section1:神世界①
拝啓、まだ死んではいないだろうおとう、おかん。
自分は元気にこの異世界でやっております。
この世界に来てからというもの
臓物を狼に食い散らかされたり
青銅の巨人に殴り殺されかけたり
クラゲに石にされかけたり
水を浴びたら死んでしまったり
そんな日々を送っておりますが、そちらはいかがお過ごしでしょうか。
おとうの腰痛はあれからどうなっているでしょうか。
おかあは、ばあちゃんと仲良くやっておりますでしょうか。
なかなかそちらに帰れないため、このような形で近況を察することしかできませんが
愚息ながら何かお手伝いができることがあれば、と異世界に来る前にもうちょっと親孝行くらいしていればと思う日々が続きます。
そうそう、今現在自分がどうなっているかですが…
暗い洞窟
重く、分厚い檻
首輪をつけられ、うなだれるようにする黒よりのグレーの肌を持つ異世界人
そんな人たちと一緒に、自分はいます。
首だけで。
理由?
知るかそんなもん
気が付いたら首だけでここにいます。何ならさっきまで壺の中にいました。
おとう、おかん。
どうかそちらでもお元気にお過ごし下さい。
自分はこれから、鬼の首をとったやつの首をもぎもぎしに行くので。
追伸。
そろそろビールとジャズが恋しいです。
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悠久の闇が世界を包む。
自分は、死んだのだろうか。
悩むことはなかった。うなだれるような、眠りにつきながら覚醒しているような不思議な感覚の中に自分はいた。
寝ぼけた状態が、永遠に続いているようにも感じた。
かすかな吐息だけが、自分の中のすべてだったその時間は強烈な光が眼を差してきたときに終わりを告げた。
まばゆい光で脳がやっと起きる時間だと認識したように、眼を細め光を見る。
それは、石造りの荘厳な宮殿であった。
周囲は草花に覆われ、小鳥が囀りながら優雅に飛び回っている。
雲はゆっくりと流れ、そのどこまでも続くようなさわやかな青空の下で
自分はその場に、寝転がっていたようである。
(あぁ、やっぱり駄目だったか)
諦観を織り交ぜたため息をつく。あの怪獣との逃走劇を経て、死ぬもんかと最後まで抵抗を続けていたのだが、やはりだめであったようだ。
自分は、どこまで行ってもそこまでの存在にすぎなかったということなのだろう。
周囲を見やっても、どこにも人の姿なぞない。
天国にしては、いやに静かな場所だな。
そう思いながら、ふと疑問がよぎる。
一度地獄に落ちた自分が、どうして天国にいる?
これまでの壮絶な道中で贖罪がなされたとでもいうのだろうか。それにしては体感時間としてはまだ経過していないようにも感じる。
贖罪を成したことよりも、食材として食われていたほうの時間がまだ長いように思えた。
やっと頭が現実に追いついてくる。
ここが天国ではないのなら、ここはどこだ。
最もな疑問である。
最後の記憶では、自分は道端で倒れ伏し、死んだはずだ。
見るも無残な最期であったはずだ。
不死身の怪物であったとして、強者ではなかったという現実の前に打ちひしがれて死んでいく途中であったはずだ。
改めて周囲を見やる。
自分が見るままの景色を簡潔にたとえるのなら、楽園。
ここは楽園であろうか。
草花の香りを鼻孔より脳へ情報として送り届ける。
脳は確かに、これを「かぐわしい花」と認識している。硫黄の匂いがしたほうがまだ自分の現状にあっていると思ったのだが。
地獄で見せられている幻覚の類か?
たしかに、そういう地獄もあったように思えるが…
などと思案をしている中、そういえばとでも言わんが様にそれを見る。
眼前に広がるその石造りの建物は、パルテノン神殿のような荘厳さを…
(いや、思いっきりそのまんまじゃねぇか!?)
パルテノン神殿。
ギリシャにある超有名なあの神殿。
ネットやテレビでたびたびその姿を見ることができる。建築様式諸々はとうに自分の脳内からは失われた情報と化してはいるものの
その見た目を間違えるほど風化はしていない。
唖然としてしまう自分。
急に異世界要素が波のように引き
そして波のように迫りくる。
(地中海地方ってこんなに花が咲き誇っていたっけか?)
