4-10・セリの強がり
朝の日差しが窓から差し込んでいた。
「うーん」
毛布の中で寝返りし、セリは虚ろに目を開く。
「おはよう、起きた?」
ハッとして声のしたほうに目を向けると、イコガが立ち上がり、服を着ようとしているところだった。
「あ、あ、あの」
「ん?」
黒いズボンに白いシャツを着ながら、イコガがセリを見る。
その肌の色は、昨夜の青白い顔よりほんの少し暖かい色になっている気がした。
昨夜のことを思い出し、真っ赤になったセリは毛布の中にすっぽりと隠れる。
つい勢いで恥ずかしいことを言ってしまった。
口にしてしまったことはもう取り返しはつかない。
だが、セリは後悔はしていなかった。
あの勢いがなければおそらく一生言えなかっただろう。
決して素直じゃない、自分の気持ちを。
強がって、涙を見せずに伝えるには、あれが精一杯だった。
その結果、こうして二人は結ばれた。
「ねえ、セリ」
シャツの上に昨夜の黒の上着を羽織り、イコガはセリの寝台に腰かけた。
「俺はこれからも、君にとって我がままで身勝手な奴でいいのか?」
セリは毛布から目だけを出してイコガを見上げる。
自嘲するような独り言に、セリは、
「その被害者の中に私が入っているなら」
と、呟いた。
セリにとっては今更なことだったが、イコガには自覚が無かったらしい。
「被害者……、そうなのか」
我がままで身勝手な自分のせいで、彼女は被害を被っていたようだ。
イコガは口の端を歪めて笑う。
「じゃ、せいぜい償わせてもらおう」
目を閉じたイコガが何かを呟くと、部屋の中を爽やかな風が通り過ぎた。
「あ」
一瞬で部屋の中の全てのものがきれいに洗浄され、セリの身体までがお湯で身体を拭いたようにすっきりした。
イコガは毛布から出ていたセリの額に口づける。
そして真っ直ぐにセリを見つめた。
「セリ、一つだけ約束して欲しい」
セリも毛布から顔を出してイコガを見つめた。
「もし君の身体に何か異変があったら」
もし、イコガとの子供を授かったら。
「必ず教えて欲しい。 絶対に悪いようにはしない」
思いがけないイコガの言葉に、赤くなったり、青くなったり、セリは忙しい。
その様子を見て微笑みながらイコガは立ち上がる。
「じゃ、またね」
イコガの足元に黒い渦が生まれ、その身体が沈んで行く。
彼の姿を飲み込んだ渦はあっという間に消えた。
「まるで絵本の中の魔王みたい」とセリは思わずクスクスと笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
真っ暗な闇の中、イコガの足は地に着かず、フワフワと宙に浮いている。
そこは魔物たちが通る異界の道だ。
すれ違う魔物はいても、魔物の気配を持つイコガには人を嫌う彼らも素通りする。
そんな暗闇の中で目を凝らせば、いくつかの扉が見えてくる。
その中から自分が行きたい場所を選べばいい。
のんびりと風に流されるように漂っていたイコガだが、目当ての扉が見えて来た。
自分の目にだけ輝いて見えるいつもの場所へ。
ポンッと空を蹴り、宙に浮くその扉を開いて飛び込む。
「お帰りなさいませ、コガ様」
小さな部屋で、明らかに怒った顔のロクローに出迎えられた。
「うん、ただいま」
上機嫌のイコガは悪びれもせずに、その横をすり抜けた。
昨日の午後、再びアゼルから来た魔鳥便で、寝込んでいたイコガが飛び起きた。
「サウスだと?!」
どうやら例の女性がいる場所を教えてもらえたようだ。
これで少しは容態が安定するのではと、ドクターも少年執事もホッとしていた矢先。
そのイコガが目を離した隙に姿を消してしまう。
「まさか、行っちまったのか」
護衛騎士のラオンの言葉をロクローは否定できなかった。
そうして戻って来たイコガは、背中に罵倒を聞きながら壁の扉を開き、領主館の中央棟の一階にある玄関ホールに出る。
「勝手に移転部屋を使われては困ります!」
魔物の道に繋がる部屋は中央棟の玄関から二階に上がる階段の後ろにある。
