ちゃんと仕事をするタイプの悪役令嬢に転生していました。
「エリザベス、君との婚約を破棄する」
突然のセドリック殿下の宣言に頭が真っ白になり、突然この世界とは違う記憶が蘇った。
あ……これ、転生しちゃいましたってやつだ。
前世で読んだ転生ものの小説だと悪役令嬢は実はヒロインに常識を説いていただけで虐めているわけではないし、そんな悪役令嬢を助けるためにヒーローが颯爽と現れたりするのだけど、どうやら記憶を取り戻す前の私は本当に聖女様を虐めていたみたい。
それこそ小説ではヒロインが悪役令嬢に「ちゃんと悪役の仕事しなさいよっ!」って怒るシーンをよく見たけど、どうやら私はちゃんと仕事をしていたようだ。
だって、おそらく同じく転生者であろう聖女様が、とても満足そうな笑みを浮かべているもの。
聖女らしくない笑みを。
よりによって何で今?
もっと早く思い出していれば対策できたのに。
どうしよっかな……
「なんとか言ったらどうだっ!」
逃げるに限る。
「婚約破棄ですね。かしこまりました。今まで大変お世話になりました。殿下、どうぞ聖女様と末永くお幸せに」
「えっ? あっ、あぁ、ありがとう……」
殿下があっけに取られている間に踵を返し、足早にその場を去ろうとした。
「セドリック様〜、私辛かったですぅ」
やっぱりそっち系のヒロインですか。
大人しく譲ろうとしているのだから見逃してくれればいいのに。
「そっ、そうだな、待て!」
聞こえないふりをしよう。
「待て待て待て待て! お前聞こえているだろっ!」
やっぱり駄目か。
諦めて殿下に向き直った。
「手間をかけやがって。コホン、よく聞け。お前のシルヴィアに対する虐めの報告が上がってきている」
書類の束を見ながら殿下は罪状を読み上げ始めた。
暴言を吐いた。水をかけた。階段から突き落とそうとした───
そうね。いくつか身に覚えのない事もあるけれど、概ね私がした事で間違いないわね。
でもね、私がとても厳しい王子妃教育を受けている間に殿下は聖女様と逢瀬を重ねていたのよ。
私はもう何年もプレゼントを貰った事がないけれど、聖女様は毎回新しいアクセサリーを着けていた。
前世でもそうだった。
私はひと回り以上年上の男性と結婚したのでかなり早い段階から義母の介護をしていたのだけれど、気力も体力もすり減ってお洒落をする元気もなかった。
そして夫はあっさり愛人を作った。
愛人には服やアクセサリーをプレゼントするのに、私には誕生日に「おめでとう」の言葉すらない。それどころか、夫は私に「お前、女捨ててるな」という暴言を吐いた。
その後の私がどうなったのかは思い出せないのだけれど、生まれ変わっても報われない人生って……神様は私になんの恨みが?
「おい! 聞いているのか!?」
「……申し訳ございません。いくつか身に覚えのない罪状がありましたが、概ね間違いありません」
「認めるのだな?」
「はい」
「ふん、急にしおらしくして罰を軽くしようという魂胆か?」
「いえ、罪は償います」
「言い逃れができないとわかっているようだな。最後の情けだ。何か言いたい事があれば言え」
いいの? 本当に? めっちゃ文句言いたい!
