第20話 おかしなパンをふんだ娘
僕が借りている安アパートに、従妹の胡桃ちゃんと暦ちゃんが来ていた。
彼女たちは、いつもは放課後クラブがある集会場で人形劇をやっている。
次の人形劇はこれまでと違って、町の公民館での大掛かりなイベントの中でやるそうだ。
放課後クラブでも、人形劇以外に手作りのパンやアクセサリーの販売もするとか。
町のイベントには僕も何度か行ったことがある。楽しいイベントになりそうだな。
でも、今日の従妹二人の表情が硬い?
いつものように、人形劇のシナリオの相談だと思うけど、何かあったかな。
胡桃ちゃんは、持ってきたアンデルセン童話集を開いて僕に見せた。
「ねぇ、偉文くん。今度のイベントでやる人形劇がこれなんだけど」
「え? 『パンをふんだ娘』をやるの? これはまたマイナーなお話を選んだね。っていうか、いいの? すごく暗い話なんだけど」
『パンをふんだ娘』は、僕は小さい頃に紙芝居で見たことがあるな。
パンを踏んだ主人公が地獄に落とされる。その後、小鳥に転生して贖罪の生涯を送る。
幼少時代の僕はすごく嫌な気分になって、紙芝居に出てくる魔女や大人に蹴りをいれたくなった。
っていうか、その場で蹴るマネをしてたなぁ……
この話は『食べ物を粗末にした』というだけではなさそうだ。
パンは神の肉体を象徴していて、『神をふんだ』と見なされるみたいだ。
でも僕は、お話の中で主人公に対する仕打ちがあんまりだと感じていた。
「クラブの奏美先生がこのお話に決めちゃったの」
胡桃ちゃんの言葉に、暦ちゃんが説明をつづけた。
「今回観に来るお客さんは大人も多いし、町の偉い人もくるんだよ。先生は『今回は笑いはとらずにシリアスでいきましょう』だって」
「シリアスねぇ……あまり得意じゃないんだけどなぁ」
奏美さん、どういうつもりだ?
公民館のイベントのテーマが『食育』だけど、この話は違うと思う。
これを童話のままでやったら、楽しいイベントに来たお客さんが暗い気分になるぞ。
しかも今までと違って、観客は気心しれた子供たちじゃない。
人形劇をやるクラブの子供たちは、知らない大人たちの前で大ヒンシュクを買わないか?
暦ちゃんは「多分だけど……」と続ける。
「偉い人のリクエストで、奏美先生も断れなかったみたいだよ。だから、先生もクラブのみんなも偉文くんに期待しているんだよ」
「ねえねえ。お笑いはなくていいから、ハッピーエンドにしてっ! この話のインゲルちゃんがかわいそう」
胡桃ちゃんは真剣に言ってる。うーん……大きく改変してみるか。
* * *
インゲルという娘がいました。美しい女の子でしたが、少しわがままな子のようです。
村の貧しい家で育ちましたが、今は町のお金持ちの家で住み込みで働いています。
ご主人はインゲルにお休みを与えて、一度家に帰って母親に顔を見せるよう伝えます。
お土産に、神様にお供えするために焼いた白い大きなパンをわけてくれました。
そのパンは手提げのバスケットに入れてもらいました。
インゲルはきれいなドレスを着て、新しい靴を履いています。
村の入り口まで馬車で送ってもらって、徒歩で村の中に入ります。
村の中を歩いていると、麦ワラ帽子を被った女の子が働いているのが見えました。
その子はワラを編んで何か作業をしているようです。
「あら、インゲルじゃない。ひさしぶりー。うわぁ、そのドレスも靴もすごく綺麗ね。よく似合ってる。すてきー」
「ありがとう、ウレグニー。いいでしょうこれ。あなたにはその作業着と安っぽーい帽子がよく似合ってるわ。ほっほっほー……」
インゲルは嫌味っぽく言ったが、ウレグニーは嫌な顔もせず、ワラを編みながら話を続けます。
「あなたのお母さん、会いたがってたよ。きれいになった姿をみせてあげれば、きっと喜ぶよ。早く帰ってあげてね」
「うん、わかった。あなたも汚いワラ仕事がんばってねー。じゃあねー」
ウレグニーと別れて、インゲルは村の中を歩きます。
以前に雨が降ったせいか、道がぬかるんでドロがたまっているところがありました。
「やだなあ。こんなとこ歩いたら、せっかくの新しいクツがよごれちゃうじゃない。何か踏み台は…… あ、そうだ。このパンいらないや」
インゲルは手提げのバスケットから大きなパンを取り出し、あろうことかドロの上に放り投げました。