決して口外してはならない『ウエストエンド』の秘密の一つ、異界への出入り口。
この移転部屋を使えば、セントラルに限らず、他の都市でも一瞬で移動出来るのだ。
魔物の魔力を持つイコガだからこそではあるが、戻りはどこからでも帰って来られる。
但し、ここから出かける場合は移動先の明確な目印を必要とするので気軽に使えるわけではない。
「もしかして、ずっと扉を見張ってたのか」
「当たり前です。 ここしかあり得ませんから」
列車に乗るには時間が決まっているし、駅に行けば必ず誰かの目に留まる。
狭い町中に姿が見えなければ、あとはここしか心当たりがない。
へっぽこ領主のことを父に頼まれているロクローは一睡もせずに待っていた。
「異界の道はコガ様の御身に危険です!」
いくら魔物と仲が良いとはいえ、異空間では何があるか分からない。
館の者は、よほどの事がない限り使わせないようにしている。
今回は文句を言いながらもロクローはイコガの機嫌の良さに安堵していた。
「あの女性はご無事だったようですね」
イコガと共に領主の部屋に向かって歩きながら呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
セリの元にサキサが現れたのは、その日の午後になってからだった。
「うー、頭が痛い」
彼女は昨夜、アゼルにしこたま飲まされたらしい。
「セリ嬢。 あの黒髪の男は誰だ」
動きがどことなくぎこちないセリに、やはり何かあったのだとサキサは感じる。
「え、アゼル様に聞いていないのですか?」
サキサは恨めしそうに顔を歪めた。
「あの次期侯爵様はのらりくらりとして、はっきりしない奴だ」
アゼルに対する珍しい評価にセリは首を傾げた。
ほとんどの者が彼のことを好意的に評価するのに。
セリはサキサに事情を話すかどうか迷った。
アゼルに対しても好意的ではない彼女に、その兄だと話をしても評価は変わらないだろう。
「彼は私の医療研究の恩人です。
アゼル様同様に色々助けてもらっているの」
その程度でいいだろうと思う。
「それより、今夜、子供たちのとろこへ行きます」
「え、夜は危険だ」
あの辺りは下町の一部になる。
そんな場所に若い女性を連れて行くのはサキサでも気が引ける。
「でしたら、明るいうちに館に入って、帰りは明日の朝で良いでしょう?」
「いったい、何故そんなに急ぐのだ」
セリは「うふふ」と満面の笑みを浮かべた。
「昨日の宴のお陰で無事に治療の手伝いを妖精にお願い出来たのです」
「お」
セリの努力を見ていたサキサは、若干うれしそうな顔になった。
早く治療を終えて、セリがこの町を去るのを期待しているのかもしれない。
しかし老婆の許可はいる。
「では早めに行ってお話しましょう」
却下された場合、明るいうちに戻って来なければならない。
セリの提案にサキサは頷き、二日酔いに効きそうなお茶を飲んでくると言って厨房へ行った。
孤児院でセリはお婆さんの説得を試みている。
「本当に治療できる目処が立ったのかい」
「はい」
老婆は、セリの誇らしげな笑顔を「まだ終わってもいないのに」と訝し気に見る。
「それがどうして夜でなければならないんだい」
「私の治療は妖精の力を借りて行います。
月夜が一番、妖精たちの機嫌が良いとされているんです」
魔力の無い大人の中には妖精を見ることが出来ない者が多い。
「信じてもらえないかも知れませんが、妖精の力を借りるのは結構大変なのです」
妖精は魔物の一種と言われ、気まぐれで、人に危害を加える事もある。
誰にでも姿が見える訳ではないので、妖精の仕業だと知らないだけだったりするのだ。
セリはこの館の庭を整備してクローバーを植えた。
うまくいけば、クローバーを使ってセリ以外の者でも、いつか妖精を見ることが出来るようなるかもしれない。
確実とは言えないのは、人は往々にして「見たいものしか見ない」からである。
「仕方ないのお」
セリたちは滞在を許可された。




