メロウなラジオ、AORそして異世界シティポップ
都会の夜にアーバンな静けさを求めても得られるのは無機質な喧騒だけ。騒音が繁栄の象徴だとは勘違いしている都会人が多すぎるせいだ。郊外の田畑から聞こえてくるカエルや虫たちの鳴き声の方が同じ騒がしさでもメロウで風流というものだろう。アーバンライフで違和感を覚えるのは聴覚だけに限らない。お気に入りのスポーツカーで首都高をドライブし流れる夜景で疲れた目と魂を癒そうとしても、隣でぶっ飛ばすデコトラの鮮烈な光芒が瞳を惑わせ心を熱く高ぶらせる。そうなると、もういけない。荒れ狂う精神が命じるままにアクセルを吹かしてしまうのだ。覆面パトカーが後ろにいるというのに。そんな感性のズレは五感に限ったことではない。潮風を頬に感じながら海の見える公園を歩くとスケボーのガラガラ音が鼓膜を震わせ昔、そう、ほんの少し昔にローラースケートで階段を転げ落ちたときの古傷の痛みを思い起こさせる。とっくに治っているはずなのに。ついでに、思い出してしまう。自分がもう若くないことを。
夜は人を感傷的な気分にさせる。そんなこと、わかっているはずなのに。同じ過ちを繰り返す。若さゆえの過ちを。そんなとき思い出す。フォゥウ! とシャウトしながらマイケル・ジャクソンのダンスを真似したことを。封印したはずなのに。80年代の記憶は。マイケルの死と共に。さようなら、マイケル。
やんちゃそうな青少年たちが公園の隅で忘れかけたステップを踏む中年男性を見つめている。僕のことだ。ダンスに見惚れているのでなく、様子を窺っている感じがした。金や貴重品を狙われている気がする。引き上げ時だろう。さようなら、僕の愛した公園。僕も昔、遠い昔、あのやんちゃ坊主みたいに深夜まで遊んでいた場所よ、グッバイ、グッナイ。
家に戻り、冷水シャワーを浴び、酒を作って、ソファに座る。リモコンでテレビの電源を点けて消し、スマホを見て、それも消す。備え付けのマイクへ向けて指示を伝え、音声入力でコンポーネントステレオのラジオを点ける。好きな番組があるのだ。懐かしいシティポップやメロウなAORを、じっくり聞かせてくれる。寝酒のつまみにちょうどいい。
僕はアルコールの入ったグラスを傾け、一口すすった。馥郁とした香りに陶然とする。また一口。むせる。
それでも癒されることにかわりはない。最高のひと時だ。後は最高の音楽があれば、それでいい。メロウなメロディーに浸りたい。
間もなくラジオ番組が始まった。
A「どーもどーもどーもです、こんばんわ、シティポップスの新世界ラジオ夜のミュージックが始まりましたー!」
B「どーもーって、おいおい、自己紹介自己紹介自己紹介忘れとるがながながな、ガーナチョコ」
A「そういうしょうもない小ネタのギャグやめーいってマネージャーさんに言われとるやろ」
B「そうでんがなそうでんがな送電相伝一子相伝でんがな」
A「言っていることの意味が分からん。なあ相方、これラジオやで。漢字を見せないと、そのギャグ通じへんって、リスナーの皆に分からへんって」
B「そやかてな、台本に書いてあるねん」
A「ナイナイ、そんなこと、どこにも書いてない」
B「いや、よく見てみい、あるやんあるやんアル・ヤンコビック」
A「ないて」
B「あるて」
A「どこにあるんや」
B「ホレここ、読んでみい」
A「えっと、自己紹介って書いてあるな」
B「ほれみい! あるやろが! はよせい、自己紹介!」
A「ちょっと見間違っただけやん。そんなに注意せんでもええやんか、感じ悪いなあ、落ち込むなあ」
B「ちょっとちょっと君君、オープニングから気分下げてどうすんねん。ポップなノリで行こうやないかいワレ! ワシら明るいシティポップスやで! 明るく陽気にウキウキウォッチンや!」
