EP6 凱旋
王城へと続く道に並ぶ人々は、興奮気味にささやきあいながらも、決して騒ぎ出すことなく佇んでいた。それはまるで嵐の前の静けさだった。人々はただひたすら「嵐」の到来を待っていた。突如、ささやきが大きくなった。そのささやきは城門から王城の方へと、押し寄せる波のように伝わった。来た、来た、来た、と。錆び付いた鉄が軋む音を響かせながら、門が開いた。
「帰ってきたぞー!」
誰かがそう叫んだ。刹那、人々はため込んだマグマを噴出する火山となって歓喜の叫びをあげた。彼らが待ち望んだものがやってきたのだ。そう、常勝将軍、ウィリアム=フォートの凱旋だ。
騎士学校を卒業し、一年も経たぬ身ながら初陣を迎えた若き軍人。敗北の苦しみに付け込まれ、逆賊たる老兵の口車にのせられるものの、王の慈悲により改心。その後は五年に渡り破竹のごとき勢いで砂漠の民の残党を狩り続けている。その功績を認められ、二十一歳という若齢ながら隊長に抜擢された。隊長となって後の戦では負け知らず、これをもって人々は彼を常勝将軍と呼び始めた。もっとも、隊長と将軍では位の高さが一回り違うのだが、こういった俗称では語感が重視される以上、仕方ないと言える。そして、若き天才騎士、という人物像もまた、必ずしもウィリアムと合致するわけではない。ウィリアムが常勝将軍たりうる理由、それはひとえに「外道」によるものだった。敵の睡眠時間に付け入る夜襲、国土を焼き払い兵糧を絶つ焦土作戦。国軍内でこれらの作戦は「外道」と呼ばれ、騎士道にもとる手口として忌み嫌われていた。だが、ウィリアムはこれらの「外道」を用いることに何の躊躇もないようであった。まるで初陣の際の意趣返しのように彼は外道を用い、砂漠の民の命を刈り取った。当然、事情を知る者はウィリアムを騎士の風上にも置けぬものとして侮蔑した。だが、民衆にとっては武勲だけが全てだった。少なくとも今のところ、ウィリアムを常勝将軍として持ち上げる流れは変わらない。
馬上からウィリアムは民衆を見下ろしていた。口元には笑みを浮かべ、手を振りさえしていた。その姿は国民の英雄にふさわしいものだと言ってよいだろう。しかし、ウィリアムの頭の中で渦巻いていたのは、この後に控えた謁見のことであった。だが、彼はあえてゆっくりと進んでいた。民衆が少しでも長く凱旋ムードを楽しめるようにとの配慮からだった。
随分、老け込んだな。約一年ぶりに王を見たウィリアムの感想である。王冠の下にある頭髪は白いものが増え、体こそ肉が増えているものの、それはストレスによる過食が原因ではないかとウィリアムは推測した。実際、王は何かに怯えているようだった。妙に落ち着きがない。なぜか、その答えは王自身の口から明かされた。
「時にウィリアムよ、そちは近頃城下を騒がせておる『屠殺人』について聞き及んでおるか?」
「いえ、本日帰還したばかりですゆえ。一体いかなる所業を行った者なのですか?」
『屠殺人』、という呼び名から想像はついたが、ウィリアムはそう尋ねた。答えたのは王ではなく側近のリングスだった。この男は五年前と変わらないな、とウィリアムは思った。
「『屠殺人』は半年前に現れた殺人鬼だ。ターゲットは陛下にお仕えする者ばかり。既にルー将軍やウォレス大臣などが手にかかっている」
「なんと・・」
ウィリアムは思わず声を漏らした。その二人の名を聞いただけで『屠殺人』の目的が分かってしまったからだ。
「その者、もしや砂漠の民に与する者ではありませぬか」
ウィリアムは半ば確信しつつ質問した。
「然り。彼奴は現場に書状を残している。それによると彼奴は『ハミュラが怨念、セプトリスに巣食う豚どもが屠殺者』だそうだ」
