聲
「夏のホラー2023」のテーマ「帰り道」に参加中の作品です。
井戸十郎太は、うんうんと唸りながら、夜道を歩いていた。自身の屋敷に帰る最中である。
半月の月光は美しく、そろそろ花も咲き綻ぶ季節。
普段ならば、惑わされるような夜だ。
しかし、十郎太の脳裏に浮かぶは、先に会った村人達の痩せこけ疲弊し切った顔ばかり。
この地域は、長らく雨が降らず、作物の不作が続いているのだ。
十郎太は若輩者でありながらも、此処を任された身。解決の糸口を見出さねばならないが、出来ずにいた。
「どうしたものか……」
大きく吐き出す溜息と共に思わず漏れたそれだったが、答える者などいやしない。
十郎太は肩を落としていた。
と、鈴を転がすような声がある。
「もし」
「え?」
靄の掛かったような十郎太の頭の中を一瞬で晴らしたその声に立ち止まれば、彼は目を瞠った。
「これは、……危ないところであった」
提灯の照らす先に道はなく、急な斜面が闇と交ざり合っていた。
「どなたが声を掛けてくれたのか……?」
提灯を翳すも、ちろちろとした灯りは闇夜に負けてしまう。月光さえも、それは同じであった。
「どこのどなたか存ぜぬが、礼を言う。忝い」
十郎太は、しかし闇夜のどこかから声を掛けてくれた主に深々と頭を下げ、帰宅の途に就いたのだった。
コンコン、妖しく。
月夜に跳ねる姿無し。
コンコン、艶やか。
夜風に踊る姿無し。
コンコン、彼の者待ち遠しい。
十郎太は次の夜も、過日同様に頭を悩ませていた。
浮かぶのは、やはり村人達の苦しく辛い顔と声だ。
「雨が降らねば、皆が今以上に苦しむことになる」
半月よりもやや丸みを帯びた月を見て、十郎太はまた大きく溜息を吐いた。
月夜が美しいことは良いことだが、時に陰るからこそ美しく想うのだろう。
日照りばかりでは、干上がってしまう。
「皆の声を聞くばかりで、俺に出来ることはないのか……?」
「もし」
また鈴の音のような声がする。
「もし、お侍さん」
十郎太は立ち止まった。
今度は目の前に斜面はない。
しかし、過日のこともある。
十郎太は、提灯を再び夜の闇に翳してみた。
「昨晩俺を助けてくれたご仁ですかな」
「然様にございます」
どこから答えているのかと灯りと月光を頼りに目を凝らすも、やはり姿は見えない。
「昨夜と同じ難しいお顔をされていましたので……何かお困り事でも?」
その問いは、十郎太の視線の先からのようにも、背後からのようでも、はたまた雑草が生い茂る左右の道脇からのようでもあった。
「いや、お恥ずかしい。そちらには俺の顔がしっかりと見えておいでのようだ」
が、十郎太は暫しこの見えない声の主に付き合うこととした。
「最近、この村に雨が降らないのでな……このままでは畑が駄目になってしまう。それで、どうしたものかと」
「まあ、それは大変」
「この辺りの神社にも相当通い、祈願をしているのだが、神様もお忙しいのであろう。なかなか雨を降らしては下さらぬ」
自嘲気味に笑い、皮肉めいたことを言えば、声が再び鈴を転がしたように笑った。
「神にも得手不得手がございます故」
「え?」
「明日、村外れにある平八の畑を皆で深くふかぁく掘られてみて下さいませ」
急に凛と言われたその言葉に、十郎太は呆気に取られた。
「平八の畑を?」
問い返しても、応える者はおらず。
「おや? 聲の君?」
辺りを一通り見渡した十郎太だったが、首を捻りながら再び家路に向かったのだった。
コンコン、妖しく。
月夜に跳ねる姿無し。
コンコン、艶やか。
夜風に踊る姿無し。
コンコン、彼の者待ち遠しい。
聲を掛ける機、待ち侘びる。
十郎太は、またもやうんうん唸りながら、月夜の道を屋敷に向かって歩いていた。
先ほどまで、平八のあばら家で村人達と酒を酌み交わしていたのだが、一向に酔うことが出来なかった。
「もし」
あの声だ。
十郎太は立ち止まる。
もう提灯で辺りを照らすことはしなかった。
「どうでしたか?」
声は、数日前に十郎太へ助言した穴掘りのことを尋ねてきた。
それは、勿論。
「水が、……湧き出てきた」
「それは良かった」
鈴が転がるような可愛らしい笑い声に、十郎太の表情はしかし浮かなかった。
最初、平八に畑を掘ることを伝えれば、もちろん彼は疲弊し切った顔を呆れさせた。
『井戸様、狐に化かされてんでねぇか?』
が、十郎太が食い下がれば、平八も他の村人も若侍の気が済むならば、と手伝ってくれた。
すると、どうだろう。
数日間に渡り平八の畑を深く掘り進めると、水が湧き出てきたのだ。
『井戸様! 井戸様が一生懸命わしらのことを祈って下すったから、神様が助言して下さったんだべや!」