自分はそこまで詳しい方ではないが、イメージの中にあるパルテノン神殿はもっと、言い方は悪いが「歴史の流れを感じる」場所に立っている。
その近くに、このような草花が生い茂るような場所ではないと思う。
また、もう一つの謎が生まれた。
いつの間にここにいるのか。という問題だ。
これは、まぁ死んでしまったのだと結論付ければどうとでもなるのだろうが
地獄に落ちた人間を受け入れる楽園なぞあるのだろうか?
まだ幻覚を見せられているという仮説を立てたほうが筋を通せる。
(ま、異世界?に飛ばされている可能性もあるわけだ。自分の常識にそぐわないことが起きても仕方ないし、仮に死後の世界であっても…死んだ後の世界なんて生きている人間の空想の産物であるだろうしな…)
色々考えてはいるものの、とどのつまり。
なにも、わかっていない。
そういうことである。
自分は少し悩んで
しょうがないので、眼前にそびえるその建物へ足を運ぶことにするのだった。
建物の中は中央に存在する穴のおかげが薄暗い程度にとどめられており、その構造が良く見える。
中央から奥へと延びる階段。
その奥には見上げるほどの巨大な男性の石像。
そして、そこから左右に5対6の非対称で同じく巨大な石像が並べられていた。
男性、女性を問わないものの皆一様に荘厳な威厳を携えており、見るものが見れば威圧感すら覚える。
そして、建物の中央
ちょうど、建物の屋根に空いた穴の真下にあるそれは、豪華な装飾を施された木造の箱であった。
中央から見て左右に人一人ずつ座れそうなそれは、まさに懺悔室の様相を思わせた。
(今の自分に、何の懺悔をしろというんだか)
これが、何の儀式かわからないが他にやれそうなこともないため
懺悔質のドアを開ける…事はできない。
そりゃそうだ、今の自分は狼だ。
ドアノブを回すことなんて出来るわけないだろうが。
などと考え、その場をうろうろとしていた。
他に何があるわけでもない
石像の片目に宝石でも嵌めて隠し扉を開くような要素も見当たらない。
仕方がなしにその場をいったん後にしようとした際
キィ
と後方で木が擦れる音がする
振り返ると、先ほどまでの箱の片方が、開いている。
まるで、手招きするようにその箱は開かれ奥をのぞかせている。
自分はもし生前このような状況に陥った際、生唾を飲む自信がある。
今はそんなものすら流れていない。
血を模した溶岩があるのなら唾くらい作れるようになってほしいと思う暇もなく
空いた扉の向こう。
その奥にある席を警戒するように眺める。
化物や濁流が流れてくる様子はない。
恐る恐る、自分はその席へと近づき
箱の中へと潜りこんでいった。
箱の中は暗く、一切の光源もない。
目の前で扉が閉められたのならそこは一切の闇で包まれる。
そして、自分は構える。
何が出てくるのかわからないが、その何かに備える。
にじり、にじりと聴いたことない音が聞こえる。
何かの足音が、小石を踏む音が聞こえる。
そしてそれは自分の反対側の方
その扉を開け、閉める。
ばたんという音とともに、再びの静寂。
自分は再び構える。
自分と相手を仕切るその板一枚で、その奥にいる何かを、警戒する。
ガタリ、という音ののちその間を遮っている板の一部が動いた。
それを動かすと、見事な編み目様の板材がみっちりと詰められており、相手の姿をうかがい知ることはできない。
一瞬の、静寂
自分は、戸惑う。
この暗闇の中で、相手はどのようなものかも判断できない。
その相手からのアプローチは、意外なものであった。
-「なるほど、試してみるとよいものだ」-
男の、声がした。
厚みのある男の声、声質は初老くらいだろうか?