でも、前世の記憶が蘇る前の私がそれを止めようとする。
えぇ、こんなにひどい男なのに……しょうがない。「エリザベス」の気持ちを昇華させないと先に進めないものね。
「そうですね。ひと言お伝えすることを許していただけるのならば……私は心から殿下をお慕いしておりました」
「……えっ?」
「初めてお会いした時、眩しいほどの笑顔を向けていただき、こんな素敵な方の婚約者になれるのだと天にも登る気持ちでした」
「セドリック様ぁ、ひと言だけって」
「静かに!」
私の告白を遮ろうとした聖女様を殿下は止めて、私に続きを促すように頷かれた。
「だから私は殿下に迷惑をかけることのない様に、殿下の隣に立つに相応しい人になろうと、どんなに厳しい王子妃教育にも耐えることができました」
エリザベスとしての記憶が強く出てきて、思わず扇子を握りしめて俯いた。
「なのに、私が先生から褒められる様になればなるほど、殿下は私に微笑んではくださらなくなりました。私に向けてくださっていた笑顔も言葉もプレゼントも全て聖女様に向けられて……私は悲しかった。だからと言って嫌がらせなどしてはならない事です。殿下をお慕いするあまり嫉妬などという醜い感情から聖女様には酷い事をしてしまい、本当に申し訳なく思っております」
「そうですよぉ。どんなに悲しいからといって、虐めていい事にはならないんですからね!」
「はい。聖女様のおっしゃる通りです。申し訳ございません。罪を償わせていただきます」
「あたり前じゃないですかぁ!」
予想外の告白だったからなのか殿下が何も言わないので会場が沈黙に包まれていた。
すると、誰かが呟いた。
「……俺の母上みたいだ……父上は母上に領地経営を任せっきりで、ご自分は愛人宅に入り浸り。母上がいるから経営が成り立っているのに母上には何も買わせず、愛人にばかり宝石やドレスを買い与えて……」
「私のお父様もそうです……」
えっ?
「うちも似ている」
「私のお父様も……」
ちょっと多いわね。
貴族の男性は愛人のいる事が多いとは聞いていたけれど。
「もうっ! なんなんですか!? あっ、わかった! 貴方たちエリザベス様にそう言えって頼まれたんでしょ? エリザベス様って本当に最低ですね!」
「そんな」
「違います! エリザベス様の話を聞いていて既視感を覚えるなと思ったら父のことだった! と思って言っただけです」
「そうです!」
「私もです!」
「俺もです!」
私の言葉に被せるように、皆口々に否定してくれた。
「もうっ! 殿下! なんとか言ってくださいよぉ!」
「……エリザベス、聖女様の言う通り、だからと言って虐めていい事にはならない」
「はい」
「ですよね! セドリック様〜」
「だが、こんな衆目の前で言うべき事ではなかった。俺も筋が通っていない事をしてしまった。エリザベス、すまなかった」
「えっ!? セドリック様ぁ?」
「エリザベス、いくつか身に覚えがないと言っていた事を教えて欲しい。再調査しようと思う。疲れているところ申し訳ないが、この後別室へ来てもらえないだろうか?」
「信じてくださるのですか?」
「セ、セドリック様? そんな必要ないですよね? 虐めていたことに代わりはないんですよぉ?」
「そんな事はない。例えば水をかけるのと階段から突き落とすのとでは罪の重さが変わってくる」
「でっ、でも……」
「聖女様は俺にいいかげんな判断をしろとおっしゃるのか?」
「そっ、そんなつもりじゃないですぅ。っていうか、セドリック様、さっきからどうしたんですかぁ? よそよそしい話し方なんてやめてくださいよぉ」
「俺は本当に愚かだった。婚約者のある身でありながらほかの女性と親しくなるなど……聖女様、少し時間を貰えないだろうか。落ち着いて、いま一度自分の気持ちと向き合いたい」
「嫌です!」
なおも縋ろうとする聖女様を、殿下は護衛騎士に目配せして連れ出させた。
「セドリック様!」
聖女様は会場の扉が閉まるまで殿下の名前を呼び続けていた。
*****
あの後、私は別室で殿下と次期宰相候補様から事情聴取され全てについて正直に答えた。
会場では仕切り直して卒業パーティーが行われた様だけど、私は会場には戻らずそのまま屋敷に戻った。
