section1:神世界④
今回は普段より格段にグロ注意です。
そこに、一本の木が立っていた。
夕日が差し込み、夜の陰りを見せ始めたころ。
そこに、一本の木が立っていた。
男達は皆滝のような汗をかき、荒い息を上げている。
根もない木が、そこに立っていた。
周囲に広がるおびただしい量の血だまりが、まるで根を張るように
そこに、木が立っていた。
しきりに何かを話す男達。
そして彼らは、森の奥。恐らくは彼らの集落へと引き返したのだろう。
再びの静寂が、この森へ戻ってきた。
そして世界が再びの夜を迎えたころ。
木の根が、赤く光を帯びる。それは熱とともに黒い体毛を持つ狼の熱で炭となり、ゆっくりと川の中へと倒れていくのだった。
(‥‥‥いったか?)
周囲をきょろきょろと見やる自分はその漆黒の闇に安堵した。
今の音でまた騒ぎになる前に移動しなければ。
自分はそう考え川の上流。
つまり人がいなさそうなところを探して移動を始めるのだった。
自分は、ヘタレだと思う。
というよりも覚悟を決めるまでが長いのだと思う。
悩みやすい。ともいえるかもしれない。
男の一人が丸太をこちらの頭上に振り落としている中、自分はひたすらに耐えた。
身を縮め、夜を迎えるまで。
餅つきのように自分が磨り潰されていく痛みと苦痛を味わいながら、それを耐えた。
男達が諦めてくれるよう祈り、それを待っていたのだ。
きっと、自分がその気になればあの男達を倒すことはできるのかもしれない。
勝てないにせよ、こっちは勝てるまで何度も甦ることができる。
あちらも不死身である場合でも抗うことくらいはできたはずだろう。
だが、自分はそれをしなかった。できなかった。
(だって、さ。やりにくいじゃねぇかよ)
今でこそ四足歩行の狼だ。不死身の怪物で、溶岩の狼だ。
だが、その魂はやっぱり人間なのである。
現代人という基準において、少なくとも自分は
「同じ似姿をしている奴に手をかけること」は、出来なかった。
これで、首から上が触手生物とかであれば話は別であったが…。
憧憬すら感じる整った男達である。
仮に不細工であれ、自分は手をかけるには相当の覚悟を要するだろう。
要するに、「自分が苦しめばいつか終わる」と考えたのである。
男達からすれば、いよいよ気味が悪い獣であったろうと思う。
反撃もせず、ひたすらに殺され続けるバルバロイ。
少なくとも自分が出合ってきた化物たちの中に、そんな奴はいなかった。
まるで、同じ種族以外を殺すことをプログラミングされたかのように迷いなく襲い掛かるのだ。
であれば、自分も同じであると思われていたのならばさぞ奇怪に思っただろう。
自分はそう考えていた。それが、自分にとって何の意味もなさないことであるというのに。
自分への評価が気になってしまうのも、現代社会に肩まで浸っていた故であろうか。
月夜が照らす
夜の森は変わらず静かで、ひんやりとしている。
自分の腹の底に溶岩を蓄える術を知らなければ、多分何度かは確実に死にながらここまでくることになっていただろう。
森を川に沿って登り続けていく。流れの先へ。
先へ、先へ。
そして、その先にそれはあった。
川の上流。
山から噴き出すように、水がそこからあふれ出していた。
自分の身体へ水分が当たらぬよう鈍剣で防ぎつつさらに奥へ進む。
その奥で、自分はゆっくりと体を休めるのだった。
朝日が差しこむ。
ぱちりと、目を開ける。
まだ寒い。
多分自分だけなのだろうが、冬の朝のような突き刺す寒さを感じる。
だがこれでも、禁足地に比べれば幾分ましだ。怪獣も、クラゲもいないのだから。
鈍剣の上で身体を伸ばす。
前足をぴんと張り後ろへ身体を引く。
ぶるぶると首を振れば、筋肉はほぐれた感じがする。
(とりあえず、飯になりそうなものを探さないとな)
あのオレンジもどきでもあればいいのだが。そう思いながら森を進んでいく。
進んで、進んで、太陽が真上を通過し始めたころ。
異常だった。
それは、異常だった。
自分に起こっている異常ではない。それでいうなら最初から理の類は既に外れている。
解脱の方に弾き飛ばされていないだけだ。
その異常は、森に起こっていた。
木々は、鬱蒼と腐食している。
まるでそこだけ、沼地にでもあったかのように
木々は腐り
動物たちは香しい腐臭で蠅を誘っている。
心なしか、地面もとろみを帯びた何かの溶液みたいに、僅かな腐臭が表面を覆っている。
周囲は急に熱を帯びたように、じっとりとした気持ちの悪い湿度を発している。
ここだけ、世界が違うように自分は感じた。
自分には関係ない、訳ではないだろう。
意図せず、ゼウスが言っていた「頼み」の片鱗を見つけたのだ。
それはカビのように、世界を犯す猛毒。
確かアイツはそう言っていた。
であればまさしく眼前に広がるこの光景がそれであろう。
(言うまでもなかった。ということか)
自分が世界をほっつき歩いていれば、いつか出会うだろう。などと考えているのならギリシアの神は主神からして緩慢すぎる。
土壌汚染なんてもんじゃない、大地がカビに侵食されているのだ。
それは苔のようにあちこちへ、べったりと付着している。
カビは木々を喰らい、生物の血肉を腐らせ、大地を犯す。
確かに、これは脅威だろう。
思わず腐臭に眉根を寄せる。
だが、ではどうすればよいのだろうか?