やはり、か。先に述べられた二人の重臣はいずれも砂漠の民殲滅に強く賛成していた者たちだった。それ故に『屠殺人』の復讐対象となったのだろう。しかし、だそうだ、とは随分他人事らしい言い方だとウィリアムは思った。リングスも復讐対象としては申し分ないことをしてきただろうに。内心の恐れを隠しているのだろうか。いや、とウィリアムは己の考えを否定した。むしろ彼にとって『屠殺人』の暗躍はライバルが減る点で好都合なのだろう。嫌な男だ。そして恐ろしい。
「ウィリアムよ」
はっ、とウィリアムは王の呼びかけに答えた。
「そちは朕の手足としてよう働いてくれておる」
「いえ、臣下として当然の務めでございます」
王は力なく首を振った。
「されど、それ故に『屠殺人』に狙われておるであろう」
ウィリアムは静かに目を伏せた。
「死ぬでないぞ。そちにはまだ働いてもらわねばならん」
王は言葉の傲岸さとは裏腹に懇願するような声音でそういった。憔悴の原因はこれか、とウィリアムは思った。恐らく、王にとって都合のいい駒は『屠殺人』の所業により、ウィリアムの予想以上に数を減らしているのだろう。自分のような一介の騎士に頼らねばならないほど、だ。その証拠に王はどこか怯えているように見えた。まるで三秒以上目をつぶれば眼前の騎士が忽然と消え失せてしまうとでも思っているかのように。対照的にリングスはどこか苦々しく思っているようだ。さもありなん、と言ったところだろう、とウィリアムは内心呟いた。王があまり弱みを見せるべきではない。
「陛下が格別の心遣い、しかと受け取りましてございます。今後更なる忠勤を尽くさんことをお約束いたしましょう」
王は感じ入ったかのように何度も頷いた。つくづく老いたな、この人は。
「では、下がるがよい」
はっ、とウィリアムは言って謁見の間を後にした。
王への凱旋報告の後にも、隊長となれば様々な雑事がある。隊の兵士をねぎらったり、親交のある高官に挨拶したり―もっとも、ウィリアムが挨拶するはずだった高官の半数近くが『屠殺』済みであったが―他にも色々と。気づくと城下町は夜のとばりに覆われていた。ウィリアムは自身の屋敷へと歩みを進めた。門の脇には浮浪者が寝ていた。セプトリスでは珍しいことではない。浮浪者のコミュニティに入れなければ上流階級の施しを受けるしかないのだ。ウィリアムは取り立てて気にすることなく屋敷に入ろうとする。だが、背筋を駆け上がる冷たさに駆り立てられ、とっさに振り返り、剣を構えた。鋭い金属音が闇の中にこだまする。先ほどまで寝ていたはずの浮浪者が立ち上がり、ウィリアムと鍔迫り合いをしていた。殺気を感じた時に抱いた確信をウィリアムは口にする。
「『屠殺人』・・」
顔をフードで覆った相手は答えることなく、剣を振るってきた。ウィリアムはそれを防御しながら敵を観察していた。体格、剣捌き、そして薄汚れた布の下に見える赤い衣・・全てが彼の疑念を裏付けていた。
「やはり君か、タファ」
相手の動きが一瞬硬直する。その隙をついてウィリアムは『屠殺人』の足を払う。間髪入れず地に倒れた相手にのしかかると、右膝を胸の上に押し付け、動きを封じた。更に、剣を持っていた右腕には左膝を乗せ、抵抗する手段を奪った。ここに至ってウィリアムは相手のフードを取り去った。現れた顔は、正しく狼の一族の末裔のものだった。
「おのれぇ!卑怯者がっ!」
タファはウィリアムに憎悪でたぎる目を向けた。五年前、投獄されたはずのタファが、何らかの手段によって脱獄したことは、ウィリアムの耳にも届いていた。砂漠の民が復讐を行っていると聞き、真っ先に思い浮かんだのがタファの顔だった。武力による復讐の虚しさを説きながら、震えるこぶしを握っていた彼の姿を、ウィリアムは忘れることがなかった。