後日再調査が行われた結果「階段から落とされそうになった」や「屋上から花瓶を落とされた」など命に関わる様なものは冤罪であることが証明された。
騎士団長の息子と筆頭魔術師の息子が聖女様に頼まれて偽りの証言をしていたことを自ら申し出たのだ。
セドリック様は自ら王位継承権の放棄と臣籍降下を申し出て、王家所有の領地の中でも王都から一番遠く貧しい土地に移った。
その際、殿下から「図々しいとはわかっているが、やり直せないだろうか?」と言われた。
まるで魅了の魔法でもかけられていたかの様な変わり様に戸惑ってしまった。
きっと前世の記憶が戻る前の私なら喜んでついて行っただろう。でも今の私は、一度心変わりをした人を信じる事なんて出来ないし、何かある度に「もしかしてまた浮気?」などと悩むなんて嫌なのでお断りした。
偽りの証言をした二人は廃嫡および貴族籍を剥奪されたが、セドリック様から声をかけられ従者として一緒に領地へ旅立った。
聖女様は悪用できない様に膨大な魔力を封じられた上で神殿預かりとなった。今後は魔力がなくなるまで治癒魔法をかけ続ける毎日となるらしい。
私は聖女様への行いを償うため、私自身の私財から孤児院への寄附および1年間奉仕活動を行うことになった。
真面目に誠心誠意込めて奉仕活動をこなす事1年。
私は領地に戻った。
そして誰に言われたわけでもないがそこでも孤児院の手伝いを行う事にした。
そしてさらに1年が経った。
今日も孤児院で子どもたちに本を読み聞かせていると、子どもたちが騒ぎ出した。
「ジェフリー様だ!」
「エリザベス様、ジェフリー様が来たよ」
ジェフリー様に子どもたちが走り寄る。
「ジェフリーまた来たのか?」
「おい! せめて『さん』付けろ! 年上を敬え」
「ジェフリー様、この前送ってくれたお菓子も美味しかったよ! ありがとう」
「そうか、良かった。今王都で1番人気のお店なんだぞ」
「ジェフリー様、また鬼ごっこしよー」
「えー、肩車して欲しいー」
「わかった、わかった。両方しよう」
「「「「「やったー!」」」」」
「ふふっ、ジェフリー様、いつもありがとうございます」
ジェフリー様は伯爵家の嫡男で学園を卒業してからは宮廷で働いていらっしゃるのだけど、私が王都で奉仕活動をしている時も領地に戻ってからも、お休みの度に孤児院にいらしてはみんなと一緒に遊んでくれる。
兄からの手紙によると、ジェフリー様は非常に優秀らしく、それ故に上司からどんどん仕事を回されているらしい。
ジェフリー様は「王都から馬を飛ばし続ければ5時間で来れる」と言うけれど、せっかくの休みはゆっくり休んだ方が良いのではないかしら?
いくら鈍感な私でも流石に単なる親切心だけではないと気づく。
でもはっきり気持ちを伝えられたわけではないので
「無理をしないように」
「せっかくのお休みは王都で他の方との交流に充てた方が」
などと、やんわりここへは来ないようにお伝えしているのだけど、
「俺が来たくて来ているんです。気晴らしになるんですよ」
と笑顔で言われるとそれ以上は何も言えず……
「エリザベス様?」
「!?」
考え事をしていた私の前に突然ジェフリー様の整った顔が現れて叫びそうになった。
「どうされました?」
心配そうに覗き込む顔が近過ぎて睫毛の数を数えられそう。
「いっ、いえ、何も」
ふっ、と微笑んだジェフリー様が頬を掻きながらおっしゃった。
「エリザベス様、少し二人で話せませんか?」
「えっ、あっ、はい」
というわけで二人で散歩をしているのだけれど、先程からジェフリー様は黙ったまま。
とうとう告白かしら?
もしそうなら、やっとはっきりとお断りすることができるわね。
そう思った瞬間、胸がチクッとした。
えっ、やめてよ。少女まんがじゃあるまいし。
前世同様私には男運がない事が嫌というほどわかり、生涯独身を貫くと決めているのだから。
するとジェフリー様が急に立ち止まって私に向き直ると一気に告げた。
「こうしてお話しさせていただけるようになって2年が経ちました。俺はこの2年間貴方を側で見てきました。子どもたちに向ける優しい笑顔をずっと……これからも見守りたい。俺と結婚していただけないでしょうか?」
「私は聖女様を虐めた悪女ですよ。そんな私と一緒になればジェフリー様の輝かしい未来に傷がつきます」
