幕間 ーヨーク王国第四王子の憂いー
「ただ、私が新しい水だということは
どうかわかっていてほしいのです」
彼女はそういった。
赤と金の目を細め、妖艶に微笑む。
ああ、彼女はなんてーーー
◯◯◯
「ゾーイ・カーティスのようなまがい物が王子だなんて、この国も終わりだわ!!」
あれは1週間ほど前のこと。
ゾーイ主催のお茶会にて、そんな声が響いた。
その声が誰の声なのかなんて、問わなくてもわかる。
王城の中庭で行われた華やかなお茶会。
集まっているのはゾーイと同い年くらいの特別階級の者達。
そこにはヨーク王国の半分を占めるヒト族の貴族もいれば、人狼族、吸血鬼族、妖精族……と様々な種族の少年少女。
ほとんどの者はヨーク王立特別優秀生徒育成学園……通称「化物学園」の仲間となる。
入学してから、そしてそれよりもっと先を見据え、和気藹々と過ごしていた。
それなのに、そんな雰囲気を壊す声。
このお茶会の主催。
そしてこの国の第四王子を貶す内容。
不敬だと顔を歪ませる者もいる。
なんて酷いことを、と青ざめる者もいる。
王子に対する態度ではないと怒る者もいる。
しかしその言葉を述べた彼女は、きっと平然としているのだ。
ゾーイからは彼女の表情どころか姿すら見えないが、容易に想像できた。
「ゾーイ。大変無礼を……」
ちょうどゾーイや友人達と話していた冬青が、眉を寄せてからそう声をかけてくる。
冬青ももちろん、その言葉を述べた人間を見ることなんてできなかったが、誰がいったかなんてすぐにわかったのだろう。
というより、ここにいる誰もが知っている。
こんなことをいうのはひとりしかいない、と。
「君の謝罪で何か状況が改善されるなら、その謝罪を受け入れるけどね?」
「クフフ。その通りですよね……義妹を迎えに参ります」
「ああ、俺も行こう」
顔を真っ赤にして怒る友人をなだめるのを他の友人に任せ、ゾーイと冬青はざわめきの中心に向かう。
さっきから女性同士が罵り合う声が聞こえていた。
気が重くなる。
けれど主催者として、そして王子として、ゾーイはその諍いを止めなければならない。
「柘榴!!」
諍いの中心にいたのは、赤い髪。
炎のような真っ赤な髪は肩につくかつかないほど。
透けるような白い肌。
鬼族の証である2本の小さなツノ。
そしてーーー
一際目をひく、その金色の瞳。
派手な着物にレースの帯。
いつもと変わらず個性的な格好の彼女は、ゾーイの声にうんざりしたような表情を浮かべる。
このお茶会に参加している女子の中ではトップクラスに入るほど可愛らしい顔をしているが、ゾーイは正直、彼女を可愛いなんて思ったことがない。
多分、ゾーイの隣にいる冬青もだろう。
「様をつけて。作り物の分際で、私を呼び捨てなんて失礼極まりないわ」
「柘榴。王子に対して口の利き方がなってないですよ」
「我が家の歴史を穢した人間が私に指図しないで!そもそも……」
柘榴のあまりに失礼な態度に、冬青が口を挟む。
けれど柘榴は冬青をちらりと一瞥すると、見たくないものを見てしまったというように視線を逸らした。
美しい金色の瞳に、冬青を映すのは勿体ないというように。
四方木家の実子である柘榴と、養子である冬青の仲がうまくいっていないことはもはや誰もが知っていることだった。
四方木家。
ヨーク王国の亜人の中で最大数を誇る、鬼族の長。
王国設立よりも記録がある四方木家の長女である柘榴は、周囲の人間から睨まれようが、ヒソヒソと囁かれようが、激怒されようが全く気にしている気配はなかった。
「ゾーイ・カーティスの口の利き方がなってないから指導してあげたのよ!」
それどころか白い指をゾーイに向け、柘榴はいけしゃあしゃあと述べる。
その言い草に、さすがに周囲から怒号や悲鳴のようなものがあがった。
「君の優しい指導には感謝するばかりだよ」
ムカムカした。
怒り、悔しさ、そして悲しみがゾーイの胸の内でぐるぐると回る。
怒鳴り散らしたいと思ったが、自分は王子。