A「深夜に気合入りまくってんなあ。ま、気ぃ取り直してこ。えっと、あらためましてこんばんわ。コント芸人シティポップスの片割れシティポです」
B「そして僕は相方のップスですって、なんやねん、ップスって!」
A改めシティポ「ップスやがな」
B改めップス「ップスって言いにくいやろ!」
シティポ「言っているやん」
ップス「言えてないっての」
シティポ「試しにな、もう一回言ってみい」
ップス「ップス」
シティポ「言えるやん」
ップス「言えてない、そう聞こえてるかもしれんけど、ホンマは言えてないんや!」
シティポ「なんでやねん」
ップス「なんでやろな」
僕は「なんだこれ」と思った。普段の番組とはまったく違う、全然別の雰囲気だったせいだ。
いつものパーソナリティーは落ち着いた語り口調の男性で、聞いていると寝落ちすることがたまにあるくらいメロウなのだけれども……別の番組だろうか? オーディオのディスプレイで確認する。周波数も番組名も普段通りだ。訝しく思いながら席を離れキッチンで酒のお代わりを作って戻る。
シティポ「この番組は株式会社ドリコムの提供でお送りします」
ップス「第2回ドリコムメディア大賞の情報をお伝えしますので、お楽しみにして下さいまっせ!」
僕は安心した。株式会社ドリコムの提供で、第2回ドリコムメディア大賞の情報をお伝えするという聞き慣れたフレーズが嬉しい。肩の力を抜き、ソファーでくつろぐ。
そのときだった。
シティポ「それでは今日の小説をご紹介します。西京都のペンネーム、レイニー・ドラマティカル・メロウブルウさんからの投稿作品です」
ップス「朗読は声優の〇〇●●さんと、△▼△▼さんでっせ! 耳かっぽじってよく聞いとくれやす!」
僕は緊張で体を強張らせた。そのラジオネームは、僕の使っているものだったからだ。体を起こし、コンポを凝視する。ディスプレイでデジタルの緑柱が上下に波打つ。胸の鼓動が収まらない。
このラジオ番組では、第2回ドリコムメディア大賞に送られた作品を紹介している。僕もエントリー済なので、紹介される可能性があるのだ。
僕が書いたのは、80年代に活躍したAORのシンガーが異世界に転生し、そこで新たなシティーポップを生み出すという話だった。
これから紹介されるのは同姓同名の小説だろうか? それとも僕の作品なのか?
答えは、もうすぐわかる。
僕はグラスのアルコールを一息で飲み干した。ラジオに耳を傾ける。全身全霊で、スピーカーから放射される音の波を待ち受ける。
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ズンドコ、ズンドコという低周波のリズムが子宮を揺るがす。立ったままの私が縛り付けられている柱が揺れているせいだ。その低い律動は、どこから生じているのか? 目隠しされているから、私には何も見えない。だけど分かる。その音が、だんだん強くなっているのが。
男の声が聞こえてきた。
「プリンセス・アルドロツルーベキアこと通称アルツルーア姫よ、どうだね、今のご気分は?」
私は男の問いかけに返事をしなかった。私に無視された男は不気味に笑った。
「フフフ、高貴な聖女様は俺のような異世界からの転生者と話すための口は持たないと見える」
そして男は私の顎をつかんだ。
「あっ」
「なんだ、喋れるじゃあないか」
男は私の顔をつかむ手に力を込めた。
「痛かったら、悲鳴を上げて構わないんだよ、好きなだけ泣き叫んでもいいんだ」
顎の骨を砕かれそうな気がして、泣きたくなったけど、でも聖女の誇りが許さない。私は目隠しの陰で見えない男を睨んだ。
秘密の話だが聖女の私には善の呪いを掛ける力がある。私に睨まれた人間は死ぬ。布で目を覆われていたって、効果に変わりはない。私に呪われた相手は苦しみ抜いて死ぬ。この男も例外ではない。だから死ね、今すぐに!
