4-9・二人だけの夜
サウスでは珍しいほど緑の匂いが濃い庭園。
二人で手を繋いで歩きながら、ただ相手の体温を感じている。
イコガはこの宴のことはアゼルからの魔鳥便で知った。
何故か嫌な予感がして、王都へ行くために用意している服を着て、他の者たちに見つからないよう移転部屋へ飛び込んだ。
サウスの町は初めてだったが、ただセリの魔力を強く感じる方向を目指すと、この庭へ出た。
「『ウエストエンド』の妖精から知らせがあって」
不機嫌なサウスの妖精が手当たり次第に悪さをしない内に抑える必要があると。
セリに何かあったら、イコガはそう思うと居ても立ってもいられなかったのである。
イコガはセリの手を握ったまま、ポツリポツリと話す。
以前、会った時よりも青白い顔の彼の耳には赤い石の耳飾りがあった。
セリはそれを見て、幻ではなく本人なのだとやっと実感が湧いた。
「ありがとう、こんな遠くまで来てくれて」
セリは涙を拭いながらイコガの手を握り返す。
会場を背にし、館の中からは見えない位置に移動する。
イコガは周りを警戒しながら見回すと、セリに指示を出した。
「妖精を呼び出して」
「はい」
袋から妖精石を取り出し、そっと月の光に当てる。
クルクルと光が踊り魔法陣が浮かび上がった。
先ほどの妖精が姿を見せたが、プンプンと不機嫌さを隠さない。
【何よ、もう!】
小さな妖精にセリは平謝りである。
「ごめんなさい、勝手に呼び出したのに、勝手に閉じてしまって」
【プンプン】
しかし、妖精はセリの後ろにいたイコガの姿に気づき、びっくりして固まった。
ただでさえイコガは『ウエストエンド』の魔物たちの気配を纏っている。
今、その魔力の気配は不穏そのものだ。
【きゃああああ】
逃げようとする妖精をイコガが摘まみ上げた。
「逃げるな。 お前に頼みがある」
【いやあああ、怖いいいいぃ】
イコガは大袈裟に怖がるサウスの妖精にため息を吐き、セリの手にポトンと落とした。
「あ、あの、お願いがあるのは私なので」
ブルブル震えながら青い髪の妖精がセリの指にしがみ付いた。
【うんうん、何でも言うこと聞くから】
よほどイコガのことが怖いのか涙目である。
「では、あの、私に力を貸していただけませんか?」
セリが魔力持ちの子供たちのために行う治療を手伝って欲しいことを告げる。
【分かった分かった、いつでも呼んで】
そう言ってパッと姿を消してしまった。
「あ」
セリは慌てるが、イコガは、
「問題無い」
とセリの肩を叩く。
次からはちゃんとセリの呼び出しに答えてくれるそうだ。
「良かった」
セリは何だか気が抜けて、地面に座り込んだ。
「大丈夫か?」
イコガが心配そうにしゃがんでセリの顔を覗き込む。
「だ、だ、大丈夫です」
「そうか」と一言だけ呟くと、イコガはセリをヒョイと抱き上げた。
「へっ」
力が抜けていたセリは軽々とイコガの腕に収まっている。
「もうここには用は無いだろ?」
と訊かれて、ウンウンと頷く。
会場に戻るとアゼルとサキサが飛んで来た。
「彼女を送る。 馬車を貸して欲しい」
イコガはアゼルに頼み、宿の場所を教えてもらう。
「では、お先に失礼するよ」
手際良く、あっという間にセリを拐って行く男性に、見ていた者たちは呆気に取られていた。
「は、いや、何だあれはー」
イコガは、なるべく他の者の目につかないよう行動していた。
警備の者からすれば、得体の知れない者に女性を連れ出されたことになる。
すぐに後を追って出ようとするサキサの腕をアゼルが掴んだ。
「大丈夫だと言っただろ。 君は残るんだ」
力の入ったアゼルの腕を振りほどけず、サキサは唖然としてその顔を見る。
「何を言って……」
サキサにはセリを守る義務があるのだ。
「二人の邪魔は私が許さないよ?」
アゼルのぞくりとするほどの威圧は貴族そのものだった。
サキサは逆らえず、おとなしくその手に引かれて会場に戻って行った。
