EP5 終焉
――セプトリス第x回軍法会議議事録
ウィリアム=フォート。名門騎士一族フォート家の次期当主。騎士学校卒業とともに新米兵の戦地への試験導入の第一号として、砂漠の民の残党狩りに参加。そこで親友である同じく新米兵の戦死を目撃、大きな精神的損傷を負う。それを当時の隊長トーマス=ロウに利用された模様。トーマス=ロウはかつてヨハン王へ反抗的な言動を繰り返した咎で左遷された。このことから王に対する怨恨を抱き、砂漠の民と手を結んでの謀反を企てていた模様。そしてウィリアム=フォートを王城にスパイとして送り込もうと画策。砂漠の民の残党の集落似て彼に洗脳教育を施さんとする。そこに王室直属の部隊が突入、謀反人をせん滅し、ウィリアム=フォートを保護する。王家に仇なさんとした罪は重いが、十六歳という若さ、及び初陣で親友の死を経験し、そこに付け込まれたという事情を鑑みて一か月の謹慎処分とする。
反逆罪への罰としては異例と言えるほど甘い処分であった。だが、それがなんだというのか。あの後、集落を襲った部隊の手に落ちたウィリアムが知ったのはロウの死だった。ロウの死はエドワードの志の死だった。生き残るべきは自分ではなかった。ウィリアムは見当違いの罪悪感すら抱いた。しかし、暗澹とした気分を味わいつくす前に、彼は自分が生き残り、軽い罰で許された理由を知ることになる。
襲撃部隊を導いたのはウィリアムであった。正確にはウィリアムのニオイだった。他ならぬウィリアムの剣に特殊な香料がつけられており、そのニオイを辿って暗殺部隊は集落に辿り着いたのだという。では、何故ウィリアムの剣に香料がついたのか。もっと言えば、だれがそんなものをつけたのか。答えは、フォート家現当主ヘンリーであった。ヘンリーは王に忠実な模範的な騎士である。それ故、子細の一切わからぬ任務に何事かを嗅ぎつけたのだろう。即座に王に報告し、指示に従い剣に香料をつけたのだという。当初、ウィリアムはフランシスも一枚かんでいたものと思い、彼に詰め寄った。しかし、フランシスの口から出たのは謝罪の言葉の身であった。申し訳ございません。私は何も存じ上げておりませんでした。旦那様を止められませんでした。そして、彼はこうも言った。旦那様を恨んではなりませぬ。旦那様もただひたすら坊ちゃまの身の上を思ってのことでございます。ウィリアムは最早父に逆らう気がなくなってしまった。いや、それは誤りである。端から彼は父に逆らうことなどできなかった。
だが、本当の異例は近臣の後にあった。その日、ウィリアムはヘンリーに付いて王城へ行った。今回の件の謝罪のためだ。そこでウィリアムはあろうことか王本人と対面する。いくら名門騎士家の嫡男と言え、小僧一人の不始末に王自ら乗り出すとは想定外も甚だしかった。初めて見る王は柔和な、しかし見る者を不安にさせる笑みを浮かべていた。それともウィリアムの精神状態がそう見させたのか。いずれにせよ、その恰幅のいい老人はウィリアムを責めることはしなかった。同情的ですらあった。
「初陣で友をなくすとは、さぞや辛かったであろう。ヘンリーよ、そう畏まるでない。」
「いえ、あろうことか私の息子が・・」
平伏するウィリアムの隣で、ヘンリーは異様なほど恐縮していた。ウィリアムが初めて見る父の姿であった。
「よいよい、むしろ朕は感謝している。」
「感謝?いかなる由にございましょうか。」
答えたのは王ではなく、その傍らにいる男だった。先ほどから王の傍にいたのであろうが、ウィリアムには今突然現れたように思えた。
「貴公らの働きにより、謀反人を一網打尽にすることができたのだ。反逆の罪は重いが、未遂、また元より本人に謀反の意思があったわけではない。しからば、功を重んじようという陛下のお心遣いであるぞ。」
その男の名、カール=リングス。王室執政官、すなわち王の政を補助する者である。その発言力は王に次ぐ、ウィリアムはヘンリーから事前にそう聞いていた。
「恐悦至極でございます。」
ヘンリーは今一度深くひれ伏した。
「うむ。では、下がるがよい」
はっ、そう言ってヘンリーは一礼して立ち上がった。ウィリアムもそれに続く。王の足元から伸びる赤い絨毯を進み、玉座の間を出る。背後で扉が閉まるとヘンリーは口を開いた。
「ウィリアム、お前は謀反に巻き込まれたのだ。」
ウィリアムは怪訝な顔で聞き返す。
「まかり間違っても、セプトリスと砂漠の民の和平に手を貸そうとしたわけではない・・よいな」
そう言ってヘンリーは先を行く。ウィリアムは悟ってしまった。あの甘い処分のもう一つの理由を。口止めだった。王は砂漠の民と手を結ぶつもりなど、さらさらなかった。もう、ウィリアムに使命感などひとかけらも残ってはいなかった。
ここは、どこだ?我は何故生きている?
タファはセプトリス王城の地下牢で目を覚ました。地下牢の存在は性質上表には伏せられている。ここには危険思想を抱く政治犯が収監されるのだ。
タファの肉体は大砂漠での生活と幼い頃からの鍛錬で鍛え上げられている。その肉体が今はまるで動かなかった。タファにはわからぬことだが、彼のいる独房に充満した煙には、筋肉を弛緩させる作用がある。いかに強靭な肉体を持とうと動くことはできない。いや、喋ることすら難しい。唯一彼にできたのは「聞くこと」であった。彼の耳は石畳を踏む足音を捕らえた。
「無様だな。」
独房の扉につけられた小窓から一対の目がタファを見た。
「それが、牙を失った狼の末路か。最早狼ではない、ただの負け犬だな。」
元よりタファは顔も見せぬ相手と話す気はなかった。しかし「狼」の名を出されては反論せずにはいられない。なのに、どうしても力が入らなかった。
「憎しみを忘れ、復讐を忘れ・・その赤き衣の持つ意味すら忘れたか。」
そんなわけはない。タファが身に着ける赤き衣は長の証である。彼がそれを忘れるはずがない。しかし、不可解なのは扉の向こうにいる男がそれを知っていることだ。
「恐れることはない。狼一族の長として、民の無念を晴らせ。」
タファが今の今までそれに気づかなかったのは。全身を支配する極限の疲労のためか。彼を見る二つの目は、灰色だった。そう、ハミュラの民だけが持つ灰色の瞳をその男は持っていた。
「セプトリスに、因果の報いをくれてやるのだ。」
その言葉がタファに与えた衝撃は大きい。彼は己のなすべきことを見失いつつあった。そんな彼を扉越しに見ながら、灰色の瞳の主、リングスは妖しい笑みを浮かべた。