しかし男は死なない。私の顎を片手でつかみながら、悠々と話を続けた。
「アルツルーア姫よ、君を誘拐した非礼をお詫びしよう。祈りを捧げているときに、本当に申し訳なかったと思う。だが、俺の目指す新たなシティーポップに、聖女様は必要不可欠なのだ。君の歌声で、80年代の音楽が完全に蘇る……と、俺は信じている」
聖女の私は教会で神に祈りを捧げながら昼寝をしている最中に、何者かに拉致された。気絶した状態で運ばれ、目を覚ましたのは先程だ。真っ暗で何も見えなかったけど、背中に柱のような物が当たっているのが感じられた。その柱に後ろ手で縛り付けられているとさっき説明したけど、縛られているのは腕だけじゃない。足もだ。胴も腹帯のようなもので柱に固定されている。動けない。
それでも私は手足に力を込めてみた。私の力は百万聖女パワーだ。太い鎖すら引きちぎれる。
だが、しかし! いつもの力が出て来ない……と落胆する私に男は言った。
「その目隠しには特殊な薬を沁み込ませている。その薬の影響で、君は今、一馬力以下だ。見た目そのままの可憐な女の子だよ」
褒められている気がして、思わず相手をしてしまった。
「何が目的なの? 何のために私を誘拐したの!」
呆れた様子で男は言った。
「おいおいおいおい聖女様、君は人の話を聞かないのかい? アルツルーア姫の可愛らしい耳たぶは、誰かに舐られるために付いているのかい? こんなふうに」
私の顎に掛かる力が消え、アゴクイ状態は終わった。その代わり、男の熱い吐息が耳の周囲で感じられた。私は小さな悲鳴を上げた。それで男は満足したらしい。また不気味に笑った。
「その声だ、その声が、もっと大音量で欲しい。それで80年代の音楽を再現する。それは新しいシティーポップの代名詞となるだろう。そこで、これの出番だ。振動パワーを上げるよ」
柱が振動した。ズンドコ、ズンドコと。何なのか、意味が分からない、だけど。体の奥が熱くなるのが分かった。
顔を赤らめる私に男が囁く。
「恥ずかしがることはない。気持ち良さを声に出すがいい。私は君の喘ぎ声をサンプリングする。そして、それを音楽に使う」
気持ちよくなんかない。絶対に変な声なんか出さない! でも、様子が変だ。足の力が抜けてきた。
男は抑揚のない声で言った。
「君を固定している機械は婦人科の治療に使う特殊な低周波温熱装置だ。生理不順や生理痛などの改善に用いられる。内臓を外から温め、ホルモンバランスなどの乱れを修復する働きもある。高かった。さてアルツルーア姫よ、君が婦人科系の疾患で苦しんでいるのは調査済みだ。君のために、この機械を用意したんだ。安心して心地よさに身をゆだねるがいい」
私は叫んだ。
「私は屈しない、絶対に負けない!」
それなら、それでいいさ、と男は言った。それから寂しげに言い添える。
「今人気の聖女様だが、君に青江三奈の代わりができるか、まだわからない。でも、君を鍛えて、あの声を出せるようにしてみる。そして蘇らせるよ、令和の異世界に、伊勢佐木町ブルースを」
何を言ってんだ、この変態は……そう思いながら私は全身の疲れが融けていく快感にまどろんでいた。
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女性声優の語りが終わった。ごくりと唾を飲み込む。空になったグラスをテーブルに置く。頷く。間違いない、僕の作品だ。
シティポ「どうです、この作品は?」
ップス「普通っすね、いや、普通じゃない、変ですね」
僕は思った。普通か、あるいは変なのかよ。他の言い方ないのかよ。
シティポ「まあね、こういう作品、いつもだったら絶対に読まれない」
ップス「いつものMCの方が体調不良でお休みってことでワイらシティポップスが名前つながりで呼ばれて、いつもとは違う雰囲気で行こうってことで、この作品を選んだんですけど、失敗っすね。変すぎ」
失敗か。失敗だと? くたばれシティポップス。お前らのフリートークもつまんねえんだよ!
怒り狂いながらも僕はラジオの電源を切れなかった。投稿を読まれたのは初めてだったからだ。
番組は、やがて終わった。僕はすっかり目が覚めた。テーブルに執筆用ノートパソコンを置く。そして、もっと変な作品を書き始める。変な小説を投稿することが、僕の生きがいなのだ。