馬車で宿に戻ると、二人はすぐにセリの部屋へと向かう。
イコガはセリをしっかりと支え、部屋の中まで送って来た。
「ありがとうございました」
セリはやっと落ち着いて、にこりと微笑んだ。
「良かった、では」
立ち去ろうとするイコガの腕を、セリは慌てて掴んだ。
「あ、あの!、さっきの妖精のことですが」
セリは自分の鞄から質問用の紙束を取り出す。
セントラルでイコガと別れてから、セリは魔鳥便を使うことを諦めていたため質問が溜まっている。
部屋にある椅子を彼に勧め、自分はその向かいに座った。
「あの妖精はやはり、あの庭に住んでいるんですか?。
それと、あの妖精は何故あんなに怯えていたのでしょう」
いつもと変わらない好奇心旺盛なセリに、イコガは苦笑を浮かべる。
「確かにこの土地の妖精だった」
イコガは椅子に座り、セリの質問に丁寧に答えていく。
しかし、もう時間も遅い。
何より、セリの胸元の開いたドレス姿は目の毒だ。
イコガはセリに、もう休むようにと促す。
「で、でも」
セリにすれば、今、イコガと離れてしまうともう二度と会えないかもしれないのだ。
「また魔鳥便を出す。
セリのいる場所ならだいたい分かるから」
イコガの言葉に、アゼルが関係しているのだろうとセリは感じた。
ずるい。
彼には自分の事は筒抜けなのに、自分は彼のことを何も知る術がない。
セリの心に、好きな相手に対して意地悪する子供のような心理が生まれた。
「あの、すみません。
着替えを手伝っていただけませんか?」
セリは今日、アゼルが雇った女性たち三人にしっかりと髪を結れ、きつく着付けされた。
お陰でひとりでは脱ぐことすら出来ない。
「あ、ああ」
冷静そうに見えて、顔が赤くなるイコガの姿にセリは心の中で舌を出した。
二人は立ち上がり、セリの背中に回ったイコガが彼女のドレスに手をかける。
彼が苦労しながら、締め付けている紐や金具を外している間に、セリは結い上げた髪の中に手を入れてピンを一つずつ抜いていく。
「女性というのは大変なんだな」
イコガの指が今度はセリの髪に伸びて、ピンを探す。
何度も髪を梳かすようにイコガの指が動き、耳飾りも外してくれた。
「ありがとうございます」
身体を締め付けていた物が無くなり、セリはホウと大きく息を吐いた。
その弾みで淡い青のドレスが床に落ちる。
下着姿になったセリを、イコガは思わず背中から抱き締めた。
セリは、今日の下着がドレスとの兼ね合いで高級な物だった事を思い出し、何故かホッとする。
「……セリ」
胸元に伸びるイコガの手をそっと拒否して、セリは囁いた。
「コウ」
二度と呼べないと思っていた名前。
「あなたは酷い」
決して恋人にはなれないと言いながら、恋文を送り、困っていると颯爽と助けに現れる。
「私はどうやってあなたを諦めればいいの。
こんなに遠くまでひとりで逃げて来たのに」
サウスが危険な街だというのは知っていた。
その上でひとりでやって来たのは、仕事だけじゃなく、イコガを忘れるためでもあったのだ。
「私なんて、どうなってもあなたには関係ないのに」
「そんなことはない」
不機嫌なセリを振り向かせ、イコガは激しく唇を重ねた。
「そうだな。
俺は気まぐれで自分勝手な、酷い男だ」
強くセリの身体を抱き締める。
「ええ、酷いご領主様だわ。
私のような平民が逆らえるはずなんてない」
そう言いながら、セリはイコガの背に腕を回す。
二人はそのまま寝台に倒れ込んだ。
「それでも俺を受け入れてくれるのか?」
セリを見るイコガの瞳は、まるで子供のように嫌われることに怯えていた。
「あなたが求めるなら、何でも手に入るでしょう」
皮肉を込めたセリの声のほうが落ち着いている。
覚悟はしていた。
セリもイコガも、もう大人なのだ。
「愛でも恋でもない。
ここは南の果て、現実から逃げて来た人たちの街」
それでいい、と自分に言い聞かせて、セリはイコガの背中に回した腕に力を込めた。