した今日は、丁度入学式の前日になるのだが、私は学園から遠く離れた公爵領にいた。目の前にいるのは多くの貴族子女ではなく、多くの馬である。
「オリヴィアお嬢様、髪、むしられませんでした?」
「ああ、大丈夫よ。避けたから」
馬の一部には、人間に世話してもらっているお返しにか、自分たちの鬣同様に手入れしてくれようとすることがある。目の前にいる個体もそうで、厩務員はたいていその洗礼を受けるものだ。
よりによって、そんな攻防の最中に記憶が戻らなくても良いと思う。危うくむしられ、涎まみれになるところだった。
ここは公爵領の片隅にある馬の繁殖牧場。幼い頃から、私、オリヴィアが入り浸っている場所だ。
「予想より日差しがきついみたい。ちょっと部屋で休んでくるわ」
心配する厩務員に手を振って、とりあえず落ち着くために移動する。母屋の厨房で飲み物を貰って、自室に引きこもることにした。
着替えるかどうか迷い、結局そのままソファーに沈み込む。多少、馬くさいかもしれないが、場所柄だと許されると信じよう。
私が身に着けているのは、クラシックな乗馬服。ジャケットにシャツ、帽子にロングスカート。足元は編み上げのブーツ。間違ってもブレザーにチェックスカートな学園の制服ではない。
「まさかの乙女ゲーム転生かあ。しかも本来なら悪役令嬢ポジだったと」
山羊の乳をたっぷり入れた紅茶を傾けながら、私はただひたすら申し訳なかった。
「悪役令嬢の中の人が私だったせいで、最初からストーリー崩壊させちゃったみたい」
鏡に映る自分の姿は、艶やかな黒髪の縦ロールをいくつもぶらさげた、見た目だけならば悪役令嬢コンテスト優勝間違いなしの高貴な美少女である。ただ、眉尻がへにょんと垂れ下がっているせいか、高慢な令嬢の雰囲気はない。前世の記憶はなくとも、前世の人格の影響がもろに出ているのがその眉だった。
「高飛車なお嬢様とか、できるような中身じゃなかったからなあ」
前世と違い、財力も美貌も頭脳もとびっきりであったのに、自己肯定感の低い前世の魂を持って生まれたせいか、どうにも腰が低いのだ。
これが子爵男爵あたりの令嬢であれば、まだ良かったのだろうが、王族に次ぐ公爵家の令嬢が使用人に気安いとか、あまり褒められたことではない。
「同じ人間だと思っちゃうから、家具扱いなんかできないしね」
常に誰かが傍にいる生活も慣れることができなかった。壁だ家具だと言われても、「でも人間だよね?」と思ってしまうのだ、どうしても。
あと、納得いかなかったのが服に関することだ。普段着以外の社交で着るようなドレスはほぼ使い捨て。そうやって経済を回しているのだと言われても素直に従えない。
「プチプラコーデが魂に刻み込まれすぎてたのがいけなかったのか」
お気に入りは何度だって着たい。もったいない精神の持ち主は公爵令嬢には向かないと心から思う。
家族への距離感も、貴族令嬢らしくはなかった。全力で両親と一歳上の兄に突進して、全力で好意をまき散らす。おかげで家族からは高位貴族一家とは思えぬほどに愛され可愛がられてはいるが、それが他家に通じるものではないということも言い聞かされてきたものだ。
「だって、家族ってもっとも身近な存在のはずだし」
日本の核家族と同じ調子で関わってしまった。
子供同士のお茶会でも、爵位だの身分差だの、まったく気にせず遊びに誘う。使用人の子供も貴族の子供もいっしょくたに。結果、親しまれはしたが、侮られることにもなった。
「同じ子供なんだから、が通じなかったんだよね。差別せずにみんな仲良く、ってのが私には当たり前だったから」
現代日本の価値観を無意識に引きずったせいだろう。
「で、決定的だったのが馬との出会い」
公爵家は領地に本邸があり、王都にタウンハウスを持つ。春から秋にかけては領地で。秋から春までは王都で過ごすのが普通だ。雪に閉ざされる冬は、王都の社交シーズンでもあり、貴族同士の交流がさかんに行われる。家族もその流れで領地と王都を行き来しているのだが、私自身はほとんど領地から出たことがない。