「裏切り者め!貴様、一体どれだけの同胞を殺したっ!」
タファの怒りは至極もっともなものだ。共にセプトリスとオル・ハミュラ共存の道を探る同志のはずだったウィリアムが、今や常勝将軍として砂漠の民を殺戮し続けているのだから。ウィリアムはタファの髪に白いものが混じっているのを認めた。少し目線をずらすとボロボロの歯茎が見えた。数年にわたり、悔しさから歯を食いしばり続けたことが伺える。そして、彼が自民族の誇りとして纏っていた真紅の衣は、鈍い赤色に染まってしまっていた。どれだけの返り血を吸ったのだろうか、とウィリアムは考えた。そして、右ひざを進め、タファの口をふさいだ。
「お前は、私を殺さない」
ウィリアムが静かに告げると、タファは否定するかのようにウィリアムを鋭く睨みつけた。
「私が、ハミュラの民を救うからだ」
その瞬間、タファの目は大きく見開かれた。
「私は今夜、私の国も、ハミュラの民も救う」
選べ、とウィリアムはタファに語り掛ける。
「私を殺し、復讐鬼として生き続けるか。私に手を貸し、あそこの者たちを」
ウィリアムは王城を指さした。
「ひっくり返すか」
タファの目に理性の光が宿ったのを確認すると、ウィリアムは右足をタファの胸の上に戻した。
「説明しろ」
「ここではできない。私の屋敷に入れ」
タファは不信の目をウィリアムに向ける。
「貴様の手の者がいる屋敷の中に、か?」
「私がわざわざ屋敷の中でお前を殺すと思うのか?」
タファは沈黙した。ウィリアムはその沈黙を肯定の意と解釈した。
「お前を殺すつもりなら今この場で首を刎ねればいいだけのことだ」
「だが!」
なおも食い下がるタファにウィリアムはこう言った。
「私の後ろからついてくるがいい。少しでも不審な動きがあれば、その場で私を切り伏せろ」
「・・いいだろう」
ここに至って、タファはウィリアムの提案を呑んだ。
フォート家の屋敷に入ってタファがまず感じたのは違和感だった。エントランスを抜けたところでタファはその違和感の正体に気づいた。
「静かだな。使用人はいないのか?」
「いる。だが、全員寝ているのだろう」
この返事はタファの違和感を増しただけだった。
「主人の出迎えを待ちもしないのか?」
「ああ。最近雇ったばかりだからな」
「どういうことだ?古参の使用人の一人や二人いてもおかしくはあるまい」
ウィリアムの背に刃を向けながらタファは尋ねる。ウィリアムは屋敷に入ってから一度も振り返らずに歩き続けていた。
「古参の者は父上と母上について異国へ行った」
「なに?」
「詳しくは、あちらで話そう」
ウィリアムは目の前の扉を開けた。タファが目にしたのは本棚に囲まれた机だった。
「貴様の書斎か?」
「ああ」
そう言うと、ウィリアムは本棚にある一冊の本の前へ行き、背表紙を押した。
「何をしている」
「少し複雑でな。待っていてくれ」
そう言いながらウィリアムはランダムに本を選び、その背表紙を押した。少なくともタファにはそう見えた。しかし、本棚が音を立てて動き出したのを見て、この不可解な行動には意味があったことを悟った。本棚が横へずれた跡には、もう一つの扉があった。
「これは・・」
タファのつぶやきに答えず、ウィリアムは扉を開け、中へ入っていった。我に返り、タファは構えた剣を下ろすことなくウィリアムに続いた。
そこにあったのは書物の海であった。だが、先ほどまでいた書斎とは大きく趣を異にしていた。まず、その部屋は石造りで、まるで牢獄のように暗澹とした雰囲気に包まれていた。かつて牢獄にいたタファには苦い思い出をよみがえらせた。そしてそこにある書物も異質だった。丁寧に製本されたものは少なく、大半は古文書や民間伝承をまとめたものらしく、紙にただ字を連ねただけのものだった。タファはそれを手に取りたいという欲求にかられたが、ウィリアムの背に向けた刃を下ろすこともできずにいた。
