4 陰
~人の一生というものは、人が思っているほどよくも悪くもないものですね
モーパッサン~
菅谷杏奈は最近ひどく落ち込むことがあった。それは、ほとんどの人が、なんてことのない理由だとどこかで軽視していたり、また、理解されづらい内容だった。占いで、自身の双子座のランキングが低いだとか、二度寝してしまったとか、自分自身に合う歯ブラシが見つからない、髪の毛が上手く纏まらない、なんとなく鵯が怖い、7の数字が強迫観念のように追いかけてくるだとか、このような内容である。これらにひどく落ち込んでしまう。重なってくるというよりも、どちらかというと、その場限りに抱く感情にひっぱられている。このような調子であった。
アンナ(今から菅谷杏奈をアンナと表記します)は、これらの憂鬱を家族や人のせいにするようなタイプではなかった。心の刃は、むしろ厳しすぎるほど自分自身に向かっていた。なんて私は、心が小さなダメな人間なんだろう。ココ・シャネルは偉大だわ、私は選りすぐりの木偶の坊、駒にさえなれない、人の役に立てない、今日も誰かを不幸にしてしまった、こんな私など生きている価値が無いし、死んでもセンスない、宙に浮かべられないけれど、シャボン玉のように消えてしまいたい、戦争が終わらないのは私のせいだ、などなど。
そんななかで隣席のサトルについては「隣の席の人」と思っている。アンナにとっての「隣の席の人」はこのようなニュアンスを抱いていた。こんなダメな私の隣になるなんて不幸な人か、よっぽどやさしい人、このような感覚だった。アンナはサトルについては、後者だと思っていた。アンナとしてはサトルは、漠然とした明るさを持っているし、やさしさが目尻から滲み出ている。このように、陰では思っていた。サトルのこのような性質は天性のものだから、誰かに揶揄されたり、たとえ蹂躙されても、崩れることも変わることもない、と思っていた(人の手に依るものでは……)。
多少の眠気のなかベッドの上で白い天井が暗くなっているのを見つめながら、そういえば、一昨日サトルにシャーペンを貸したなぁ、と、ふと思い出した。暗闇の陰。それと、何故か「猿も木から落ちる」という言葉が脳裏を掠めた。布団のなかで少し吹き出しそうになったが、サトルも猿も、なんだか可愛らしく感じたのであった。これは馬鹿にしているとかではなく、親近感にも似ている、愛着や愛嬌のようなものである。
「さあ、寝ましょ」
一言こぼしたあと、二年前我が家に来た、クマのぬいぐるみを枕元まで持ってきて、抱き、キスをして目を瞑った。