「聖女様が心清らかな方で一方的に虐められていたのであればそうなのでしょうが……聖女様の普段の行動を見ていた者やあの日パーティー会場に居合わせた者の殆どが、エリザベス様が嫉妬にかられる気持ちはわかると言っていますよ」
確かに聖女様に婚約者を奪われた方々や、あの時援護の声を上げてくださった女性からはよくお手紙やお茶会への招待状が届いているけれど……
「どんな理由であれ、虐めは許される事ではありません。そう思いませんか?」
「そんなことは、いえ、あの……」
正直なジェフリー様はがっくりと項垂れた。
そしてしばらく黙っていたジェフリー様はゆっくりと話し始めた。
「俺の父親は母に領地経営を任せっきりで、自分は愛人宅に入り浸りなんです。母がいるから経営が成り立っているのに母には何も買わせず、愛人にばかり贅沢をさせて……」
えっ? どこかで……。
「俺は父親の様にはなりたくない。妻となる人を一生守りたい。そのためにも自分が好きだと思った人と結婚したい。もし万が一貴方が心配しているような事があったとしても、周りにとやかく言わせません。それで不利益を被るような仕事はしてきてはいないつもりです」
「あの声はジェフリー様だったのですね……」
なぜ気づかなかったのだろう。
ジェフリー様があの日最初に声を上げてくださった方だったという事実に今やっと気づいた。
あの時は後ろを振り向く余裕はなかった。
彼のあのひと言から周りが「私も」「俺も」となりその場の雰囲気が一気に変わった。
そうだったのね。私はあの時からずっと彼に守られていたのね。
この2年間、彼が優しくて真っ直ぐな性根の方だという事はわかっている。でも……
「私は怖いのです『また裏切られるのではないか』と疑ってしまう事が。疑って、貴方を傷つける事が」
「疑ってしまう原因は、言葉が足りない事だと思います。もちろんそれが全てではないですが。毎日言葉でも行動でも示して、エリザベス様の不安の原因を一つでも取り除く努力をさせて貰えないでしょうか?」
「ジェフリー様はとてもお優しい方ですから、ご自身のお母様と私を重ねて同情なさっているのだと思います」
私がそう言うとジェフリー様は表情を曇らせた。
「まだ起きていない事に対して不安になる気持ちについては理解出来ますが、俺が今エリザベス様を想っている気持ちまで疑われたら悲しいです」
心臓が掴まれた様に痛んだ。
自分が傷つきたくないからと言ってジェフリー様を傷つけてしまった。
この2年、側で子どもたちに向ける優しい笑顔を見て来たのは私も同じ。
どの孤児院でもジェフリー様は子どもたちに慕われていた。
彼はいつも誠実だった。
そんな人に私はなんてひどい事を……
「失礼な事を言ってしまってごめんなさい。ジェフリー様を信じていないのではなく、自分に自信がないのです」
優しいジェフリー様を傷つけてしまった。
申し訳なくて俯いているとジェフリー様が近づいて来て、そっと抱きしめてくれた。
「貴方の笑顔が好きです」
頭の上から聞こえてくる彼の優しい声に涙が溢れた。
「貴方の優しい所が好きです」
「貴方の真面目な所も好きです」
……これは好きな所を挙げていって、私に自信をつけようとしてくれているのかしら?
「貴方の意外にドジな所も好きです」
「うっ、ひどいです……」
「ふっ、すみません。でも、良い所も悪い所も全部含めて貴方が好きです」
ここまで言われて拒めるほど、この2年の間に積み上げた関係性は浅くない。
怖る怖るジェフリー様の背に手を回すと彼の体が強張った。
そしてより一層強く抱きしめられた。
「大切にします」
「……よろしくお願いします」
さらに彼の腕に力がこもった。
*****
その後はあっという間に話が進んだ。
と言うのもジェフリー様はこの2年、私の兄と頻繁に連絡を取っていたらしい。
どうやら私が王都で奉仕活動をしている時にいつも手伝ってくれている人がいると兄にジェフリー様の事を話したらしい(覚えていないのだけど)。そして兄はすぐに彼の事を調べたそうだ。
「公爵家との繋がり欲しさに妹の不幸につけ込む様な男だったらいけないだろ?」
と兄は事もなげに言った。
調査の結果、特に怪しい点は見られなかったけれど、それ以来、同じ王宮に勤めているジェフリー様の仕事ぶりをこっそり観察していたと言う。