そして、そのパンを踏みました。
すると、あたりが急に暗くなり、足元はドロの沼に変わりました。
どこからか恐ろしい声が響きます。
『神への貢ぎ物を踏んだ娘よ。地獄に落ちるがいい!』
「きゃあああ! 沈む! 沈む! たすけてー」
みるみるうちにインゲルの身体はドロに沈んでいきます。
「インゲル!」
村の誰かから知らせを受けていたのでしょうか。
すぐ近くまでインゲルのお母さんが迎えにきていました。
「お母さん! 助けて」
お母さんはインゲルの手を掴みました。でも、引き上げることはできません。
それどころか、お母さんもいっしょに沈みそうになっています。
「きゃああ」
「お母さん、手を離してっ。お母さんまで沈んじゃうよ!」
「いやよ。せっかく会えたのに。絶対に離さないよ」
そこに声を聞きつけたウレグニーが駆けつけました。
「え? インゲル? おばさん? どうしたの! えーと…… あ、そうだ。さっき作ったロープで……」
大急ぎでウレグニーはワラのロープを近くの木に結びつけ、反対側をインゲル達に投げました。
「すぐ助けを呼んでくる! もう少しだけ頑張って!」
ウレグニーの知らせで、村の人たちが駆けつけてくれました。
みんなでロープを引っ張り、インゲル親子は引き上げられました。
すると、いつのまにかドロの沼は消えていました。
インゲルのドレスにもお母さんの服にも、村の人たちにも、なぜかドロはついていませんでした。
インゲルはこれまでのことを村の人達に説明して、お礼をいいました。
「みんな、助けてくれてありがとう。ウレグニー、さっきはごめんね。あたし、ひどいこと言ってた」
「いいんだよ。二人とも無事でよかった。でも、インゲルが言ったパンって、もしかしてこれのこと?」
手提げのバスケットの中に、きれいな状態のパンが入っています。
しかも、まるで焼けたてのようにほかほかと湯気がたち、いい匂いがしています。
ウレグニーは、バスケットをインゲルに差し出して言いました。
「きっと神様が許してくれたってことだよ。これからは食べ物を粗末にしちゃだめだからね。はい。お母さんと食べなよ」
「こんな大きなパン、二人じゃ食べきれないよ。そうだ、助けてくれたお礼がしたいの。みんなで食べましょう」
こうして村のみんなでパンを分け合って食べました。
今まで食べたことがないような、とてもとてもおいしいパンでした。
おしまい。
* * *
話を終えると、胡桃ちゃんはうるうるとなっていたが、すぐに暦ちゃんがつっこんできた。
「ものすごい偶然なんだよ。沈みかけてる所に、ロープを持っている子がいきなり通りかかるなんて」
「お話だからいいんだよ。たぶん、この方がイベントのテーマには合ってると思う」
胡桃ちゃんは童話集の『パンをふんだ娘』を見ながら首をかしげた。
「ねえ、偉文くん。お友達のウレグニーちゃんって、この本に出てる子? インゲルちゃんのためにお祈りした子がいるけど」
「いや、オリジナルだよ。そっちの子はインゲルよりずっと小さい。ウレグニーはインゲルと同じくらい」
暦ちゃんは小さい声で「インゲルを逆に読んだんだよ」とつぶやいてた。気づいてたのね。
とことこと暦ちゃんは僕に近寄って、ニコッと笑う。
「ありがと、偉文くん。助かったんだよ。元の話だとインゲル役の子も、やらせた先生もかわいそうだったから」
「偉文くん、いつもありがとー」
仲良し姉妹は手を振って帰っていった。
その後、公民館で町のイベントが開催され、僕も行ってみた。
人形劇は、ものすごい拍手と歓声があがり、お客さんの中にはハンカチで顔をおさえてる人もいた。
クラブのみんなはとってもいい演技をしていた。ちゃっかり手作りパンの宣伝もしていたけどね。
イベント終了後、クラブの奏美先生は僕が恐縮するぐらい頭を下げてきた。
劇の成功は僕のお陰だって言われたけど、頑張ったのは僕じゃなくて子供たちだ。
なぜか子供たちに「サインちょうだい」とねだられた。
胡桃ちゃんがみんなに、僕のことを本物の絵本作家のように話しているらしい。
まだなんだけどね。
その後、暦ちゃんが声をかけてきた。
「人形劇の後、手作りパンがすぐに売り切れちゃったんだよ。買えないお客さんに怒られたんだよ。偉文くんのせい」
なんで僕のせい?