11ふざけんな
やっとの思いで長い一日を終え鞄を掴んだところだった。
そいつは漫画ならこめかみにビキビキと怒りマークつけてそうな形相で俺の机にバンと勢いよく手を付いた。
全くもって面倒臭い。
そう思うと同時に過去の記憶が勝手に頭に浮かんで体が震え出した。
さっきまで蒸し蒸しと暑かったのに今はこんなにも寒い。
「...なに?」
とりあえず何も気づいていない振りをした。
すると俺の反応が気に入らなかったようでそいつーーー曽屋は口の端をピクつかせた。
騒がしかった周りがお通夜みたいに静まりかえっている。
遠巻きに見ている者もいたが巻き込まれることを恐れたのかそそくさと帰っていく者が大半のようだった。
俺の発言でますます空気がピリついたし。
「......」
無言で睨むのやめて欲しい。
曽屋は怖い顔でニッコリと笑みを浮かべた。
周囲がビクリと震え野次馬達が慌てて逃げていく。
「...ちょっと来い」
強い力で腕を捕まれた。
既視感がある。
とても嫌な既視感が。
※
体が、痛い。
息が上手く、吸えない。
ギャハハッという笑い声が耳を劈く。
連れ込まれたのはこの時間人の出入りがほとんどない特別教室棟の四階トイレ。
しかもその場所で待っていたのは曽屋と似たような相貌の二人の男。
その二人の顔も俺は知っていた。
「ほらよ、豚。いいからブーブー泣いてみな?」
痛みでぼんやりした頭にネチャァとした声が響く。
「ウグッ...!」
腹を蹴られ地面に這いつくばったまま蹲る。
バケツの水を被ったからか寒さは益々増していた。
なんだよ...記憶通りじゃないじゃん。
『これ』が起こったのはもう少し先のことだろ。
蹴られ殴られ、果てには汚水をかけられ土下座させられる。
過去の経験と同じペースでことは進む。
「逆らってごめんなさいは?ちょうど四つん這いだし?ほらほら。言ってみ?さんはいっ!」
聞き覚えのある台詞。
感覚がどんどん遠くなって自分がどんどん下に下にと落ちていく感覚が襲う。
ここで謝ったら、楽になれる?
いや。
俺は『この後の展開』を知っていた。
「......」
「なんだよ、だんまりか?まさか気絶しちゃったり?」
目を閉じたままただ時が経つのを待つ。
「おい、起きろよー。逃げられると思うな?」
謝っちゃダメだ。たとえ口だけだとしても。
『今』を楽にすることだけ考えるな。『あのとき』を繰り返すな。
恐怖に支配されるな。
耐えている間にも暴行は続く。
跡が残るのを躊躇っているのか服に隠れて見えない場所を中心に狙っているようだった。
※
どのくらいの時間が経ったのだろう。
やがて曽屋達は疲れたのか息を荒げ「ハッ、つまんな」と鼻を鳴らして帰って行った。
助かった。
これで飽きて放っておいてくれれば良いのだが...まあ、そうはならないだろう。記憶通りなら。
しばらく立ち上がれそうになかったので倒れたまま過去を思い出していた。
裏切りからの暴行、パシリ、タカり...思い出したくもないアレコレ。
そう、この時期の俺はいじめを受けていた。
恐怖で誰にも助けを求めることも出来ず心が病んでいた。
視界が揺らめく。
気づけば涙が溢れていた。
情けない。
これじゃやっと解放された辛い過去の踏襲だ。
あの地獄をもう一度繰り返すのか?
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だーーー。
心が鋭利な刃物で切り刻まれるように痛い。
もう既にどうにかなりそうだった。
わざわざタイムリープさせられて地獄に突き落とすとか、誰だよ。こんなことさせてるの。
俺を勝手に高校生に戻したどこの誰とも知らない『誰か』を恨んだ。
何がしたいんだ。ほんと。
俺も俺だ。
家で自身の過去と相違ないことなんて理解したろ?
なんで『より情報を』なんて欲を出した?
外の世界なんてクソなことは分かっているのに。
高校生の頃なんて尚更。
意地張って、『俺は変わった』なんて勘違いして。違うじゃん。環境が変わっただけで俺自身は変わってなんかいないんじゃん。
「うっ...あぁぁ......」
嗚咽が漏れ、ズルっと鼻を啜った。
ここに誰もいなくて良かった。
こんな姿、見られたくない。
誰かが認知した瞬間、弱い自分という存在が肯定されてしまいそうで。
自分の嗚咽が暗くて狭い空間に響く。
これから先起こる出来事がまた脳裏を過ぎり腕に力が入った。
もしあの時あの場にいなければ、言葉を選んでいれば、余計なことをしなければ。
『人生は選択の連続』なんていうけど、俺の人生は選択を間違ってばかりだった。
後から『あの時ああしていれば』なんて思ったところで後の祭り。
過去に戻って選択をやり直すことなんて出来なーーー
「あ...れ...」
そこで気づいた。
もうダメだと思った。
曽屋に目をつけられて逃げることは出来ないと過去の俺が証明してしまったから。理不尽な二回目の高校生活も同じ道を辿るしかないと。
だけどそもそも『二回目』は始まったばかりだ。
変えることが出来ない?
本当にそうか?
俺はよろよろと壁に手を着きながら立ち上がった。
まだ残る水が顎を伝って落ちる。
「...ふざけんな」
学校も、曽屋も、俺を二回目の高校生に戻した『誰か』も。
思い通りになんてさせてやるもんか。
都合の良いサンドバッグなんて二度とごめんだ。
俺は血の通った人間なんだよ。人様に好き勝手させられて有無を言わず飲み込むだけのお人形じゃない。
苛立って、悔しくて、ヤケになって、俺は『決意』をした。
『過去は絶対に繰り返さない』という決意を。
仕返ししてやる。
十四年ぶりのツケを倍返しにして。
鏡には自分ですら見たことがない卑屈で楽しげな笑みを浮かべた自分がいた。