落ち着くようにと指示し、せめてもの反撃として皮肉をいう。
意味がわかった何人かがクスクスと笑った。
けれどその笑い声には……
柘榴に対する嘲りと、そんな柘榴にバカにされている自分に対する失笑が含まれているような気がした。
「しかし柘榴。今日は俺主催のお茶会だ。俺のことを嘲笑いたいなら俺のお茶会以外でやってくれないか。できないなら帰ってくれ。他の人に迷惑だ」
「ええ、構わないわ。あなたはまがい物だから、こんなまがい物のお茶会で満足なんでしょうけど」
柘榴はそこで周囲を見渡し、鼻で笑う。
「私のような立場の者には時間の無駄だもの」
そういうと、柘榴は側に控えていたメイドに合図を送った。
髪をひとつに結い上げた大柄なメイドは、柘榴の合図に頷いて何処かに向かった。
馬車でも用意しに行ったのだろう。
「それでは失礼するわ。冬青お兄様、どうぞあなたは偽物同士で楽しんでね」
わざと「お兄様」に力を込めていうと、柘榴は大階段に足を進める。
王城の中庭名物、大階段。
その名の通り、長く大きな階段が続いているのだ。
王城の中庭は2階にあり、階段の下は温室となっている。
柘榴はある意味でたくさんの注目を浴びながら、悠々と階段を降りようとした。
しかしその瞬間、ゾーイの後ろから数人の女子が飛び出す。
彼女達が、柘榴と言い争っていた女性達だと気付いた時には遅かった。
「きゃっ……!!」
短い悲鳴。
背中を押され、階段を転がり落ちる柘榴。
「柘榴!!」。
それは自分が叫んだのか。
それとも冬青の声だったか。
大階段の一番下まで転がり落ちた柘榴は動かない。
赤い髪の下から、鮮血が広がっていく。
誰かが医者を呼ぶ声がした。
ゾーイと冬青は階段を駆け下りる。
「待て!動かすな!!」
怪我した箇所が頭だとわかったとき、ゾーイは素早くそう指示する。
介抱しようとしていたメイドや執事が動きを止めた。
「柘榴!!」
冬青が名を呼ぶと、柘榴がピクリと反応を見せる。
何かを呟いたか?
柘榴の顔の近くにゾーイは膝をつき、耳を近づけた。
「私は……し、たい……」
「何がしたいんだ?」
よく聞こえない。
柘榴の真っ赤な髪と真っ赤な血で目がくらむ。
周囲の声すら聞こえない。
柘榴がゆっくりと目を開いて、ゾーイを見た。
赤に染まった金の瞳ーーー
彼女はゾーイを見る。
虚ろな瞳の中のゾーイも、自分を見返す。
赤の目。
ゾーイと同じ。
真っ赤な髪、真っ赤な血、真っ赤な瞳。
それは柘榴の髪の色か?
血の色か?
自分の目の色か?
それとも柘榴の目の……?
「私は、
死にたい」
彼女がそっと囁いたのを、確かにゾーイは聞く。
そして柘榴は意識を失った。
◯◯◯
「我が家に何か御用でしょうか、ゾーイ王子」
赤に金の目をした少女がそう尋ねる。
その人は「四方木 柘榴」の姿形をした何か。
四方木家にいたのは、ゾーイが知っている「四方木 柘榴」とはまるっきり別人だった。
その「何か」は妖艶に微笑んだ。
あまりの違いに恐怖すら覚えたほどだ。
天地がひっくり返っても、あの柘榴が自分を「王子」なんて呼ぶはずがない。
元よりまともに名前を呼ばれたこともないし、まともに会話したことだってないのだから。
そりゃ、とにかく寝ろ!といってしまうってものだ。
「ゾーイ。柘榴は本当に人が変わってしまったんです」
数日後。
王国の軍団長である父の代わりに、王城にやってきた冬青が青ざめた顔で告げたのはそんな一言だった。
冬青はひとつ年上だが、将来は国政に関わるのは間違いないと断言できるほどに優秀な男である。
優秀だからこそ、遠縁でありながら四方木家の養子になったくらいなのだから。
そんな冬青とは10歳頃に出会ってからの仲。
プライベートではフランクに話しかけてくるし、「ゾーイ」と呼ぶことも許してる。
しかしその冗談は笑えない。
「もっと面白い冗談をいってくれ」
「フフフ、冗談ではないんですよね、それが」
とりあえず会ってみてくれ。