我が公爵家の領地には、その一部に湖沼地帯がある。やや高地にあるため、夏も比較的涼しく、風光明媚な避暑地として人気も高い。冬には白鳥も越冬にやってくるので、冬場もそれなりに賑わう。
三歳の夏、家族と共に視察を兼ねて湖沼地帯にある別荘に滞在した。別荘のすぐ前には一番大きく澄んだ水を湛える湖があって、景観も最高だ。
岸辺でちゃぷちゃぷ寄せられる波と遊んでいたら、ふいに水から出て来たものと目があった。
「おうましゃん!」
それは水が形を取って馬の姿をした、とても美しい何かで。あっという間に目の前にまで来たその馬(?)に、私は服の襟首を取られ、背中に放り乗せられた。
「ふえっ!?」
ざぶざぶと水の中に入っていく馬。当然、背中にいる私も道連れだ。
「ふぇーーーーーーーーーーん!!! おかしゃま! おとしゃま! にいしゃま! にゃーにゃ!」
家族と乳母から遠く連れ去られる恐怖に、幼かった私は全力で泣き叫んだ。
幼児の泣き声というのは、ある意味暴力的だ。人の口から出るとは思えないほどの高音。それを限界など考えずに喚き散らす。所謂、ぎゃん泣き。顔を真っ赤にして、涙と鼻水と涎で美幼女の顔面が大惨事であろうとも、身体中の力をすべて注いであげられる泣き声が湖面に響き渡った。
それを至近距離で喰らったケルピー(その馬はケルピーだった)は、それはもう、たまったものではなかっただろう。馬は繊細な生き物であり、その姿を模しているケルピーもまた、繊細であった。振り回されていた小さな手が、鬣をしっかりと掴んでいたので、振り落として逃げることもできずに、彼(雄だったと判明)は私に降参し、従魔にと下ったのである。
家族と乳母の元に帰りたいという主となった私の意思に逆らえず、ケルピーは岸辺へと戻り、私は無事に親の元に返され、母の胸に抱きしめられて眠ってしまったが、それ以外の周囲の大人たちは大混乱だったという。
ケルピーは水魔。美しい姿で生き物を背に誘い、水中に沈めてしまう、あまり質の良くない魔物だ。観光地でもあり、領主の視察もあるということで、念入りに魔物は討伐されたはずだったが、どうやら漏れがあったらしい。そのはぐれが、よりによって公爵様のお嬢様を狙って水中へと移動したことで、直ちに護衛たちが打って出ようとしたその時に、騒音攻撃の炸裂である。人間側にも多少の被害が出た模様。
私を両親の手に戻すと、ケルピーは岸辺に蹲り、逃げようともしなかった。その額には従魔を表す魔石が輝いており、主人を持つことを意味した。主人のいる従魔は攻撃することが許されていない。そのため、ケルピーの周囲に人を置いて、私が目覚めて、そして食事もして、とたっぷり休んでからまた顔を出すまで、護衛たちは緊張のまま置かれていたそうだ。
乳母に抱かれた私が再び現れると、彼は深く頭を垂れた。
「おうましゃん、ヴィアをつれてくの、だめでしゅ」
水面下にめりこむように、頭が沈む。
「わるいことも、しちゃ、めっ、でしゅよ!」
かくて、主従関係は確定し。私は齢三歳にしてケルピーの主となった。このことが、公爵令嬢として生まれた私の運命を変える。
ケルピーは水魔。少しであれば地上でも活動はできるが、基本、水棲の魔物である。水のある場所でないと存在できない。夏の終わりには、なんとか水場を伝って領都の本邸の池にまで連れて来ることができたが、そこから王都までの移動は無理だった。
ケルピーとの絆が出来てしまった私も、彼と離れられなくなったため、冬になっても領地に留まることになった。
本来、その冬の社交シーズンに、王都にて同じ歳の王子との顔合わせが予定されており、そのまま婚約者となるはずだったが、王子との交流どころか妃教育も不可能ということで、婚約の話は流れたのである。