とても真面目で仕事もできて、これはかなり良い縁なのでは? と思った兄がジェフリー様に声をかけて交流が始まったそうだ。
だから兄からの手紙に彼の事が頻繁に書かれていたのね。
しかも兄の提案で、ジェフリー様が領地に来る時は公爵家のタウンハウスからカントリーハウスまで転移魔法陣で移動して、そこから馬で来ていたらしい。
そう言えば一度孤児院へ向けて出発した後、忘れ物に気づいて戻ったら執事のクライヴが珍しく慌てていた事があったわね。
馬を5時間走らせるなんて出来るの? と、ずっと不思議に思っていたのだけど理由がわかってスッキリした。
ただ兄は「手伝いはするけど、エリザベスに君をあからさまに勧める様な事はしない。妹の気持ちが一番大切だ。だから、振り向かせるのは自分で頑張れ」と言ったらしい。
お兄様の気遣いにただただ感謝。
それからジェフリー様のお母様と妹さんにもお会いした。
とても素敵な方々だった。
私の様な者が息子の嫁になる事を許すなんて、心が広いと言うよりも警戒心がなさ過ぎて心配になったが、お母様は女手ひとつで子どもを育てながら領地経営も熟してきた優秀な方なので、きっと大丈夫でしょう。
そして王都に戻りジェフリー様と正式に婚約してしばらくしたある日のこと。
「お嬢様、クラーク伯爵がお越しになって、お嬢様にお会いしたいとおっしゃっているのですが」
クラーク伯爵とはジェフリー様のお父様である。
愛人の家に入り浸りなので、顔合わせの時も彼にはお会いしていない。
「私に? そんなお約束していたかしら?」
「いえ、約束はしていないとの事ですのでお断りになってもよろしいかと」
「いいわ、私が対応します」
「よろしいのですか?」
「ええ、私学んだのよ。様子見なんてするからどんどん問題が大きくなるの。不躾な人は早いうちに懲らしめておくに限るわ」
「お嬢様……」
微妙な顔をした執事に微笑んで、クラーク伯爵の待つ応接室に向かった。
「これはこれはエリザベス様、お噂通りの美しさですな」
淑女の礼を取る私にクラーク伯爵は約束もなく訪れた事へのお詫びではなくお世辞を言った。
「……ありがとうございます」
「先日私の妻と顔合わせをしたそうですね。全くアイツらと来たら、当主である私を会わせようとしないなど失礼にもほどがある」
「いえ、とても親切にしていただいて領地経営のお話も丁寧に教えていただきとても有意義な時間を過ごさせていただきました」
「そっ、そうですか。それは良かった。私にもしもの事があった場合に備えて妻に領地経営をさせているのですよ。あっ、私の事は遠慮なく『お義父様』と呼んでいただいて構いませんよ」
お断りいたします。
「……そうなのですね。それで、本日はどの様な御用でしょうか?」
「ああ、まさにそれなのですよ。もしものために備えてという私の親切心で妻に領地経営をさせていると言うのに、これからエリザベス様との結婚で何かと入り用になるので生活費を渡さないと言って来たのです。本当に失礼な話です」
「まあ、そうなのですね」
「ええ、そうなのです。本当にひどい話です」
「それでどの様な御用件でしょうか?」
本当はわかってはいるが、ちゃんと自分の口で言わせなければ。
「ああ、大変お恥ずかしいのですが、少しばかり、その用立てていただきたい……」
婚約はしたがまだ結婚はしていない、そんな状態で無心に来るなど厚顔無恥にも程がある。
しかも先程この男は「生活費」と言ったが、愛人への宝飾品をツケで買えない様に手配しただけで、最低限の生活費は変わらず渡している。
つまり、愛人へのプレゼントを買うために無心に来たのだ。
「クラーク卿は私のことをご存知ではないのでしょうか? 婚約者に浮気されその浮気相手に嫌がらせをしたという醜聞をお聞きになられた事はございませんか?」
「あぁ、もちろん知っています。でもあれは王子妃教育で頑張っている貴方を蔑ろにして浮気をした王子や聖女の方が悪いと同情的な声の方が多いのですから、気になさる事はないですよ」
「いえ、そうではなく、私は婚約者に浮気され、その腹いせに浮気相手に嫌がらせをするほど、浮気をする人間が大嫌いなのです。その私にクラーク卿は愛人へプレゼントするための無心をなさるのですか?」
「なっ、なにを、ジェフリーが言ったのか!? アイツ」
