第12節
静流の言葉は、毒のように家中に広がった。
「和也、お前、本気だったのか……」
親父は、信じられないものを見る目で俺を見つめた。その瞳には、軽蔑の色さえ浮かんでいた。
「違う! 俺は静流を助けようとしてるんだ!」
「助けるですって? こんなに元気になったこの子を、どうするつもりなの! 人殺し!」
お袋の絶叫が、俺の鼓膜を突き破る。違う、殺すのは静流じゃない。あいつの中にいる、得体の知れない「何か」だ。だが、その叫びは誰にも届かない。彼らにとって、目の前でか弱く震えているのは、紛れもない娘の静流なのだから。
その日から、俺は囚人になった。親父は俺の部屋の前に立ち、俺が外に出ないように見張るようになった。食事はドアの前に置かれ、家族との会話は完全に途絶えた。
静流(の中の何か)は、俺を精神的に追い詰めることに愉悦を感じているようだった。時折、ドアの向こうから、わざと聞こえるように話しかけてくるのだ。
「お父さん、昔、会社のお金を使い込んだことがあるんだってね」
「お母さん、昔、お父さんじゃない人のことを好きだったんだ」
それは、夫婦の間だけの秘密のはずだった。だが「何か」は、静流の記憶の奥底から、あるいは別の方法で、それを正確に読み取っている。その言葉を聞くたびに、ドアの向こうで両親が息を呑む気配が伝わってくる。家族の信頼関係が、音を立てて崩れていく。
そして、攻撃の矛先は俺にも向いた。
「お兄ちゃん。夏祭りのこと、覚えてる? 二人で見た花火、綺麗だったね」
それは、俺と静流だけの大切な思い出だった。病気で滅多に外出できなかった静流を、俺がこっそり病院から連れ出した夜。
「あの時、お兄ちゃん、私のことずっと守るって言ってくれたよね。嘘つき」
やめろ。その声で、その思い出を語るな。
俺は耳を塞ぎ、床にうずくまった。狡猾だ。あまりにも、狡猾すぎる。暴力で支配するより、こうして心を、絆を、思い出を汚していく方が、よほど残酷なのだと、そいつは知っている。
ガラスの小鳥が、机の上で静かに光っていた。俺に残された武器は、これだけだ。そして、儀式を完遂するために捧げる「最も幸福な記憶」。
皮肉にも、それは、今まさに「何か」に汚されようとしている、あの夏祭りの記憶だった。




