第74魔 『討伐依頼』
「さぁ、邪魔者がいなくなったことだしぃ、受付業務を再開するわよぉ」
性悪受付嬢ビュアナが、倒れた(蹴り倒した)椅子を起こす。
すると、ド派手な手提げバッグからハンカチを取り出した。
そして、丁寧に椅子を拭いていった。
「どうしてわっしが、あんな下等生物の座った椅子なんか使わなきゃならないのかしらぁ。まぁそれも、もう少しの辛抱だわぁ」
使用したハンカチは、迷わずクズ入れに捨てていた。
ここにきてようやく、ぽっちゃり受付嬢は腰を下ろす。
「もう少しの辛抱? それはどういうことだ?」
女の言葉に不穏な響きを感じ取っていたオックスは、ストレートに訊いた。
「あらぁ、女のひとりごとに口を挟むなんて野暮なガキねぇ。ていうか、どうしていつもタメ口なのかしらぁ? 普通、目上のものには敬意を払うものよぉ?」
「すまんな。こちとらあいにくと育ちが悪いもんでね。それに俺が敬意を払うのは、尊敬に値する相手だけだ」
オックスは椅子にふんぞり帰って、デブ女を見下ろした。
女はこめかみに血管が浮かべ、ぴくぴくと口端を震わせた。
「相変わらず口の減らないガキねぇ……」
「テメェにだけは言われたくねぇよ」
「そうよ! 誰があんたなんかに敬語を使うもんですか!」
誰にでもタメ口な少女が吠えた。
声がかすかに震えている。
ルビーは、ずっと優しい大人に囲まれて育ってきた。
なので、この女のように明確な悪意のある大人が怖いのだろう。
オックスの腕にしがみついた手も、声と同様に少し震えている。
「このガキどもがぁ……。で、今日はなんの用なのかしらぁ?」
怒りを隠しきれないながらも、平静を装いつつ、ビュアナが訊ねた。
「これだ」
オックスは手にしていた皮袋を、乱暴に投げ渡す。
袋は受け取ったビュアナの手の中で、ジャラリと重い音を立てた。
「入金に来たんだよ。それ以外なにがある?」
「あ、そう。じゃあ用事は終わったわねぇ。お帰りはあちらよぉ?」
皮袋をカウンターテーブルに置いて、ビュアナが出入り口を指さした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
ルビーが叫ぶ。
「どうして中身を確認しないの! ちゃんと仕事しなさいよ!」
「あら失礼ぃ。――えっとぉ、金貨が1枚2枚……合わせて15万フィンねぇ。確認したわぁ。これでいいかしらぁ?」
「それだけか?」
「それだけぇ? どういう意味かしらぁ?」
「その15万で依頼料の900万になったはずだ。なのに『確認した』で終わりか?」
「あら、もう900万だったかしらぁ?」
ビュアナがカウンターの引き出しから手帳らしきものを取り出した。
ペラペラとめくって、あるページに目を通す。
「本当に900万だわぁ。この短時間で大したものねぇ。確かに討伐依頼は承ったわぁ。――これでいいかしらぁ?」
「まだだ。――これからの予定はどうなってる?」
「まず討伐会議が行われて、実力的に対応可能な冒険者のスケジュール調整が行われるわぁ。今回の場合、Aランクの冒険者ねぇ。それからその冒険者に話が行って、依頼を了承してもらえたら、用意ができ次第討伐に向かってもらうって流れよぉ」
「なるほど。あと二、三質問がある」
「なにかしらぁ?」
「初めて俺がここへ来た時、あんたはどうして俺の話を信じた?」
「話ぃ? どんな話だったかしらぁ?」
「〝Aランクの魔獣が出た〟って話だ。調査もしていないのに、どうしてAランクの魔獣がいると信じた? 普通あんたは信じないだろう? 育ちの悪いガキの話なんてな」
そのときビュアナが一瞬だけ見せた焦りの表情を、オックスは見逃さなかった。
「……わっしは嘘をついている人間がわかるのよぉ。あの時アンタは嘘を言っていなかったわぁ。だからわっしはアンタの言葉通り、Aランクの魔獣がいるものとして話をしたのぉ」
引っかかるが、一応、筋は通っている。
真意は保留にして、オックスは次の質問をした。
「では魔獣の調査報告書がないのは、どういうことだ?」
「あの犬っころに聞いたのねぇ。まったく余計なことをしてくれるわぁ。でも、それについては簡単に説明できるわよぉ。書類の整理をするために、家に持ち帰っていたのぉ」
「ほぅ、で、今その書類は?」
「わっしの家よぉ」
この話もまたグレーであった。
真意は確かめようもない。
「最後の質問だ。討伐依頼を承ったってあんたの話――それを信用する根拠は? 担保する証拠は?」
「ないわねぇ。でも安心していいわよぉ。当ギルドは信用第一がモットーだからぁ」
「はぁ!? あんたの言葉だけで、どうやって安心しろってんのよ!」
たまらずルビーが口を挟んだ。
「そうだな。ルビーのいう通り、あんたの言葉は信用できん」
「あっそぉ。じゃあ仕方ないわねぇ。少し待っててもらえるかしらぁ」
そう言ってビュアナは奥の扉から出て行った。
部屋に残されたのは三人。
ルビーとオックスと、壁際に立つ男――ギャスガル。
ルビーは男から体を隠すように、オックスへしがみついたままだ。
静寂が訪れた。
オックスもルビーも口を開かなかった。
ルビーはまだ怯えている。
そして、オックスも……。
しばらくの後、その沈黙をギャスガルが唐突に破った。
「おい、900万なんて大金、どうやって稼いだんだ? お前等みたいなガキが、たった二人で」
ビクッとオックスは、大きく体を跳ねさせると、オドオドと男に顔を向けた。
「おおお、お前なんかに、そそそ、それを言う必要はない!」
オックスが震える声で言った。
「そうよ! 誰があんたなんかに教えてやるもんですか!」
と、オックスの影から顔を出して、ルビーも叫んだ。
明らかに怯えている子供2人が切る、威勢のいい啖呵。
ギャスガルは、片方だけの目を丸くすると、次の瞬間、
「ギャハッハ!」
爆笑した。
「えらく嫌われたもんだな。まぁいい、まぁいいさ」
言いながらギャスガルが、ゾッとするほど冷たい笑みを浮かべる。
「そのうちわかる。そのうち、な」
そしてルビーを見つめ、ペロリと唇を舐めた。
「ひっ」
ルビーは、再度オックスの影に隠れ、しがみついた腕に力を入れた。
オックスは男の顔を緊張した面持ちで見つめている。
そしてしがみついているルビーの手を、震える手で握った。
「オックス?」
ここへきて、オックスの怯え方がどうも変だと、ルビーは思ったのだろう。すこし不自然だったかな。
ギャスガルは、まんまと勘違いしてくれただろうか。