シンプルに焼けばいいのだろうか。
カビ自体は、熱に弱いため十分過熱すれば行けるだろう。だがここまで侵食しているとなると。
カビ毒。こっちが問題である。
こっちは普通であれば十分過熱しても死ぬことはない。
カビの生えたパンを焼いたとして、カビ菌を死滅させることが出来たにせよ
その菌が生み出す毒素はそうそう消えない。
だから、カビの生えたものは食うな。といわれているのだ。
自分はカビについてさわりのことは知っていても具体的にどんなカビなのかまではわからない。
さらに言えば、この湿度。
カビの場合胞子を発する時は基本的に湿度が高い方がより飛散するらしい。
より飛散する。というよりもより多くの胞子を発生させるのかもしれないが。
この湿度は、カビたちが生み出しているのだろうか?
まるで侵略行為。
この大地を、自分たちの住みやすい環境へと作り替えているようなそんな強さを感じた。
自分は、そこら辺の地面を少しだけ掘ってみる。
べちょりとした熔けた土の下には、ほんのりと熱を持つ白い糸が無数に張り巡らされている。
カビの菌糸であろうか。
身体の奥に灼熱を発する自分にカビが浸蝕しないかと脳裏によぎったが
さすがにどうやらその温度を生きれるわけではないらしい。
試しに数時間ほどこの大地を歩き、いろいろと調査をしてきた。
なんというか、普通の人間ならものの数十分でもいようものなら体調不良を訴えそうなこの環境において、自分はどうやら平然と歩き続けられているようだ。
余談だが、カビの菌が堪えられる温度は現代基準で50度から80度ほど。
カビの毒は通常の調理では基本消えない。
この世界のカビが現代基準の耐熱性しかない場合、自分なら容易にカビ毒まで焼き払うことは可能だろう。
但し、それは自分がいた世界の話だ。仮にそんな程度では焼き払えない可能性だってある。
そして仮に可能だろうが、文字通りこの大地を丸ごと焼き払う必要性が出るだろう。
(それは、まずいだろうか)
と自分は考え込んでしまう。
このカビの菌糸がそこまで伸びているのかまるで分らないため
ともすれば周囲一帯ごと大地の深くまで焼き溶かす必要がある。
あの集落の人間からすれば、隕石でも降って来たのかと思うだろう。
だがもし、既にこの菌糸が
あの集落の足元まで迫っていたのなら…
そう考えずにはいられなかった。
今の自分には、それを伝える手段も避難を促すこともできない。
自分の存在が、逆に集落の人達をその場に「引きこもらせる」可能性もあるのだ。
思考が、どんどん自分を「最悪な状況」へと思考を引っ張っていく。
そして自分は、それを見つけた。
その醜悪さに、思わず顔をそむけたくなった。
だが、それは脳裏にそれこそカビのようにこびりつき、自分を離すことはなかった。
それは、人間だった。
腐敗した、人間だった。
皮膚は爛れ落ち、体液だかカビの生成物の溶液に塗れており、熔け落ちた肉から片目が零れ落ち、それを蛆がたまり場としている。
ところどころ骨が見え、かなりの日数が経過しているものと思われる。
自分はそのままえづく。
腹の底にたまった溶岩を口から吐き出す。
それは灼熱とともに蒸気を発し、大地を焼く。
酸っぱい胃液ではないにせよ、それは自分にとって途方もない嫌悪感として襲い掛かる。
ゼウスが望んでいなかった理由はよくわかる。
誰が望んでこんな悪質な生体系なぞ作るものか。
仮にこれが世界を生み出した結果、発生した不条理な自然の摂理にせよ。
腐っている。
歪んでいる。
このまま放っておけば世界はこれになるのか。
大空から見たあの景色が、全てこうなってしまうのだろうか。
自分は、まぁいいだろう。
こんな腐敗した世界の中でも生きていける自分なら、まぁいいのかもしれない。
そんな自分以外においては生きている世界が
今、その足で立っている世界がそのまま地獄と化してしまう。
(それは、確かに)
化物を引きづりだしてでも解決したい問題だろうな、と思うのには十分すぎる説得力であった。
そこからさらに進む。
足元より自分へ這い上がろうとする蛆。
大地の中を蠢くその白い醜悪な掃除屋は、わが身に潜り込もうと皮膚を齧った瞬間に灼熱の血を浴びて爆ぜる。
ぴちぴちと、そんな音がさっきから足元より発せられている。
気持ち悪い。ただただ気持ち悪い。