冬青は帰るまで何度も何度もいった。
何故わざわざ自分が柘榴に会わなくてはいけないのか……
「鬼姫」ではなく「鬼バカ姫」と呼ばれるくらい、嫌われている柘榴に。
もちろんゾーイとて、柘榴のことは大嫌いだった。
そんな柘榴の家に行くはめになったのは、柘榴の父で冬青の養父。
軍団長から直々に「柘榴が話したいことがあるから家に来い」と要請があったから。
王に匹敵する権力を有するといわれる彼の招きを、ゾーイが断れるわけもない。
もしも四方木家が本気を出せば、ヨーク王国に革命を起こすことだって可能なのだから。
(俺のお茶会で怪我をしたわけだし、この前は見舞いできなかったし……まぁ見舞いくらいしとかないと煩いか……)
特別階級のほとんどから嫌われている柘榴の見舞いに行かなかったくらいで、とやかくいうような者はいないとは思うが……
彼女の一族は怒らせるのは得策ではないし、仕方ない。
パッと行ってパッと帰ろう。
ゾーイはそう決めた。
そして約束の時間よりも3時間も前に、ゾーイは四方木家に来訪する。
ほんの少しの反抗心と嫌がらせの気持ちを込めて、そんな時間にしてみたのだ。
柘榴には今まで散々なことをやられてきているし、これくらいの反撃は誰も何もいわないだろう。
そして出会ったのは、
四方木 柘榴の姿をした「何か」。
夢でも幻でも何でもなく、柘榴の目は右目だけが赤色に変わっていた。
報告を受けていたように記憶まで消えていた。
皮肉をいったって理解できなかったのに皮肉を言い返してくる。
センス良く着物を着て、花を飾る。
あの「柘榴」が。
冗談ではない、確かに人が変わっている。
そして柘榴の口から溢れたのが謝罪の言葉。
それを開いて、ゾーイは無性にイライラした。
記憶を失ったから、謝罪したから……
だから今までの全てを許せ、とそういっているように感じて。
グラスから溢れた水は戻らない。
「ただ、私が新しい水だということは
どうかわかっていてほしいのです」
そして柘榴はいった。
溢した水は戻せないが、新しい水を注ぐことはできる、と。
新しい水ーーー
私達は何にでもなれる。
友人にも他人にも。
柘榴は妖艶に微笑む。
何故か、柘榴の口から語られる言葉はストンとゾーイの胸に落ちた。
赤と金の瞳をした「新しい柘榴」。
もはや彼女が何だっていいと思った。
だって彼女は、彼女はなんてーーー
面白いのだろう!
皮肉をいえば皮肉を返し、くだらないことでも笑ってくれる。
怒鳴ったってすまし顔を浮かべ、戸惑っていると尋ねてくれる。
(まさか柘榴ともっと話したいと思う日が来るとはね)
城に戻ってからも、ゾーイは柘榴のことばかり考えていた。
例えば「この話題を出せば柘榴はどんな反応をするだろう」とか。
「これを見せたら柘榴は驚くだろうか」とか。
「それで、ゾーイ。お茶会で良い人はいたか?」
夕食どき、王が尋ねる。
お茶会には同年代の交流のほか、もうひとつ重大な意味があった。
それが婚約者探し。
良い人はいなかった、と父に返そうとしたゾーイの脳裏には柘榴の笑顔が蘇った。
と同時に、あの日、真っ赤になっていた柘榴の姿も。
「四方木 柘榴は面白い人だとは思いましたね」
「四方木……?あの鬼族の娘か?」
「ええ。彼女はすっかり変わりました」
父は怪訝そうな顔をする。
控えているメイドや執事がざわりと揺れた。
その反応の全てが、ゾーイは面白かった。
メイドや執事がすぐに噂を流すだろう。
「王子があの鬼姫に興味を持っている」と。
(もっと騒げばいいさ。新しい水に驚愕しろ)
ゾーイは笑う。
記憶の中で柘榴が囁いた。
「私は、死にたい」。
(死なせてやらない)
彼女は誰にも渡さない。
あの「何か」が何だとしても。
死なせるなんてもってのほか。
記憶なんて戻させない。
多分それはまだ恋ではない。
けれど確かに、新しい何かが始まった。
こうしてゾーイの楽しいデイズが幕を開けた。
明日からは第2章です!