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第62魔 『誘惑』

 ルビーは挙動不審だった。


 オックスとの待ち合わせの場所である中央広場の噴水前。 

 隣では、貨車から解放された騎竜が、よほど喉が渇いていたのか、一心不乱に噴水の水を飲んでいる。

 数時間前まで、狩りの獲物を満載していた貨車は、今や空っぽである。


 噴水脇には『馬の水やり禁止!』の看板がかかっているが、現在進行形でガフガフと喉を鳴らしているペンタンは竜であって馬ではない。なのでルビー基準ではセーフである。

 が、ルビーが挙動不審である原因はペンタン水泥棒問題ではない。


 立ったままキョロキョロと辺りを見渡して、ルビーは呟いた。


「落ち着くのよ、ルビー。みんなが不審者に見えるのは気のせい。気のせいなのよ」


 皮の小袋を両手にしっかと抱え、血走った目で周囲を警戒するルビーは、恐らくこの広場でただ一人の不審者だった。

 やがて、誰もルビーを見ていないことに気づいて、ようやく噴水の縁に腰を下ろした。


「まさか、こんなになるだなんて……」


 ルビーは挙動不審の原因である小袋の口を、少し開いて中身を見た。


「やっぱり夢、じゃないわよね」


 そこには、確かに金貨が1枚入っていた。

 それどころか大銀貨が7枚と、銀貨8枚も。

 つまり17万8千フィンだ。

 ほっぺをつねると、ちゃんと痛かった。

 夢ではない。


 つい多めに狩ってしまった魔獣が、それだけの値段で売れたのだ。

 これはジルコ村の農民の平均月収の……えっと、おそらく3ヶ月分以上に相当する。

 一月1000フィンであるルビーのお小遣いに換算すると……えっと……と、とにかくとんでもない額だ。



 胸がドキドキする。

 大金を(しかも自分で稼いだお金を!)持っているだけで、世界がまるで違って見える。


 先ほど、買い取り業者のソルベー氏から言われたことを思い出す。


『お嬢ちゃん、よかったらうちと契約しないか? うちに独占して販売してくれるなら、毎回この値段で買い取らせて貰うよ。もちろん契約書は交わそう。――どうだい?』


 ルビーは返事が出来なかった。

 今はシスター・リーチの件で、頭がいっぱいだからだ。

 彼女の病気を治すことが、何よりも優先される。

 でも……。


「ジルコ村を出て暮らす……そんなこともできるのね」


 今まで考えてもみなかったことだ。

 教会の庇護無しで暮らして行くだなんて……。(もちろんオックスの力があってこその話だが)


 ルビーは辺りを見渡した。


 ジルコ村と違う綺麗な石畳の地面に、ジルコ村の祭り以上に大勢の行き交う人々。

 沢山のお店に、見たことがないほどの魅力的な商品達。

 そして、それらの店の多くが単独商品を扱う専門店なのだから呆れてしまう。

 (帽子の専門店があるなんて、考えたこともなかった!)

 ちなみにジルコ村には生活雑貨を売っている商店が一店舗のみ。


 頭につけた髪飾りを、ルビーはそっと触ってみる。

 身をよじり、ゆっくり波打つ水面を見つめる。

 波の合間に映る自らの姿を見て、ルビーはため息をついた。

 オックスからプレゼントされたこの髪飾り以外は、どうみても田舎の小娘だった。


 座り直して、道行くきらびやかな女性達を改めて見てみる。

 旅装束だから仕方ないとはいえ、薄汚れた衣服に身を包む自分が場違いに感じて、恥ずかしい気持ちになった。


「村を出る……」


 ルビーはもう一度呟いた。

 ひらひらとした流行の服を着て街を歩く。そんな自分が頭に思い浮かんだ。


「でも……」


 すぐに、シスター・リーチの温かい笑顔がその妄想を掻き消す。

 シスター・ナトリのイタズラな笑顔が、テルルの嬉しそうな笑顔がどんどん浮かんでくる。


 ルビーの瞳からポロリと涙が零れた。


「みんなと会えなくなるなんて絶対にイヤよ。でも……」


 大きな街で暮らすこと。

 それは年頃のルビーにとって、たまらなく魅力的な誘惑だった。


 さらに買い取り業者のソルベー氏から言われたことを思い出す。


『お嬢ちゃん、これだけの腕があるなら、思い切って冒険者になったらどうだい?』


 ハァとため息を吐き、まるで悪魔の誘惑だわ、と呟いた。胸の鼓動はいつもより大きく脈打ったままだ。

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