「ここにあるのは全て、我が国やその周辺国の歴史に関わる書物だ」
タファは鼻で笑った。
「なにがおかしい?」
「何かと思えば史書だと?左様なものが今更なんの役に立つ」
タファは失望を隠さずに言った。私やロウが史書の一つや二つも読まなかったとでも思っているのだろうか、この青二才は。
「今更、か」
ウィリアムは、タファの嘲笑に対し苛立ちすら見せずにそう呟く。ならば、と彼は続けた。
「これは聞いたことがあるか?」
怪訝な顔をするタファに相変わらず背を向けたまま、ウィリアムは小さく息を吸った。
「お前たちは、ハミュラの民は、宗教によって滅びたのではない」
ウィリアムは逡巡したかのように口を閉じたが、刹那の後、一息に言ってのけた。
「王が女に狂ったゆえに滅びたのだ」
背後をとっているとはいえ、決して隙を見せてはならない。そう思っていたにもかかわらず、タファは完全に動きを止めてしまった。一方でウィリアムは依然としてタファに背を向けたまま、言葉を続けた。
「事の初めは先々代の王に遡る。彼は名君と名高かったが、一つだけ弱点があった」
ウィリアムは少し間を取った。返ってきたのは沈黙だったが、彼はそれを以て自分の話が相手に通じていると考えることにした。
「つまり、子が少なかった。世継ぎを立てることは王族にとって至上命題。いつ流行り病で子の命が失われないとも限らん。子、もっと言えば男子の数はなるべく多くなくてはならないが・・先々代の王の子で男子は三人しかいなかった。内成人まで育ったのは一人だけ」
そう、とウィリアムは殆ど吐息と一緒に呟いた。
「先代の王だ」
ここでウィリアムは一瞬振り向こうとした。しかし、首筋に突き立てられた刃を見て、再び正面へ向き直った。
「当然近臣も、先代の王自身もこのことを重く見る。故に、彼らはより多くの子を設けるため、より多くの腹を集めようとしたのだ」
腹、とウィリアムは吐き捨てるように言った。女を、子を産む装置としか見なさないある貴族の顔が脳裏をよぎった。
「そのような経緯でできたのが『後宮』だ」
後宮とは正室側室問わず王の妻が居住するエリアである。セプトリスでは王城の敷地内の一部に屋敷を新設して後宮としていた。先々代までの王に側室がいなかったわけではない。だが、後宮ができる前と後では側室の数が段違いになったのである。
「後宮の存在くらいは私も知っている。王が女に狂ったとはどういうことだ」
タファは苛立ちをにじませながらそう言った。
「そう急かすな。私にも話す準備というものがある」
ウィリアムは密かに呼吸を整えていた。彼の中に以前感じた怒りがふつふつと甦ってきていた。
「後宮によって、世継ぎの問題は取り敢えず解決し、無事当代の王が即位するに至った。まあ、次々に男子が夭逝したせいで随分若い新王となったがな。だが、当代に至って後宮は新たな問題を生んだ」
溺れたのだ、と、ウィリアムは言う。
「王は後宮に溺れた。国中から美女を集め、囲い、昼も夜も狂ったように宴を開いた」
