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45 日常

 20××年3月27日

 加藤悟


 この移り行く相対的な世界で、唯一絶対なものがある。これに今夜は気付くことになった。やっぱり、こういったことに気付くようになるのも突然ではない。ある程度やり続けてきたから、この閃きを神様が、はじめてお赦しになられたということ。しかも、この絶対の領域をこの日記書いておくことが出来るのは、稀なことであろう。何故ならば、ぼくが書くことについて習性を持っていなければ、単なる偶然や現象としてだけの領域で、終わっていたのだから。ぼくが、日常に注目をし、書くことにも注目していたからこその閃きでもある。では、そろそろその絶対を明かすことにしよう。


 絶対とは神様の愛である。ぼくが言っている神様の愛とは、教会や神社仏閣だけに、神様がいらっしゃるわけではない、ということを意味している。今、机に座りながら、ペンを走らせ、この空気を吸っているときも、この絶対の神様の愛に支えられているということ。ギリシャの愛の段階では、エロス(性愛)、ストルゲー(家族愛)、フィリア(友愛)、アガペー(神様の愛)のアガペーの話をしている。この絶対の神様の愛には、あらゆる相性や条件は必要としていない。老若男女、悪人から善人、自然や宇宙も含め、神様は平等に愛されている。


 何か、実感を持ちヅラいなら、太陽を思い浮かべれば、良いと思う。太陽は太陽系もそうであるが、命を育む親のような存在である。この時の太陽の熱は愛に相当し、太陽の光は知恵である。愛と知恵で1つであり、今日ぼくが閃き、感じとった絶対の領域、アガペーラブとは、このようなことである。


 多くの人々が神社仏閣や教会にこそ神様がいらっしゃると捉えている。これは、間違いではないし、否定はしないが、あえてぼくが書いておくこととしては、日常の只中にこそ、神様がいらっしゃるということ。一流の人々は、生活習慣も一流であるが、それは、日頃の行いである日常を大切にしているからであろう。日常にこそ神様がいらっしゃる。


 ご飯を食べているとき、友達と会話しているとき、夢見て寝ているとき、歌を歌っているとき、TVやSNSを見ているとき、酒を飲んでいるとき、車を運転しているとき、研究しているとき、不安や悲しみに沈んでいるとき、苦手なことをしているとき、遊んでいるとき、呼吸をしているとき、恋をしているとき、いかなる状況もどんなときも神様の愛がぴったりと、寄り添って下さっているということ。これこそが今夜ぼくが電撃的に閃いたことである。もう1つ、詩も残しておこう。


『沈黙のとびら』


ー結局のところ私は万事に仕える沈黙(絶対界)に

助けられてきたように思い、ここに観想するー


彼は時には、あの空に現れて

彼女は、この木槿(むくげ)に懐かれる

それは、人の思惟(しい)は乏しく

余多に結ばれて

ある時には、小鳥の囀ずりに

昔昔には、かの瞳に

それから三千年経った古今には

あなたとわたしの胸の内に


それを(ひらめ)いたとき

なにを想うのだろうか

その戦慄(せんりつ)には

生きていたのであろうか


(ロゴス)という

かの御命においては

死して、尚も、いきいきとし

愈々(いよいよ)と、お伽噺(とぎ)を甦らせ

日の(こえ)に、ますます誘われる


葉の泡沫がふたたび

雫に変わるとき

その夢の心が地に横たわる


それは、痛く

それは、狂おしく

それは、儚げであって

心強く、やさしいものだから

その光の呼吸に私は座わる


無常という常のもとに

私達は生き

如何(いか)なる、つとめであっても

心という不確かな悦びに

確かに、還りゆく


そのさまは、一枚織りの

天の羽衣(はごろも)のようでいて

この眼に映ること

(あた)うことなし

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