見たくないものを見ない権利、とか
今回が一番肝かもしれない、というところ。
少し前に見つけて、ブラウザのタブに残して寝かせていたネタなのですが。とても興味深い内容でしたので、ご紹介。
https://anond.hatelabo.jp/20221211130053
はてな匿名ダイアリーの「男性向け同人とかに検索避け文化とかがない理由が今更ながら分かった」というタイトルのエントリです。まあ、まとめサイトで見つけたものなんですけれど。なかなか楽しいので、ぜひご一読ください。
簡単にまとめると
・男は嫌いなものでも、見た後で避ければよい、と考える。
・女は嫌いなものは見ただけでもとんでもないダメージが入る。だから極力見ないように努力する。
・双方まったく行動原理が違うので、同じ人間とは思えないほどだ。
てな感じです。同人界隈の話なんですが、これって実はものすごく一般的に適用可能な話だと思いませんか? 単に男女二元論化するな、というコメントもありはするのですけれど、それでも。
これとは別な話ですが方向性が同じもので、女性同人作家が男性向けに転向したら、ものすごく幸せになれた、という話も同時期に見つけました。男性は、方向性が違う人でも、基本的には暖かく迎えてくれる(頭から否定しない)と。尤も男性向けは男性向けで良くない面も無いわけでは無かったそうですけれど。
古くは蘇民祭のポスター(来年2月に蘇民祭は終わりになってしまうのだそうです)、たわわ、大阪の萌え広告と、男性からすると、なんでそんなに噛みつくの、見ないようにすれば良いだけじゃない、と思う事が沢山あります。
実際、大阪問題の当時に出たある弁護士の意見として、「表現の自由に優越する見たくないものを見ない権利、なんて存在しない」と言い切っていたものもあります(ブクマが見つからない……)。この関係の話として、聞きたいものを聞かない権利を争った、「商業宣伝放送差止等請求事件」には最高裁判決が存在し、一応車内の広告放送は違法ではないとされましたが、聞きたくないものを聞かない権利についての補足意見も付けられています。
上記弁護士はこの判決に触れたうえで、「聞きたくないものであっても、無理やりにでも聞かされてしまう点は有る。だが、広告の場合見たくなければちょっと目をそらせば良いだけなので、保護の度合いはずっと低い」よって、広告を出したい表現の自由に優越する見たくないものを見ない権利なんて存在しない、と結論付けたわけです。
あ、書きそびれていたので追加。実はWeb広告ってその意味ではちょっと微妙なんですよね。目をそらす、という事が現実問題許されない。その点は、大阪広告もんだいよりはちょっと車内放送寄りかな、と思ってはいます。
このあたりを見ると、まさに最初に述べた性差による意見の対立そのものの構図となる事が判るでしょう。見かけたら目をそらせば良い、と考える男。精神ダメージを受けるのだから、目にすることすら避けたいと考える女。
今回のなろう広告の対立も、まあ傍から見ると「感情と論理の対立」というよりは「女性と男性の考え方の対立」という方が構造がすっきりして見えるのです。それは、女性が感情的で男性が論理的、と言う訳ではなく、嫌いなものへの対処の仕方が全く異なるため、相手のことが理解できないための対立、ということです。
というわけで、もう、そこにいるのは違った生き物である、ということを受け入れたうえでの会話としないと、あとは単なる(宗教)戦争しか残っていなくなってしまうと思うのです。
で、私は「表現の自由戦士」という言葉は楽韓さんのところで知ったのですが、やはり立場としては表現の自由戦士側です。
同人界隈あたりであれば、別にこのような話はどちらでも良いのですけれど、日本を自由主義・民主主義に保ちたいのであれば、見たくないものは見たくないのだ、と表現規制を掛けるような(最近だと埼玉のプール撮影会ですかね)人は他人に影響を与える政治家にはなって欲しくないですね。そういう人はパヨクと結託して利用されるだけでしょう。まあ、日本を共産国家、抑圧国家にしたいというのであれば判るのですけれどね。
それでも…… 確か昔児童ポルノ法の規制強化に唯一反対していたのは確か社民党だったんだよなあ。