【短編版】アサとヨルの物語
2016年に「ヨルヲカケル」という曲の作詞をさせて頂いた時に、歌詞解説として提出させて頂きました短編小説です。
この度、作曲者の阪神総一さまからご許可を頂きまして、こちらに投稿させて頂きました。
どうか沢山の方のもとに、ヨルの心が届きますように。
むかしむかし、まだ世界が生まれて間もない頃のお話です。
ある日、神さまは二羽の鳥をお選びになって、自分のもとへ呼び寄せました。
片方は、やわらかな羽根の真っ白な、それは美しい雌のフクロウ。もう片方は、艶やかな羽根の真っ黒な、やはりとても美しい雄のカラスでした。
神さまはフクロウに向かってこうおっしゃいました。
「あなたにアサという名前を授けましょう。これから眠りに就く前に、一日の喜びをうたいなさい。そうすればあなたの唄を聴いて太陽が目を覚まし、世界に朝が訪れます。その光は人々を明るく照らし、彼らに希望を与えるでしょう」
続いて神さまは、カラスに向かってこうおっしゃいました。
「あなたにヨルという名前を授けましょう。これから眠りに就く前に、一日の喜びをうたいなさい。そうすればあなたの唄を聴いて月と星が目を覚まし、世界に夜が訪れます。その静寂と輝きは疲れた人々を癒し、彼らに慰めを与えるでしょう」
こうして二羽の鳥たちは、毎日眠りに就く前にその日の喜びを高らかにうたい、世界に朝と夜が訪れるようになりました。
神さまの言われた通り、アサがうたうと月と星とが眠りに就き、目を覚ました太陽が明るく世の中を照らしました。アサは毎日、目覚めたヨルと唄をうたい、それから次の晩までの幸せな眠りに就きました。
また、一日が経ちヨルがうたうと、今度は太陽が眠りに就き、目を覚ました月と星とが静かに世の中を照らしました。ヨルは毎日、目覚めたアサと唄をうたい、それから次の暁までの幸せな眠りに就きました。
人々は神さまに心からの感謝を捧げ、昼は喜びをうたい、夜は祈りの灯をともしました。
しかし平和な日々はいつまでも続きませんでした。
永い永い時が経つにつれ、人々は次第に神さまへの感謝を忘れていったのです。歌うことも祈ることも忘れてしまった人間は、お互いに疑い合い、裏切り合い、憎み合うようになりました。
人々の間には諍いが絶えず、世界はかなしみに満ち溢れました。
根の優しいアサは、これにたいそう心を痛めました。唄は次第に小さく弱々しくなり、ある日とうとう、アサの唄は喜びからかなしみへと変わってしまいました。
彼女がうたうと太陽だけでなく、大雨と大風までもが目を覚まし、世界を激しくごうごうと揺さぶりました。
ついに耐え切れず、アサは神さまのもとへ赴きました。
「神さま、神さま、どうかお願いです。このつばさを落としてください。私は疲れてしまいました。もう、うたいたくないのです」
これを聞いた神さまはびっくりしておたずねになりました。
「一体どうしたのですか、アサ。どうしてそんなことを言うのです」
アサは答えて言いました。
「神さま、あなたは私に一日の喜びをうたうようお命じになりました。しかしこの世界を見てください。人々は常に争い合い、憎しみがそこら中に散らばっています。もう誰も、あなたに感謝を捧げません。日々の喜びをうたいません。明日の希望をともしません。私の胸は今、かなしみで張り裂けそうなのです。こんなにも辛く苦しいのに、どうして喜びをうたえましょう」
あまりにも泣いて懇願しますので、神さまはこのフクロウが酷くあわれになりました。
そしてもう二度と、誰もアサの心を傷つけないよう深い深い眠りに就かせ、つばさを落とし、その姿を隠してしまわれました。
彼女の唄が聞こえなくなったので、太陽は目を覚まさず、こうして世界からは朝が失われました。
さて一方のヨルはといいますと、彼もまたアサと同じく、人々の姿に胸を痛めておりました。ですが彼は根が陽気で、物事を良い方へ捉えるのがたいそう得意でありましたから、アサのように唄がうたえなくなることはありませんでした。
ヨルは毎日、何かしらの小さな喜びを見つけ、それを高らかに歌い続けました。近頃の彼の喜びは一日二回、目覚めたばかりの夜明けの光と、眠りに就く前の夕暮れの光の中で、アサと唄をうたうことでした。
しかしある日、いつも通り眠りに就いたヨルは、次の日目を覚まして驚きました。月と星が眠りに就かず、太陽は目を覚まさないのです。
アサのうたう声も聞こえません。彼女の美しく真っ白な姿は何処を探しても見つかりませんでした。
ヨルは急いで神さまのもとへ向かいました。そして彼は嘆願しました。
「神さま、神さま、どうかお願いです。世界にアサを返してください。彼女は私の喜びなのです。それを取り上げられてしまっては、私ももう、うたえなくなってしまいます」
神さまはやはりあわれに思いましたが、今度はきっぱりと首を横に振りました。
「それはできない相談です。アサは自分の意思でつばさを捨て、深い眠りに就きました。彼女を目覚めさせることは私にさえできません。しかしヨル、あなたの目と耳はとても鋭い。彼女には見えなかった幸福が、聞こえなかった喜びが、あなたには感じられることでしょう。大丈夫。あなたはきっと別の喜びを見つけ、それをうたうことができます」
「ですが神さま、それはあまりにさびしいことです。確かに夜の静寂は疲れた心を包んでくれるでしょう。月と星の輝きは優しく慰めてくれるでしょう。しかしそれらは時に、不安やかなしみもつれてきます。太陽はそれらを取り払ってくれるのです。今、世界はかなしみに沈んでいます。こんな時にこそ、人々には夜明けと共にやってくる希望の光が必要なのです」
ヨルの言葉に、神さまはじっと考え込みました。
彼の言い分はもっともです。しかし人々の諍いに胸を痛めていたのは神さまも同じでしたから、アサの気持ちもとてもよくおわかりになりました。
やがて神さまは、ヨルにこう告げました。
「アサを目覚めさせたいのなら、唄を取り戻さなければなりません。世界を喜びで満たさなければ。しかし今、多くの人が彼女のように大きな嘆きの中にいます。それはとても困難を極める仕事です。あなたに、それができますか」
「もちろんですとも」
カラスは力強く頷きました。
「かなしいことですが、近頃は人々のうた声もめっきり少なくなりました。祈りの灯だって、もう私たちの目につくところにはともりません。しかし全ての人々が、祈りを忘れてしまった訳じゃないはずです。探してきましょう。そしてきっと見つけてきましょう。大丈夫。私の目と耳はとても鋭いのですから、どんな小さな喜びだって気づいてみせます」
ヨルは大きく羽撃いて、高く高く舞い上がりました。
空から見下ろした世界は、暗闇に沈み、しんと静まり返っていました。しかし彼がよくよく耳を澄ませば、微かにですが、小さなうた声が聞こえてくるのでした。
か細く、今にも消えてしまいそうな声でしたが、それを辿り行き着いた先にはきっと祈りの灯がともされていることでしょう。その場所から少しずつ灯をともしていけば、いつの日か、世界に喜びが溢れるでしょう。
アサは唄を取り戻し、再び目覚めることでしょう。
そう、失われた希望はまた、ここから絆いでいけば良いのです。