第8節
週末、俺の大学の友人である健太が、静流の退院祝いだと言って家にやってきた。健太は、俺が静流のことで悩んでいるのを薄々感じ取っていた数少ない理解者だ。
「よぉ、和也! 静流ちゃん、元気になったんだってな! よかったじゃねえか!」
健太は、リビングで出迎えた静流を見るなり、屈託なく笑った。静流もまた、生前のようにとはいかないまでも、かすかに微笑んで「ありがとう」と応じる。その光景は、傍目にはごく普通の、心温まる一場面に見えただろう。
健太はケーキを広げ、お袋も紅茶を淹れて、しばし談笑の時間が流れた。静流は、健太の冗談に相槌を打ち、時折、小さな声で笑いさえした。その完璧な「妹」の演技に、俺はもはや恐怖を通り越して、一種の感嘆すら覚えていた。
やがて健太が帰り際、玄関で俺にだけ聞こえるように、声を潜めて言った。
「なぁ、和也。俺の気のせいかもしれないけどさ……」
「なんだよ」
「いや、静流ちゃん、元気そうで何よりなんだけど……なんて言うか、時々、目が笑ってないっていうか。人形みたいに見える瞬間があったんだよ。大丈夫か、お前」
健太の言葉に、俺の心臓は大きく跳ねた。気づいたのか。俺以外にも、あの違和感に。
「……そうか? 俺は、別に」
俺はとっさに否定した。健太をこの異常な事態に巻き込むわけにはいかない。
「そっか。ならいいんだ。考えすぎだよな! じゃあな!」
健太は、愛用のバイクに跨り、エンジンを吹かせて去っていった。その背中を見送りながら、俺は言いようのない不安に襲われた。
その時、背後のリビングのドアが、ほんの数センチだけ開いていることに気づいた。そして、その隙間から、冷たい瞳がこちらを覗いていた。静流だ。俺と健太の会話を、聞いていたのだ。目が合った瞬間、静流はすっとドアの陰に姿を消した。
ぞっとした。あの目は、獲物を見つけた捕食者の目に似ていた。
その二日後、警察から電話があった。健太が、夜の峠道でバイク事故を起こし、意識不明の重体だという連絡だった。現場の状況から、ブレーキワイヤーが何者かによって切断されていた可能性が高い、と。
受話器を握りしめたまま、俺はリビングの方を振り返った。ソファでは、静流がテレビのアニメを見て、無邪気に笑っていた。その姿が、悪魔にしか見えなかった。