当初と言っていることが違うではないか、調子良い奴め、と十郎太は苦笑した。
早速そこから皆の畑へと水路を引き、当面は確かに問題ないだろう。
しかし、不思議だ。
何故、あそこに水脈があると知っていたのだろう。
それだけなく、この聲の正体――
「どうされました? まだ何かお困り事でも?」
「いや、聲の君のおかげで、この村の困り事は……」
「聲の君?」
声だけだのに、首を傾げるような雰囲気が十郎太に伝わってきた。
「あっ、これはご無礼仕った。名を訊きそびれていたものだから。という俺も、名乗っておらぬな。俺は、井戸十郎太」
「井戸十郎太様」
「そなたの名を教えてもらえぬか?」
「わたくしの名は……聲の君という名が気に入りました。これからも、そうお呼び下さい」
「え? それで良いのか?」
「ええ」
嬉しそうに応える聲の君に、十郎太は「では」と続けた。
「聲の君、そなたに御礼がしたい」
「まあ。よろしいのですか?」
「ああ。一夜目は俺の命、二夜目は村を救ってくれたのだ。せめて、何かさせてくれ」
「でしたら、……ッ⁉」
聲の君が言葉を紡いでいた最中、急に草陰が何やらガサガサと大きく揺れた。
と、ワンワンッとけたたましい犬の鳴き声が数匹分聞こえたかと思えば、この世の者とは思えない唸り声も重なる。
「井戸様ぁ!」
「井戸様!」
何が起こっているのかと狼狽している十郎太の背後から、今度は数人の呼び声が聞こえた。
十郎太がそちらに振り向いた時分。
ぎゃああぁ……!
耳を劈く悲鳴が聞こえ、それはやがて消えた。
「なっ、……何だ?」
「井戸様、お怪我はねぇですか?」
あっという間に村人達に取り囲まれ、十郎太はただただ困惑していた。
「お前達、どうしたというのだ?」
「どうしたって、それはこちらの言うことですぜ」
「え?」
「宴の最中から心此処に在らずでしたから、心配になって後を追ってきたんです」
「したらば、道のまん中で呆けている井戸様がいるじゃあねぇか」
「こりゃあ只事じゃねぇ、何か物の怪の類が傍にいるんじゃあねぇかって、犬を放ったんです」
興奮気味に代わる代わる話す村人達が言い終わる頃に、一匹の犬が草陰から姿を現した。
暗いそちらにひとりの村人が提灯を向けた途端、「ひぃ……」と小さく悲鳴を上げた。
危うく取り落としそうになった提灯をまた十郎太に向ける。
「あ、あれ……見て下せぇ、井戸様」
「何を……あッ!」
十郎太が村人の言う方向へと提灯を向ければ、火よりも赤い衣を纏う一匹の狐を犬が咥えていた。
いや、赤い衣のように見えるのは、血だ。
その狐は本来真っ白い毛並みのようだった。
「な……なんてことを……」
十郎太は犬の前まで行くと、狐をどうにか口から引き抜いた。
だらりと腕の中で冷たくなっていく狐を、十郎太にはもうどうすることも出来ない。
「や、やっぱ……井戸様は狐に憑かれて……」
「違う!」
怯えて狐のせいにする村人を、十郎太は一喝した。
「この者は、村を救ってくれたのだ! 湧き水を教えてくれたのも、この……聲の君だった……」
「なッ、なんと……」
十郎太の言葉に、村人も大慌てで膝と額を地面に付けた。
「申し訳ない! てっきり、物の怪の類かと……!」
「ゆッ許してくれぇ……!」
村人達と共に、十郎太も必死に祈った。
彼らに決して悪気があったわけではない、と。
「せめてもの償いとして、この径の脇に聲の君の塚を作り、井戸家では狐を祀ろうぞ」
十郎太はそう誓い、白い狐の亡骸を自身の屋敷へと連れ帰ったのだった。
しかし、時すでに遅し。
それから暫くして、聲に教えてもらった湧き水は途絶え、梅雨時期でもこの地域だけ雨が降らなかった。そのせいで作物は皆枯れ、人も土地も痩せて、多くの餓死者を出してしまったそうだ。
十郎太はというと、白狐を祀った屋敷の部屋から出てくることがめっきりなくなり、村人達からは本当に狐に憑かれてしまったと囁かれた。
村から屋敷に帰る径の脇に築かれた塚の前に、時折十郎太の姿があったそうだが、あれだけ熱心に村人達と畑の手入れについて話していた若侍の面影は、もうなかったという。
土地の痩せた村からは自然と人がいなくなり、その後、十郎太がどうなったのか知る者はいない。
皆様も、家に帰るまでの道、鈴の音を転がすような心地良い声を聞いた時には、ご注意を……
コンコン、月夜に跳ねる姿無し。
コンコン、夜風に踊る姿無し。
コンコン、聲が聴こえし者よ。
聲が、聴こえし君よ。
~了~
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