「いえ、クラーク卿と愛人の方はとても有名みたいで夜会やお茶会などで皆様ご丁寧に教えてくださるのです。お義母様が領地経営で得た収益をクラーク卿が愛人へのプレゼントに使い潰しているとか、愛人宅に入り浸りなのにお金が必要な時だけ家族に会いに来るとか。私、毎回毎回、恥ずかしくて恥ずかしくて居た堪れませんのよ」
まだ夜会には出席していないし、私の友だちには品のない噂話をする様な人はいないので全部作り話なのだけれど、クラーク伯爵には心当たりがあり過ぎるようで、
「なっ、なっ」
怒りで顔を真っ赤にしている。
「そうそう、クラーク卿、全くお仕事なさらないのですもの、もうジェフリー様に家督を譲って引退なさってはいかがでしょう?」
「なっ、何をふざけたことを! あの家は私の物だ! お前たちにはやらんぞ!」
「それでは明日からクラーク卿が全てのお仕事をしてくださるのですね? でも結婚なさってすぐに領地経営をお義母様に任せて、いままでずっとサボっていたクラーク卿に今から出来ますかしら?」
「なっ、なっ、なんて失礼なっ! 私はお前の様な悪女が嫁になる事を許してやったんだぞっ!」
私はすっと立ち上がり、怒りで顔を真っ赤にしたクラーク伯爵を見下ろした。
「クラーク卿、私、悪女ですから、これ以上ジェフリー様やお義母様達にご迷惑をかける様であれば何をしでかすかわかりませんわよ?」
私が笑顔で告げると、今度は顔を真っ青にした。
「ふっ、不愉快だ! 帰る!」
その時訪いを告げる音がして扉が開くと父が入って来た。
「失礼するよ。怒鳴り声が聞こえて来たものでね。クラーク卿、我が娘に何か不手際がありましたかな?」
「かっ、閣下! いっ、いえ、なんでもございません」
「そうですか? そんな風には聞こえなかったが」
「いっ、いえ、私はそろそろお暇させていただこうとしておりまして」
「まあそんなに急がなくても。一度貴殿とゆっくり話がしてみたかったのですよ 。ベス、お前はもう下がっていなさい」
父の有無を言わせぬ笑顔に立ち上がりかけていたクラーク伯爵は顔を真っ青にして座り込んだ。
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
私はその場を後にした。
何を話したのか父は頑なに教えてくれなかったが、数日後ジェフリー様から「急に父が引退すると言って、爵位を継ぐ事になった」と報告があったので、つまりはそう言うことなのだろう。
お父様に御礼を言うと、
「なんの話かな? 私は何もしていないよ」
と微笑まれた。
本当に何もしてはいないのだろう。何かを言っただけで……。
それ以上突っ込まない事にした。
そして婚約から1年後、私たちは無事結婚式を挙げた。
ジェフリー様は約束通り言葉でも行動でも愛情を表現してくれた。
それは子どもが生まれても歳を重ねても変わらず、いつの間にか疑う事を忘れてしまうほどに。
そんなある日、
「ベス、出来れば俺もベスから気持ちを伝えて貰えると嬉しいのだけど……」
ジェフリー様にそう言われて自分の失態に気づいた。
ジェフリー様の有言実行に感謝しておきながら私は言葉にする事が恥ずかしくてつい伝える事を疎かにしてしまっていた。
「私、自分の事ばかりお願いしてしまっていましたね。ごめんなさい。ジェフ、その、だっ、だっ、だっ……大好き、です……」
「可愛すぎる……」
不安なのは自分だけではない。
して貰って当たり前ではない。
私も同じだけ返すべきなのだ。
ジェフリー様がちゃんと不安を伝えてくださる方で良かった。
そう言えば卒業パーティーの日、セドリック様も私が気持ちを伝えるとガラッと態度が変わった。
もっと早く気持ちを伝えていれば変わっていたのだろうか?
私はジェフリー様の事が大好きなので戻りたいとは思わないが、私が気持ちを伝えなかったためにセドリック様が僻地に行かなければならなくなったのだとしたら少し申し訳なく思った。
そして……
前世と現世の初めと続けて浮気者に悩まされた私だけど、ジェフリー様と出会い、
彼となら生まれ変わってもまた結婚したいな。
そう思える幸せに毎日感謝しながら、今日も頑張って気持ちを伝えています。
「ジェフ、だっ、だっ、大好き……です」
「可愛すぎる……」
〜fin〜