ウィリアムの胸に苦い初恋の思い出が去来する。彼が騎士学校に入る前のことだった。ウィリアムは、ある平民の娘に恋をした。当時の彼にはそれが恋だともわからなかったが。当時の彼より五つも年上の女だったが、彼女は百合の花のように美しかった。彼は何かと理由をつけてその娘に会いに行ったものだった。だが、恋は唐突に終わりを告げる。女は、その美しさに目をつけられ、後宮へ連れていかれたのだった。彼女の親が受け取った一握の金貨と引き換えに。彼女が何を思って後宮へ行き、その後どうなったか、ウィリアムに知る由はない。しかし、去り際に彼女が見せた潤んだ眼だけが彼の脳裏に焼き付いて離れない。そして今の彼はこれすらマシな例だということを知っている。地方ではこのような『取引』すら成立せず、美しい娘が方は仕方攫われた時期があったと、彼は知っている。その時期に王相手に一財産稼ぎ、今も貴人にさらった娘を売る商人がいることも、彼は知っている。
「後宮は先代までとは比べ物にならないくらいの規模になった。そこで行われる宴も、またしかりだ。そんな状況が三十年も続けば城の莫大な蓄えでも底を尽く」
ウィリアムはわずかに首を回し、横目でタファを見た。
「貴様、まさか・・」
タファの顔は青ざめていた。ウィリアムの長い話の着地点が見えてきたのだろうか。そうだ、とウィリアムは言う。
「王は、オル・ハミュラの宝石に目をつけた。自分が浪費した財産を補填するために、な」
ならば貴様は!とタファは半ば叫ぶように言う。
「あの戦は、レコンキスタは、王の失策の尻拭いのために起こったというのか!聖地の奪還など、何の関係もなかったとでもいうのか!」
ウィリアムは無言で頷く。
「馬鹿な!そのようなことがあってたまるか!その証がどこにある!」
タファは剣を握る力を一層強くし、叫んだ。ウィリアムは突然机をたたいた。タファは驚きわずかに身を引く。この隠し部屋で初めて彼が見せた激情だった。
「僕にこれを言ったのは他ならぬ王自身だ!」
タファは大きく目を見開いた。なに・・そう口だけが動いた。
「これを聞き出すのは簡単だったさ!ただ凱旋後の謁見で尋ねれば事足りた。なぜハミュラの民を滅ぼしたのですか、とね!」
ウィリアムは一年前の謁見を思い出していた。彼にとっては一世一代の謁見のつもりだった。四年に渡って王の手足として働き、十分な信頼を勝ち得たと考え、タブーに踏み込んだのだ。
―なあに、かの地では良質の宝石が山のように獲れると聞く、我が国を富ませるためにそれが必要だったのじゃ
―では、財源確保のために砂漠の民を滅ぼした、と?
―左様じゃ。しかしまあ、随分生き残りが出てしまったわい
王は居心地悪そうにつぶやいた。そしてリングスの一言が決定的だった。
―聖地奪還など名目に決まっておろう。そなたも陛下のそばにお仕えするつもりならそのくらい常識と知っておくことだな
はっ、面目ございません、当時のウィリアムはそう言った。だが、心の中では、そして今の彼は
血が滲むほど強くこぶしを握っていた。このような暴論が常識だというのか。
「そうか」
タファは押し殺した声で言った。
「そこまで腐っていたのだな。貴様の国は」
ウィリアムは肯定も否定もしない。
「この国をひっくり返す、そう言うたな」
ウィリアムは無言で頷く。
「それはこの腐敗を根元から断つという意味か」
つまり、そう言ってタファは一拍置く。
「王を、殺す気か」
ウィリアムは暫し手元を見つめ、答えた。
「ああ」
「そして貴様が次の王になるというのか!」
タファは間髪入れず、ウィリアムに詰め寄った。ウィリアムはようやく振り返った。
「違う」
ならば、とタファは言葉を続けようとするが、ウィリアムはそれを遮った。
「この国に、王は二度と現れない」
タファの眼光が鋭くなった。相対する者の目をのぞき込み、その真意を探ろうとした。
「セプトリスは支配した王朝は一つだけじゃない。幾度も王朝交代を繰り返してきた。そして、王朝交代があった時代には共通点がある」
タファは顎を上げて話を続けるよう促した。ウィリアムは頷いて再び口を開く。
「全て、暗君の御代だったんだ。どれほどの名君が建てた王朝でも、暗君が一人現れれば塵となって滅ぶ」
