表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ 2

車をやめますか? それとも人間をやめますか?

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。


 2018年の年間の交通事故死者数は3532人。 

 65歳以上の交通事故死者数は減少傾向で前年より54人少ない1966人。1985年以来の千人台となったものの、これは死亡者全体の55%を占め、全体数が減少したことで割合としてはこれまでで最も高くなりました。


 高齢者ドライバーのブレーキとアクセルの踏み間違え、判断の速度低下などが問題となり、痛ましい事故のニュースが続き、高齢者ドライバーの免許返上も増えています。


 しかし、車が無ければ生活できないという地域では生活の必需品として、車が手離せないという実情があります。

 だけど危ないのは高齢者だけじゃ無いんですがね。

 

 なので高齢者ドライバー含めて、車を運転する人の中で、何が危険なのかをもうひとつ提起したいと思います。

 こういった人物は少数派だと信じたいのですが、私の見るところではそれなりに数がいます。


 身の危険を感じた一件をネタにしたところ、日間ジャンル別ランキング、ホラーで一位となりました。リアルホラーっていうのもおもしろい上に注意喚起になって良いかもしれません。


 これは恥ずかしい話ですが、私の親戚など車の運転に対する危機意識というものがあまりありません。

 飲酒運転、スピード違反、運転中の電話など平気でしています。

 また、車を使わないと仕事にならないと、免停中でも車を運転したりします。危ないからやめろ、という話にはまるで耳を貸しません。


 こういったドライバーの特徴として、根拠の無い自信を持っている、というものがあります。どうして自信満々なのか理解できない。


 毎日のように車を運転し、それが何年も生活の中に染み着いてしまう。

 日常で使う道具に人を殺傷する力がある、ということも毎日触れていることでその危険に慣れて、危機意識が持てなくなっていく。

 工場などでも危険な工具、機械など、使い慣れてきたときが一番危なかったりします。ある程度馴染んできて、危機意識が緩まったときが危ないものです。

 

 車を何年も運転してきた人が言うことには。


『私は毎日お経を唱えているから、〇〇〇神が守ってくれる』

『これは〇〇〇神の無事故のお守りだから、これを毎年買っていれば大丈夫』


 こんな感じです。こんな人ばかりでは無いと信じたいのですが。

 間違ったことでも何年と繰り返し経験を積むことで、それが自信に繋がります。この自信は経験則から来る、自己弁護の為のテクニックとなっていきます。


 こういうオカルトも何年も無事故が続くことで、ドライバーの『私は大丈夫』という自信になってしまいます。


呪術的思考(じゅじゅつてきしこう)魔術的思考(まじゅつてきしこう)英: Magical thinking、とは、ある事象について、理性と観察においては因果関係が正当化できない物事に原因を求める思考である。宗教や民俗、迷信において、信仰心や祈り、儀式や生け贄、タブーの順守などと、それに対して期待される報酬や利益が結び付けられた』


 以上、ウィキペディアより。


 人はこういった思考から、なかなか逃れられないものです。自分は大丈夫と思いたい、そんな思い込みを欲しがるものです。

 ですが根拠の無い思い込みでも、それを信じる人は他人の話を聞きません。


 安全神話とは、それを信じる人の心に安息をもたらします。その根拠は、心から信じることができるならオカルトでもいい、となります。

 もともと理性や理屈では理解することを諦めた人が陥る信念が、呪術的思考でもあります。


 車が無いと生活できない、車が暮らしの必需品という時代。

 この状況が事象を正しく判断できない人に、車を使わせる現状に繋がります。

 結果として誤った自信を積み重ねた、自称運転のプロが増えてしまいました。


 車とは確かに便利な物。移動も速く荷物も運べる。

 ですが、何故、車が無いと生活できないという時代になってしまったのか?

 車の無い時代、人はどうやって暮らしていたのでしょうか?


 車のある生活に慣れてしまい、車が無ければ生活できない。

 まるでアル中やヤク中の言い分に似て聞こえます。さしずめ今の日本は車中毒とでも言うべき状況です。

 今の日本で車を使うのをやめろ、と言うのはお酒をやめられないひとにお酒をやめろと、タバコをやめられないひとにタバコをやめろと言うのと、同じでは無いでしょうか。


 車とは危険な乗り物であり、車の殺傷兵器としての威力を正しく認識する人にのみ、使用が許可される。

 猟銃の所持資格と同様に扱うのが理想でもあります。


 ただ猟銃と違い既にそこにあるのが当たり前となったものを、改めて厳しくするのは難しい。

 メーカーから見れば運転免許を簡単に取れるようにして、車を欲しがる人が増えて欲しいというのもあるでしょう。

 この辺りはアメリカの銃の所持と銃器メーカーと似ていますか。


 車のある生活に慣れた人は、ドライバーが気をつければいい、運転手が正常であれば、車は危険な乗り物では無い、と言うでしょう。

 この辺りも銃社会と車社会はよく似ています。


 一度広まったものは世間の認識が変化しなければ、大きく変わることは無いでしょう。

 ですが高齢者の危険運転が問題となり、自動運転技術など対策を考えねば、という時流となってきました。

 高齢者向けの小型一人乗り自動車など、試験試乗が行われています。


 車の危険性もまた、これから危機意識を改めていく時代となるでしょう。

 タバコの危険性が広く世に広まり、駅のホームから灰皿が無くなり、路上喫煙が禁止になるなど、人の常識とは時の流れと共に変化し新たな常識となります。


 それに早いうちに車の無い生活を確立できるようになれば、高齢になってから運転免許の返上で悩むこともありません。


 また現代では若者の車離れが進んでいます。これは経済的な理由となりますが。

 車を持つことでの維持費、自動車保険や車検、ガソリン、駐車場といったものも、車を持たなければ払う必要がありません。


 車のある便利な生活を維持するために、年間三千人の犠牲を必要なコストと割りきるのか、それとも車中毒から脱却し、車に頼りきりにならないライフスタイルの構築を模索するのか。



 なかなか車をやめられなくて、という方は一度、専門の医師にご相談ください。

 車依存は治せる病気です。

 という感じで、車中毒も治療できる病気のひとつとして、病院で治療を受けられるようになる。

 そんな時代になるかもしれません。


 

 追記


 高齢者の自動車事故は車の運転だけではありません。

 足腰が弱り歩道橋の階段を登るのが辛い。横断歩道のあるところまで歩きたく無い。と、信号の無いところ、横断歩道の無いところで道路を横断する人が増加傾向にあります。

 車を運転する方は無謀な道路横断者に気をつけて下さい。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] すごくあるある 身内で自動車運転に根拠のない自信がある人がいましたが 一度事故を起こしかけて安全運転派に転向しました
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