19救いの手は天使か悪魔か
お馴染みの特別教室棟四階トイレ...かと思いきや連れていかれたのは特別教室棟裏だった。
手入れが行き届いていないそこは雑草が生い茂って足元がチクチクするし小さな虫がピョンピョン跳ねるのが鬱陶しい。それに加えトイレ裏だからかその独特な匂いに鼻を覆いたくなった。
手が動かせればだけど。
「ングっ!!」
曽屋の取り巻きその一によって胸ぐらを捕まれ壁に叩きつけられる。
思わず閉じた目を俺はゆっくり開けた。
視界に飛び込むのはいつもの三人組...だけではなかった。
赤いTシャツを中に着て、上に着たワイシャツの胸元をはだけるようにしているそいつはメッシュを入れた髪も相まって異質な存在感を放っていた。
目付きの悪い顔も今は卑屈に歪められている。
その姿は記憶のまんまだった。
俺と目が合った瞬間口の端が上がった。
「どーも、カグヤくん?だっけ?」
「......」
礼儀正しく挨拶してきた。
それと同時に強烈な既視感を覚える。
段々と思い出してきた。
場所は違うけどこの『センパイ』と初めて会ったときのことを。
「オイッ」
返事をしない俺の足を曽屋が軽く蹴る。
いつもに比べてだいぶ『軽く』だったがそれでも咄嗟にしゃがみこんでしまうくらい痛かった。
曽屋が「おい、立てよ」と腕を掴む。
しかし俺の腕が持ち上がっただけだった。
取り巻き達も近づいてきて「オイ」と俺を蹴る。
立ち上がらなきゃ。
そう思うのに腰が抜けてしまってガタガタ震えることしか出来ずにいた。
既に頭は真っ白に『どうしよう、どうしよう』と頭の中で繰り返すことしか出来ない。
それくらい目の前のセンパイは恐怖の対象だった。
この後の展開を知っていれば尚更。
俺は体を丸めて構えることしか出来なかった。
本能がそうしろと警報を鳴らしていた。
だって俺はこの後、病院送りになるのだから。
※
ピルルルーーーッ!!
いよいよ痺れを切らしたその拳が届く直前、辺りに警報が鳴り響いた。
警報と言っても校舎中に轟く程もない。
何ヶ所からも流れているというような感じでもないから...
防犯ブザー?
頭に浮かんだのは小学生が鞄に付けているような小さな防犯ブザーだった。
ピルルルーーーッ!!
音はなおも止まない。
その突然の音に目の前の四人は明らかに狼狽えていた。
「先生!!早く早くっ!!」
割と近くから女子生徒の声が届いた。
角の向こうにいるのか姿は見えないが大方どこかで俺が絡まれているのに気づいた心優しい誰かが教師を呼んだのだろう。
「ヤバっ」
四人のうち誰かが舌打ちした。
そしてその声を合図にしたように四人は声とは反対方向へと慌ててかけていく。
恐怖やら安心感やらですっかり体の力が抜けてしまった俺は座り込んだままその様子を目で追うことしか出来なかった。
だからその瞬間を捉えた。
「うおっ!?」
先頭を走っていた例のセンパイがそんな声を上げ何かに躓いた。
そのまま踏ん張ることが出来ずに前へと転ぶ。
「ぬおっ!?」
勢いよく走っていたせいで真ん前で転んだセンパイに吊られるように真後ろを走っていた三人組がドミノ倒しみたいに重なって倒れる。
うっわぁ...
先程まで威圧感バリバリで睨んでいた奴らが目の前で漫画でしか見たことがないような間抜けなコケ方をしたのを見て俺はただただ口をぽかんと開けて見ることしか出来なかった。
『ざまあみろ』とも『ご愁傷さま』とも思えない。
突如起こった出来事に困惑して、脳の情報処理スピードが鈍った。
四人は飛び起きて足をもつれさせながら地べたに手をついて這い蹲るように慌てふためきながら声のした方とは反対に向かって滑稽な走りで去っていく。
去る直前、曽屋だけが俺をキッと睨みつけて行った。
完璧に八つ当たりだ。
勘弁して欲しい。
そもそも場所を選んだのはお前らだろ。
そこで何が起きても俺は関係ない。
...そう思っていたときだった。
放心する俺の傍まで足音がした。
恐らく教師だろう。
こんな姿晒して情けないことこの上ないが俺一人では限界があると思っていたところだ。
ボイスレコーダー一つしか証拠はないしそれだと甘いって与茂衣に言われたばっかだけどもうこれ以上の秘策を考えるよりまず先に教師に頼る方が楽そうだ。
もちろんそんなことをして大元は解決しないだろう。
喧嘩して『はい、お手手繋いで仲直り』なんて幼稚園生じゃあるまいし。
むしろ心から服従するように、抵抗する気すら起きないように徹底的に執拗に叩かれる可能性の方が高い。
だけど、それでも今は目の前にある救いの綱を何も考えず掴んでしまいたい欲望に駆られて仕方がなかった。
過去のトラウマを刺激されたことがそんなに苦痛だった?
それもある。
だけどそれ以上に目の前の、それも復讐を誓った相手に何も出来ず、むしろ怯えて逃げることしか考えていなかった自分自身が惨めで情けなくて、消えてしまいたかった。誰にも認識されずに、自分自身も認識出来ないようなところへ。
目の前にスっと手が現れた。
自分のものでは無い、華奢で白い手。
ハンドクリームでも塗っているのか甘い桃の匂いがした。
やっと、助けが来てくれた。
『大丈夫?』『辛かったね』『頑張った』。
誰でもいいからそう言って安心させて欲しかった。
俺の心はとっくにボロボロだった。
だからか、声をかけられるより先にその手を取ってしまう。
その手は驚くでも嫌がるでもなくそっと手を握り返してくれた。
教師相手にこんな子供みたいな...そんな羞恥心は今は働いてくれなさそうだ。
少しだけ肩の力を抜くことが出来、視界が水の中に入ったときのように歪んだ。
既に情けないことこの上ない俺の頭上から声がかかる。
「ね、役に立ったでしょ?」
......ん?
思っていたのとは斜め上のことを言われ膝と手しか見えてなかった顔を上げる。
まず目に入ったのは健康的な生足だった。
それを堪能する余裕があれば良かったのだが残念ながら今は生足よりも相手の正体を確かめる方が優先事項だ。
短めのスカート、シャツ、パーカーの裾。
段々と視線を上げていき
「なん...で?」
そこにいたのは教師ではなかった。
フードを被った私服の少女はニヤッと笑った。
「試験は合格?」