「それが国家というものだ」
タファは嘲るように言った。ハミュラの民もそのような失敗を通して国家形成の放棄を決断したのだった。
「いや、違う。正確には王政の国家だ」
「よもや、王政を廃止するとでもいうのか?」
ウィリアムは静かに頷いた。
「ああ、僕達が目指すのは、共和制だ」
共和制、つまり主権が国民に属する政治形態である。代表者による統治が行われる点は君主制と共通する。だが、その「代表者」が国民の総意によってえらばれるという点で大きく趣を異にする。
「国のシステムそのものを変える気か?」
「そうだ。もうこの国は限界を迎えている。時代が変革を求めているんだ」
時代?とタファは聞き返した。それに応えるようにウィリアムは一枚の紙を机上に広げた。そこには数百の名が記されていた。
「今夜、立ち上がる者たちだ。安直な言い方をすれば、革命軍、と言ったところだな」
「革命・・しかも今夜だと!?」
ああ、と言いながらウィリアムは頷く。紙に書かれていた名は、万一押収された場合に備え、仲間内でのみ通じる偽名になっていた。ウィリアムはここに己の偽名を記した際のことを思い出していた。それは一年前、彼が残党狩りに向かう直前のことであった。二年に渡って集めた仲間たちと、まさにこの隠し部屋で誓いを立てたのだった。
「民の間にも、絶対王政が国を蝕む毒となっていることに気づく者が現れだしたんだ。そういう者たちを僕は集めてきた。決起するなら、凱旋の余韻で警備がぬるくなっている今夜しかない」
「絶対王政が国を蝕む、か。貴様がそう思うように仕向けたのではないか?」
ウィリアムは小さく肩をすくめた。
「そういう言い方もできるかもしれない。、だが、それだけでこの人数が集まると思うか?」
否。タファにもそれはわかっていた。そんな彼の表情を見て、ウィリアムは更に主張を続ける。
「この地の民は長きに渡って虐げられることに甘んじてきた。でも、ハミュラの民の虐殺を見て、初めて自分の立場に疑問を持ったんだ。ハミュラの地を血で染める腕が、自分たちから搾取するものと同じだと気づいた。国を守るはずの政治システムは、一人の独裁者の私腹を肥やす手段に成り下がってしまった。この矛盾に、この国はもう耐えきれない」
ウィリアムが自分に何を求めているか、それを悟りつつある故に、タファは抵抗せずにはいられなかった。
「随分虫のいい話ではないか。私たちは虐げらていることに気づきました。だからこの国を変えるのを手伝ってください、と己らが虐げた相手に頼むつもりか?」
「そうだ」
タファの威嚇するような口調に、微塵も臆することなくウィリアムは答える。
「そして、その要望にイエスと答えた君の同胞は少なくない」
タファは驚きのあまり瞠目し、言葉を失った。
「僕たちに与するハミュラの民全てがセプトリスへの憎しみを水に流したわけではない。それでも、今は僕たちと革命を起こすことを選んだ。滅びゆく自民族の運命を変えるために」
そして僕らも。とウィリアムは続ける。
「王を廃することですべてが解決するとは思っていない。むしろ新たな問題が出てくるのは自明だ。」
それでも。ウィリアムはわずかに瞑目する。
「今の世を変えたい。自分の運命は自分で決めたい。そう思って立ち上がるんだ」
だから。そういってウィリアムは一歩タファに歩み寄る。
「狼の一族の長、タファ。君の力を借りたい」
タファは答えない。
「今夜に及んでも、葛藤を続けている者はいるはずだ。ハミュラの民にとって、精神的支柱となる存在が欲しい」
ウィリアムはまた一歩、タファに迫る。
「頼む」
狼の一族の末裔は、差し出された手をただ見つめていた。