当時の私はそんなことを知るはずもなく、無邪気にケルピーと遊んでいたのだが、この一件にて完全に悪役令嬢への道は閉ざされた。おかげで将来の断罪からも解放されたのだが、今の性格であれば、王太子の婚約者となっていたにせよ、ヒロインを虐めることなど不可能だったと思われる。ヒロインが王子を選ばなかった場合、おそろしく向いていない王妃をやることになって、きっと胃を痛めたことだろう。
そしてまた、ケルピーを下したことが原因になったか、私が使える魔法は水属性。原作ゲームでの悪役令嬢オリヴィアは火属性であったのに。もう何もかも崩壊していた。
公爵家としての父の意向を知らずに折ってしまった私だが、その後、別の利益を生み出すことになる。
五歳になった私は、無邪気に自分の従魔に強請ったのだ。
「ねえ、仔馬が見たいわ」
そう言って、護衛の乗っていた普通の馬を指さした。
その少し前に牧場に見学に行って、仔馬の可愛さにめろめろになっていた故の発言だ。
翌年、公爵邸にいる牝馬が次々に奇妙な仔馬を出産した。仔馬たちの鬣と尻尾は水。どうやらケルピーが頑張ったらしい。仔馬たちは地上を走り、また水上を走った。仔馬たちが人を乗せられるようにまで成長すると、驚くほどの値がついたそうだ。
父である公爵にお願いされて、私は牧場にケルピーを連れて行き、そこで同じように種付けをさせた。その頃には意味が分からなかったが、従魔に頼めばあの素敵な仔馬が生まれることは知っていたから。仔馬たちに夢中になった私が父の頼みを断ることなどなかったのである。そして世にも珍しい半魔の馬を産み育てる専用の牧場が作られた。小さな湖の畔に。
その牧場が、今十五歳になる私のいる場所だ。
父は私を嫁がせるのを諦め、成人すれば持っている伯爵位を与えることにした。つまり私は未来の王妃ではなく。断罪されて平民や修道女になるわけでもなく。女伯爵となることが決定している身の上だ。
婿はそのうち候補を見繕うが、基本、好きに選べと言われている。なのでまだ婚約者もいない。
未来の女伯爵の夫というものは、貴族家の次男以下の男性からすれば垂涎もののはずだが、役目はほぼ牧場経営。領地として割譲されるのは湖沼地帯の一部で、それなりの広さはあっても見事な田舎っぷり。人間の数より馬の数の方が多いのだ。華やかさなどまるでない。収益はあっても、使う場所も機会もない。仔馬の売買に関しても公爵家を経由することになるため、売込みの営業に出かける必要もない。しかも馬好きであることが最低条件である。実態を知れば候補が残るかも怪しい。
今は父や家令から領地経営について学んでいる。当然、ケルピーと離れられない私が王都の学園に通えるわけもないので。
「ヒロインが転生者だったら、『悪役令嬢がいない!?』って困るかもねえ。でも私も断罪されたくはないし。障害のある恋なんて盛り上がるのは一時のことだから、上手くやってくれたらいいんだけれど」
私はフェステと名付けたケルピーを呼ぶために部屋を出て湖に向かう。湖の上をフェステに乗って駆ければ、きっと爽快なことだろう。その後を仔馬たちがついて走って来れば、目にも楽しい。
「社交もしなくていいし、公爵令嬢らしさも求められないし、食いっぱぐれもない。うん、概ね、幸せなんじゃない?」
二年後、攻略対象だった兄がヒロインを嫁にと連れ帰り、その双子の兄と結ばれることになるとか、この時の私には知る由もなかった。
うちのケルピーは完全に馬型。元が水なので姿かたちは好きに変えられますが、フェステは馬型にこだわりがあった模様。
兄は立派なシスコンになりました。オリヴィアが婿にするのはセバスチャンになるでしょう。
活動報告にネーミングのネタバレあり。ヒロイン主役のスピンオフ準備中。
諸事情により、オリヴィアの髪を金髪から黒髪に変更しました(8月6日)。