そんな世界を自分は歩く。にちゃにちゃと腐泥を踏みしめて歩く。
まるで何かを隠すかのように、だんだんと周囲を霧が覆う。
霧というよりも高濃度の水蒸気だろうか。
サウナのような熱気とともに視界を覆う水蒸気。
自分の黒い体毛は、その水気に対し石化と再生を繰り返している。
そんな中、自分はそれに出会った。
同じく泥を歩くもの。
二足歩行であった。
人のように見えた。
だがそれは、おおよそそれとは大きく、遠く異なっている。
皮膚のないからだ。ぬめぬめとした溶液で覆われている。
ぎこちなく歩くそれの腹には、大量の死体。
ここに迷い込んだのか、殺されたのか。
リスがいた。
狐がいた、
ウサギがいた、
鳥がいた
魚がいた、
人間の女がいた。
皆一様に溶液と蛆に侵され、ドロドロに腐りながら骨と眼球、熔けた肉と血で
それの腹を膨らませていた。
触手に覆われた蛆の口のように丸い頭部には口しかない。
胃と直接つなぐだけの、触手に覆われた丸い口しかそこにはなかった。
これまでであってきた化物や怪獣とはまた違う意味で、それは恐ろしいものであった。
それが複数
いくつもの、大小に膨らんだ腹を抱えながら
(何処かに、向かっている)
進む方向は一つ。
皆一様に、そこへ向かっている。
逆に、そこより出てくるものもいる。
内容物がなくなり、たるんだ胃が肥満体系の腹のようになっている。
何かを探すように、胃に収めるものを探す餓鬼のように
そこより出てくる。
自分も、そこに行くことにしてみた。
腐臭が熱気により水蒸気とともに舞い上がり自分の全身を覆う。
世界一最悪な香水を全身に振りかけられているような気分だ。
周囲の水蒸気と同じくらい、自身も白煙を上げる。
石化と再生を繰り返すその体に、べったりと腐臭がこびりつき、しみついたような錯覚を覚えたころ。そこについた。
それは、なんという表現を用いるべきだろうか。
最悪の言い方をするのなら
焼く前の肉塊。
肉と、肉と、肉と、肉と、肉
さらにそこへ肉を継ぎ足した合挽き肉。
腹を満たしたものたちは、それへよじ登り、上から下へ胃の中をぶちまける。
べちゃべちゃという音とともに溶液と肉の混合物が下から這い上がる同族たちへ同時にぶち撒けられたとしても意に介することなく、自分の仕事をこなしていく。
そして腹の中をすべて吐き出した個体はハンバーグより這いずり落ち
その身を起こし、再び仕事へ戻っていく。
自分のことなぞ意に介することなく、仕事を果しにこの濃霧の奥へと消えていく。
おぞましい。
腐肉生物がマスコットに思えるような、地獄絵図である。
自分は、それに近づき…見やる。
途中、何度かこの「運び屋」にぶつかるも彼らはこちらのことなど気にすることはないようである。
ハンバーグを見やる。
赤く、黄色く、腐っている。
だが、それ以上に
戦慄が走る。
なんで自分が、こんなことをしていると思う?
あの「運び屋」の膨らんだ腹。
その中で蠢く、肉を見た時背筋が凍ったからだ。
あそこで見た光景を見た時こう思ったのだ。
何故、アイツはここにいない?
あれも十分に腐り、死んでいる。
死んでいるのだ。腐肉生物であろう「運び屋」であればその腹に収める理由としては十分のはずだ。
なのに、あの死体はあそこで蛆の餌となっている。
ここで合挽き肉になってはいない。
その疑問を、自分が抱いてしまった。
好奇心が、恐怖に勝ったのだ。
真実を求める探求心が、悪夢に勝ったのだ。
ゆっくりと、それを見る。自分の背後では「運び屋」が新たな肉を運ぶために肉の山を
登り始める。
そして、自分は
それを見た。
人間の女
あの集落のものでないことを祈るが、その女
女の顔は半分、髪で隠れている。
見事なものであるはずだったブロンドの髪は、他の肉と溶液にまみれ、彼女の顔にべったりとくっついて、赤と黄色に塗れていた。
その目を見た
光りなく、虚ろな目
こちらを見やる、その目
こちらを見て、動くその瞳を
かすかに、目が合う。
ぴくぴくと、痙攣したその瞳が
こちらを、見ている。
つまり、そういうことである。
あの肉も
あそこの肉も、
無意識に足に踏んでいる、肉も
眼前にある肉も
-まだ、生きている-
これが、世界を蝕む毒。
醜悪な、カビの
食性。
おぞましさすら覚える、食性だった。




