36.
能力を打ち消す楔を無愛に向けて必死に放つ遙翔と、まるでアリの巣に水を流すように無邪気な笑顔を見せて遙翔の造った楔を消していく無愛。
無傷でありながら、体力も残りわずかなのか焦っている様子の遙翔と身体の複数箇所に穴が空いており、血が流れ出ている無愛。
圧倒的強者の立場であった遙翔は、自分が砂上の楼閣の上に立っていたことを実感させられた。
「ふざけるな。こんなデタラメな力っ」
「まだ一つしか能力、使ってないんだけど?」
これをデタラメと言われても困ると無愛は遙翔の放つ楔に臆せず一歩一歩遙翔に近づいていく。
「お前は【死月の災厄】に喧嘩を売ったんだ。簡単に死ねると思うなよ」
遙翔が最も恐れているのはまだ一つしか能力を行使していないという事実。無愛の能力の数を知らない遙翔からすればあといくつ能力があり、それがどれほどのモノなのかが分からない。
「……何故、殺しに来ない」
無愛は先ほどから自分に向けられる楔を消すだけ。遙翔を直接攻撃しては来ない。簡単に殺さないためと言ってもだ。
「………ダメだから」
「は?」
「人、殺さない。約束、したから」
それは、青海とした約束だ。
軍に入る前に、人を殺さないという約束をした。反故すれば、人は無愛を【死月の災厄】として見ることになり、誰も「天月無愛」という人間を見なくなる。
人として生きるのならば、人を殺さず、人のために生きろと。
青海が課した無愛の枷。
無愛の「簡単に死ねると思うな」とは、殺すつもりはなく、遙翔のしてきた悪事を今ここで全て掴み、水の泡にするということ。
学者など、自分の知的欲求から物事を深く追究していく者からすれば、自分の全てを取り上げられ、追放されるのは苦痛だろうと判断したからだ。
「……なんだよそれ」
「影夜のためにも、私は、人でありたい」
影夜が無愛のために動くように、無愛も影夜のために動く。
自分の傍にいてくれる影夜が、何を望んでいるかは薄々気づいていた。
影夜は、【月】の頃も何度か人間の街へと降りていた。それは偵察などではなく、興味から。
なんとなく、それでも確かに、無愛は分かっていた。
影夜は片割れだと、双子だと周りに言ってはいるが、影夜と自分は何かが違うと。
「影夜は、私のせいで、【月】になった」
無愛がいなければ影夜はあの研究所にいたかもしれない。けれど、無愛がいなく、あの研究所から逃げ出せていれば、影夜はきっと人間に混じり生き続けただろう。
あの研究所で最も人間に近い、人間の細胞を持つメノウ。人への理解も高く、人当たりの良い笑顔で懐にも潜りやすい。
「私が影夜の夢を、壊したらダメなんだよ」




