「魔法にかけられて」によせて ~ドチャクチャエロイノスキーのTVロングインタビュー抜粋~
(CM終わり、観客の拍手)
性的に魅力的な女子アナウンサー:引き続き、ロシアからお越しの、世界的文豪であられますドチャクチャエロイノスキー先生にお話を伺って参りたいと思います! ここからは名作をお書きになる先生自身の、普段の読書についてお聞きして参ります。
先生は日本の作家もお読みになるとお聞きしたのですが、特に好んで読まれる作家などおられるのでしょうか?
ドチャクチャエロイノスキーの通訳:います。最近はやましたちつろうの『魔法にかけられて』を読みました。
性:へえー!そうなんですね!私もすごく好きなんですけれども。女性の気持ちがすごく解っていらっしゃるような気がして。それに、あの作品の美しい文体が好きなんです!あっ、すみません、私ったら。自分の話ばっかり(照)。先生はあの作品に対して、どんな印象をお持ちでいらっしゃいますか?
ド:……ええ、そうですね。まず一つ言えることは、無駄が圧倒的に少ないことです。構成上に一点の曇りもありません。
性:? ……えっと、すみません。そうでしょうか……? 後半の、隕石が落ちるところなんかは、失礼ですが、無くてもよかったんじゃないでしょうか? あのあとの人生と、美しさに関する部分なんかはすごく感動したんですけど……。
ド:その読み方も間違いではありません。むしろあなたの善良なたましい(と、その清楚でありつつ淫らな肉体は、20代という芳醇かつ清潔な、正に果物でいうなら真夏のバレンシアオレンジ、いや、失礼、メロンの間違いでしたかね。ともかく、そんな身体をぶら下げて私の目の前に座っているということは、私に食べられても構わないと言っているようなものなのです。そしてあなたも心の奥ではそれを求めているのです。あなたが今正に話題にしているやましたちつろうの小説に登場する魅力的極まる女性、端麗美麗山手 麗美と同じようにね。さあ早く行きましょう。私とあなたはセックスをするべきなのです。さあ早く!)の証左なのです。
性:えっと……。すごく沢山喋られていた気がしたんですが……。目も少し血走っておられますし……。……問題ない? では、このまま続けさせて頂きます。
間違いではない……と仰いますと?
ド:(あなた、ちゃんと通訳してますか? 犯したいという私の意思をきちんと伝えてくれないと困りますよ。とにかく説明を続けます。訳して下さい)
ええ、ああ、はい。あの部分から読み込める事が、さらにあると言うことです。考えてみて下さい。絶世の美女として描かれる端麗美麗山手 麗美が、最後に自分をドスケベ淫乱猥雑メス犬生ハメ極太ちんぽマンコ中出しセックスのようだと自覚して大絶頂をかますシーンがありますが、(私が大好きな場面です。読んだ瞬間に肉棒を女性の顔面に押し付けたくなりました)ロンドン郊外に落ちて甚大な被害を出したとされている隕石が突然に降ってきたのは、まさにその瞬間だったのです。
このシーンはとても象徴的です。名前からしても明らかに「美」そのものの性格を附与されている 端麗美麗山手 麗美の堕落と同時に、彼らが居たチャペル=エン=レ=フリスを含むイギリスの大部分が壊滅しました。これは「美」が損なわれるということは、すなわち世界自体が損なわれることであるとする作者からのメッセージと読んで差し支えないでしょう。ここでは、隕石の落下とそれによる都市の壊滅という展開が、一種の神話的モチーフを効果的に形成しています。ゆえにこの箇所は、なくてはならない部分なのです。しかしここで――注意してください、いいですか――作者である山下膣郎は、作品中に明確な形で、さらにその先の答えを提示しています。私はそれをそらんじることができます。『言葉の良し悪し関係なく、あらゆる言葉たちで世界を彩ることこそが、「美しい」と言えるのではなかろうか。』
私たちそれぞれの心の内には、それぞれの端麗美麗山手 麗美や、汚泥糞舐坂 塵芥がいるのです。時には汚泥糞舐坂 塵芥の誘惑に載せられてしまい、絶望と性的興奮を感じながら美とは程遠い言葉に身を焦がすことがあるかもしれない。しかしなおその言葉は、世界に向けて放たれこの世界を描写する、まさに言葉であるというその点において、美である。と、そういう主張がここで為されているわけです。
そしてこの言葉は、そのまま全世界の言葉をあやつる者たちにとっても向けられた言葉のように私には感じられます。もちろん、この私も含めてね。余談ですが、私の最新作にもこの言葉はいくらか影響を与えていることを、認めざるを得ません。
性:そうなんですか! やましたちつろう先生の作品から、ドチャクチャエロイノスキー先生が影響を受けていらっしゃると! それは衝撃の新情報です! テレビの前の皆さんも、その辺りの繋がりを意識してみると面白いかもですね! ですが、ちつろう先生の作品についてのエロイノスキー先生の解説は、うーん……。解るような、解らないような……。もう少し易しくご説明頂けませんか?
ド:易しい説明は少々難しいかもしれません。それはつまり、ちつろうの扱った主題そのものが、そもそも解りにくいものだからです。ちつろう自身、最大限に解りやすくしようとした意図が感じられますが、それでもその主題となるとどうしても難解にならざるを得ない。もちろん、私も全てを理解できたという訳ではありませんし、そこまで傲慢にはなれませんからね。あくまで解説ではなく、解釈であるというのを断った上で、ですが……。
そうですね、つまり……。つまり、醜い言葉がすなわち美ではないとは言えない、そう言い換えてもいいでしょう。もっと簡単に言うなら、こうです。麗美が快楽と罪悪感とともに口走ったあの下品極まりない文句ですら、世界を彩る、つまり人間が話すものである限り『美』と呼ぶことができるのではないか。そういうことを膣郎は寓話と随筆体を重ねることで雄弁に語ったのです。――これはとても深淵なテーマです。だからもしあなたが続けたいならば、いくらでもこのテーマでこの先を続けられるでしょう。
……『魔法にかけられて』をさらに楽しむためのヒントを出しておきましょう。ちつろうは最後まで、己をドスケベ淫乱猥雑メス犬生ハメ極太ちんぽマンコ中出しセックスと称する麗美を、塵芥以下という条件付きではありますが『人間であった』と描写しているのです。ここには『美:醜≒人間:ドスケベ淫乱猥雑メス犬生ハメ極太ちんぽマンコ中出しセックス』という相似形を見ることができます。
また、塵芥が「相転移」という言葉を口にするのも実に興味深い点です。もともとは熱力学や統計力学に馴染みのある語だそうですが、この場合、ドスケベ淫乱猥雑メス犬生ハメ極太ちんぽマンコ中出しセックスと人間をそれぞれの相としてみることもできるでしょう。まずは、麗美が最終的にどちらの相として描かれているのか、それともどちらでもないのか、それともまたどちらでもあるのか、という問いを立ててみることで、充分に議論を深めていけるはずです。
性:ありがとうございました! 少し難しいお話にもなりましたが、いかがだったでしょうか? 貴重なお話をどうも、ありがとうございました。ドチャクチャエロイノスキー先生でした……。あっ、先生、何を……。やめっ、やめて下さい! イヤッ、どこ触ってるんですか、あっ
(スタジオからの映像が途切れ、CM。ドチャクチャエロイノスキーはこのあと局を子孫の代まで出禁となった)




