第四夜 ワトソン薬
美島絵留
新潟県警の科学捜査研究所――通称「科捜研」所属。
理真や由宇よりもずっと年上(三十代半ば)だが、身長が低く童顔であるため、二人からは「絵留ちゃん」と呼ばれ慕われている。また、新潟県警一の酒豪でもある。
登場作品『隻腕鬼』『真夏の首』他
こんな夢を見た。
私は科捜研の一室に美島絵留と一緒にいた。私と理真は月に一度はこうして美島の研究室に遊びに来て、美島が煎れてくれるお茶を飲みながら駄弁っているのだ。探偵とワトソンの特権だね。でも、今日美島のもとを訪れたのは私ひとりだけ。どうしてなのかは分からないが、これが夢だからだろう。
美島は、机の上に広げられた細かいメモに視線を走らせながら、試験管やフラスコの中に入った毒々しい色をした薬品(?)の調合作業をしていた。科捜研の仕事の一環なのだろうか? 私には狂気の科学者にしか見えない。
ある程度作業の目処がついたのだろう、ふう、と深く息を吐いて美島は、私の対面に机を挟んで腰を下ろした。
「絵留ちゃん、いったい何をやってるの?」
訊いてみると、美島は、
「ああ、薬を作ってるんだ」
「薬? 何の?」
すると美島は、きょろきょろと警戒するように周囲を窺ってから、若干声のトーンを落として、
「『ワトソニンVX-α』だよ」
何だその怪しげな薬は。本当に狂気の科学者じゃないか。
「聞いたことないけど……どんな薬なの?」
「それはだな……」美島は、そこでいったん言葉を切って、「なあ、由宇」
「なに?」
「お前、ワトソンについて、どう思う?」
「なに? 突然」
「いいから。どう思ってる?」
「それは、つまり、名探偵の助手についてってことだよね? うーん……どう思うって言われても……」
私自身が、いわば安堂理真のワトソンであるためか、突然そんなことを訊かれてもすぐには言葉が出てこない。そんな私を前にして、美島は、
「由宇、ワトソンについて、こんなことを考えたことはないか?」
「なに?」
「古今東西、不可能犯罪を解決した名探偵の記録小説のどれを読んでみても、ワトソン役ってのは徹頭徹尾、名探偵の引き立て役におさまってるだろ。見当外れの推理を披露しては笑いものになったり、あるいは、まったく事件の謎に見当が付かなくて早々にさじを投げたり。で、ひとたび名探偵が事件の真相を暴けば、彼、彼女こそ世界を照らす太陽だ、神の化身だ、怒りの獣神だ、と言わんばかりに礼賛する」
「怒りの獣神とは言わないと思うけど、まあ、確かに」
「どう思う?」
「どうって……そりゃ、やっぱり、ワトソンと名探偵とじゃ頭の出来が違うから、そういう反応になるのは仕方ないんじゃないの?」
私だって、理真が披露する推理にはいつも舌を巻いている。口に出しこそしないが、彼女こそ現代に甦ったミス・マープルだ、ジャイアント馬場以来の新潟の星だ、底なしの胃袋を持つ女だ、といつも思っているのだ。
が、美島は、細身の眼鏡をかけた知的な顔を横に振って、
「いや、名探偵とワトソンのコンビが手掛けた事件の数が、ひとつや二つだけならそれもあるだろう。しかしな、同じ名探偵とワトソンのコンビが、いくつもの事件に遭遇しているというなら、その理屈も怪しくなってくるだろ」
「どうして?」
「考えてもみろ。ワトソンといえば、名探偵が事件を捜査する様、手がかりを得て推理を組み立てる様、関係者たちを集めて真相を看破する様を、誰よりも近くで、誰よりも長い時間目にしてきているんだぞ。名探偵たちの快刀乱麻を断つが如き推理と、その思考方法を一番近くで体感している立場の人間だ。事件をかさねていくたび、自分とコンビを組んでいる名探偵の思考パターンや観察眼を学習して、自分でも名探偵に近い推理が出来るようになったっておかしくないだろ」
「……そうかなぁ?」
「そうだよ。一流を間近で見続けるってのは、そういうことだよ。“門前の小僧習わぬ経を読む”なんて言葉もあるくらいだし。現にミートくんだって、初めての実戦でミキサー大帝を見事粉砕したじゃないか」
「何の話?」
「とにかく」と美島はミキサー大帝の話題にはそれ以上触れず、「日本中のワトソンが、常に名探偵とともに行動し、その推理の過程を目撃しているにも関わらず、いつまでたっても成長しないで、毎度見当違いの推理をして、盲目的に褒めそやし、名探偵の引き立て役の地位に居続けているのには、それなりの理由があるってことだよ」
「その理由って、なに?」
「由宇、さっきお前が訊いた、この薬『ワトソニンVX-α』の効能を教えよう」
美島は、また突然話を変えてきたが、私は黙って彼女の話を聞く。
「このワトソニンVX-αを飲むとだな、薬の主成分であるワトソニン酸が血管内に取り込まれて、ヘモグロビンと結合して血液の中をかけめぐる。そして血液の中で練られていたバンター第一物質が脂肪分によって分解され、ジャーヴィスミンとメリフィールドンに分かれる。一方、タウンゼントンはリンパ液に結合して、リカード酸とグッドウィン粘液とヴァンダインとヘイスティングズミンを作り出す。この際、グッドウィン粘液は体温によって分解され消滅するが、その残滓がリカード酸に結びついて核リカード酸に変化する。そして核リカード酸とアリスミンによって生成されたマツシタミン蛋白質の作用によって、脳のシナプスの働きに制限がかかることになるんだ」
「……」
しばしの間、無言で美島と見つめ合った私は、
「……で?」
「だから、端的に言うとだな、飲んだ人間の頭の働きを鈍らせる、身も蓋もない言い方をすると、知能を下げる薬ってわけだ」
「そんな薬に需要があるの?」
「あるよ」
「誰に?」
「それはな――」
「まさか……」
思わず私は彼女の言葉を遮ってしまった。美島は大きく頷いて、
「そうだ。この『ワトソニンVX-α』を購入しているのは、日本中の名探偵たちなんだ」
「そ、それで、名探偵たちは、入手したその薬を使って、何を……」
答えは察してしまっているが、訊いてみないことには納得がいかなかった。美島は、ああ、と頷いてから、
「こっそりと、自分のワトソンに飲ませているんだよ。お茶やコーヒー、食事なんかに混入してな。彼ら、彼女らを、いつまでも『自分の引き立て役である、愚鈍なワトソン』という立場に置き続けるために。薬の効力は一箇月くらいしか保たないから、定期的に投与する必要があるが」
「……」
私は当然、理真のことを考えた。しかし、思い出してみても、私が理真から何かを飲まされたり食べさせられたりということは、ほぼない。むしろ、私のほうがいつも理真に食事を作ってやったり、お茶やコーヒーを出してやっているくらいだ。
「ところで、由宇……」
「なに? 絵留ちゃん」
「まだお茶出してなかったな、そら」
美島は私の前に、湯気の立ち上る湯飲みを置いた。いつも私がごちそうになっている……。