なんにせよ、ここに来て初めての経験だった。
相手との会話が、できる。
その声は続ける。
-「理由あって、このような形となっている」-
その声に、自分はどう答えたものかと悩んだ挙句
「気にしていない」
とだけ返す。
-「まぁ、いいだろう」-
自分は確信した。
この男と、会話ができているということに。
やっとだ。
この世界に来て、やっと会話ができる相手と巡り合えることができた。
仮にここが地獄であったとしても、血肉にまみれ、水を恐れ、獣たちに追い立てられ続ける中で出会った初めての相手だ。
感動すら覚えた。
自分は続ける。
「一体、ここはどこなんだ」
自分の中でずっと付きまとっていた当然の疑問。
-「それは、ここか?それとも、別の場所か」-
「ここもそうだが、お前は知っているか?あの火山、そして化物たちがひしめくあの森を。それらを包括して聞きたい」
箱の向こうにいる相手に対し、はっきりと告げる。
「一体、ここはどこだ」
と。
少しの間が自分と男の間に静寂をもたらした。
-「ここは、そうさな」-
何かを思案するようなそぶりをしたのちに
-「神が作った世界。神世界とでもいおうか」-
と告げた。
「有史以来、神が介入しないで世界が造られる話は聞いたことないぞ」
自分は、こいつは冗談でも言っているのかと思いそれを皮肉で返す。何というかこの声を聴いていると自然と敬意も何も感じない。なぜか腹の底からふつふつとした怒りがこみあげてくる。
その怒りの意味を自分は判断ができずにいた。
ただ、自分が発する言葉にその怒りが溢れているのを感じた。
-「たが、それはここにおいて事実だ」―
そして男は続ける。
-「今お前がいるのも、その神世界の一端、お前と会話をするために切り取られた末尾の空間だ」―
「なら、自分はこの世界…神世界にとってよっぽど嫌われ者っていうのかい」
と自分は男に返す。
「おしゃべりするためだけに、わざわざ世界を切り取ったりよっぽどな理由があるみたいだしな。あの火山に幽閉まがいのことなんてするのは、神の御威光ってわけか」
男はその発言を聞き少し黙る。
-「そうだな、死せる狼よ。お前達はこの世界にとって異端。本来であれば、あの火山と麗しき水冷の森によって禁足地へ隔絶され続ける運命にあった」-
そして、男は続ける。
-「だが、お前はその禁足地を一人で抜けた。そして神世界へ足を踏み入れた。これは本来、許されざるべき行為なのだ」-
板の奥で、男の声がより厚みを増す。怒りの声に感じる。
「それで?今度はこっちに隔離するって寸法か。死なない怪物に容赦ないな」
-「皮肉は、それで終わりか?」-
男の声が自分の皮肉をぴしゃりと遮る。
自分は黙って、男へ同意を示す。
-「ここに隔離する理由は、先ほどお前が言う『おしゃべり』をするためではない」-
男は続ける。
-「その理由は2つある。その一つは、お前が知りたいであろうことについてであり、そしてもう一つは」―
一瞬の間が、流れた後
-「お前に、頼みがあるのだ」-
「頼みがある?」
そういう自分の腹の奥で、何かがこみあげてくるように感じる。熱された溶岩が火口をせりあがってくるような、あと少しでもこの男の言葉を聞いただけで怒りで狂いそうになって来る。
そういう男の声は、少し寂しそうにつぶやくように感じた。
-「お前があの大地を通り抜けた事への敬意として捉えてもらって構わない」-
その言葉を聞いたとき
敬意、という言葉を聞いたとき
「敬意、だと?」
自分は、壁の向こうの存在に怒りをぶつける。
「ふざけんじゃねぇぞ!何が敬意だ!あれだけの地獄を味合わせておいて、今更どの面下げてしゃしゃり出てきやがった!」
自分の中で何かが噴き出す。
その怒りは、自らを纏う炎となり
閉じられた闇の中で炸裂する。
炎により吹き飛ばされる懺悔の空間。
今になって思えば一体どっちの懺悔を聞く事になったのかももはや知る由もない。
だが、自分にとって
壁の向こうにいたその男を知りもしないはずなのに
なぜだか、許せるという感情がまるでなかったのだ。
瞬間
世界が光に包まれた。
文字通り眼を焼くほどのその光は自分へと突き刺さる。
だが今度は、その目を潰されることはなかった。
眼から涙のように迸る紅蓮が、潰されゆく瞳を即座に治していく。
その奥から現れたのは、一人の男だった。
その逞しい体躯と髭を持つその男は、自分を見て
嗤う。
「やはり、お前はそう来るか」
そういう男
唸る自分を見て、吠える獣を嘲るように男は嗤っている。
「やはりその炎、お前ならやはり」
それを成せるのかもしれない。
そういいながら、男は続ける。
「ようこそ、神世界へ。ここは君にとって異世界でありかつて世界にそれがあった時」
「君の世界にあった、神が統べる世界だ」
その男は、名乗る。
「我が名は、ゼウス!君が良く知っている。あのゼウスだ!」
迸る雷撃。
その一撃に吹き飛ばされながら自分はこの神殿からはじき出された。
「ようこそ、名を持たぬかつて罪人だった魂よ」
-この世界は、美しいだろう?―
ゼウスは、自分に対しそう告げた。




