信奉者は憂色を隠せない ー06ー
「さぁ!諸君!踊りましょう!」
アルカードが声をあげると響く、パイプオルガンの音。
白いホールの中にこだまする。
バッハのフーガ。ト短調BWV578。
「じゃあ後で」。
相手のいない冬青は踊るつもりがないらしく、離れる。
柘榴とゾーイは腕を離し、一度お互いに頭を下げた。
ゾーイの赤い目が悪戯っ子のように揺れる。
柘榴もそれに応えるように笑みを返した。
ここまで歩いてくる限り、ゾーイは完全無敵の王子様。
作ったような美しい笑みを浮かべて、優しく手を振る。
けれど実際のところ……
ゾーイはそんな「王子様のフリ」を楽しんでるようだった、楽しいイタズラとして。
そして今も、彼は悪戯っ子のように笑っている。
多分それはイタズラの共犯者に向けられるものだ。
だから柘榴も笑ってしまう。
ふたりはすぐに手を取り、ゆっくりと踊り出す。
靴の音がする。
ドレスが擦れ合う音も。
市松模様の大理石の床に映る、モノクロの人々。
音楽に合わせて招待客は静かに、そして楽しげに踊る。
そんな中、柘榴とゾーイは視線を交わらせる。
お互いに笑いそうになっているのがすぐにわかった。
「大人のフリ」をしているのだ。
真面目な顔をして、大人のフリをして。
つとめて冷静に、まるで大人のようにダンスを踊る。
ある意味でおままごとだ。
「素敵なダンスですね、王子様」
「あはは、ありがとう」
耳元で小さく囁くと、ゾーイが笑う。
思わず声が出てしまった、という笑い方だ。
音楽が終わる、ゆっくりと。
柘榴とゾーイは始まった時のようにお辞儀をした。
「クフフ。素敵でしたよ」
「冬青兄様。ありがとうございます」
最初から一曲だけ踊るつもりだった柘榴とゾーイは、その曲が終わるとホールの中央から抜ける。
見守っていた冬青が飲み物を片手に声をかけてくる。
柔らかい笑顔を浮かべながら。
「義妹のこと大嫌い!」。
「義妹とは仲悪い!」。
人前ではそんな設定があることを忘れているらしい冬青に、ちらりと柘榴は視線をやった。
けれどゾーイは既にわかっているようだ。
冬青が偽装ツンだということは。
もはや生暖かく微笑みながら、ゾーイはそっと視線をそらす。
見ないフリをしてくれている優しさに甘え、柘榴も笑顔を浮かべて義兄から飲み物を受け取った。
「一曲だけですが疲れました。ダンスって普段とは別の体力を使うんですね」
「おや、そうですか。俺とも踊ってもらおうと思ってたんですけどね」
「冬青兄様とはいつでも踊れるじゃないですか」
「ゾーイ、冬青。遅くなった」
義兄とそんな話をしていると、ブレイクがやってくる。
見かけないと思ったら遅れてきていたらしい。
身長が高い分、タキシードにマント姿が似合っていた。
ブレイクは一瞬だけちらりと柘榴を見てから、すぐに視線をそらした。
焦っているようだし、何かあったのかもしれない。
柘榴がそう思っていると、しっかりとした眉を思いきり寄せたブレイクがぐるりと振り返って改めてまじまじと柘榴を見つめる。
「…………四方木?」
「ええ、四方木 柘榴です」
「一瞬わからなかった。ドレス姿のイメージがなくて。四方木もこういうところに参加するんだな」
今後はばんばん参加してパーティーの女王になって、人生を謳歌して死んでやりますよ!
ともいえず、柘榴は頷いておいた。
「アルカードさんに誘われたので」
「ああ、なるほど。ところでゾーイ、冬青。報告があるんだが……」
ブレイクは真面目な顔で頷くと、2人に話しかける。
公務的な話かもしれないし、女子には聞かれたくない話ってこともあるだろう。
柘榴は一歩引くと、壁にもたれかかった。
3人はブレイクを中心に何かを話してる。
ふと、柘榴の視界に入ったのは食事スペース。
(お腹が減りましたね……)
冬青にだけは伝えた方がいいかと思ったが……
話を遮るほどのことではないか。
柘榴はそう思うと、1人でそっと食事スペースに向かった。
◯◯◯
(はちゃめちゃにご飯が美味しいんですけど……!)
数分後。
食事スペースにて柘榴は感涙しそうになっていた。
吸血鬼に王族はないが、もしもあるとすれば間違いなく王様だといわれる高貴な一族であるヘイグ家。
吸血鬼の始祖の直系であるその家主催のパーティーだけあって、種類も豊富ながら味も一流。
立食形式のパーティーのため、そこに並んでいるのは一口で食べれるサイズのものばかりなのが惜しいほどだった。
(何ですかこのまろやかさ……!こっちは口に入れた瞬間に消える……!ああっ!香ばしい!)
柘榴はこう見えて、食に興味がある。
不老不死であることを最大限に活かし、ありとあらゆる美食を楽しんできた。
そんな柘榴の舌をもってしても、ここの料理は完璧。
もちろん、鬼の中では王族とも呼ばれている四方木家の料理だって不味いわけではない。
しかし現代日本人であった柘榴にとって、四方木家で出される食事は多少薄いのだ。
精進料理のようなラインナップであることも、ジャンクフードまで愛してきた柘榴にはたまに物足りない時もある。
(こちらのシェフの味付けを我が家の料理人にも食べさせたい……!そうだ、タッパー!タッパー的なものはないかしら!)
特別階級ばかりのパーティーで、鬼姫はとんでもないことを思い始める。
もちろん、タッパー的なものなんて存在しない。
キョロキョロと辺りを見渡し、使用人にまで尋ねたがないことがわかって柘榴はがっくりとした……
(持って帰られないとなれば食べるのみ!!)
のは一瞬であった。
私の舌に記憶させる!
そう決意した柘榴は、片っ端から料理を食べていく。
もちろん鬼姫としてバクバクと食べることはできない。
さりげなさを装って、さっと。
そして一口で。
舌に全ての感覚をやり、味を記憶する。
そんな努力は、暫くすると限界を迎えたーーー
(コルセット……きつい……)
元より、息ができないほどきつく締め上げていたのだ。
食事をしたことにより、更にきつくなる。
やはりタッパー的なものがなかったことが敗因か、と柘榴は口元を押さえながら後悔する。
いやそれよりコルセットなんてものがあるから、これさえなければもっと食べることが……
「よくあれだけ吸血鬼のことを下劣なコウモリだのなんだのいいながら、このような場に来れるものだな」
「わかるでしょう?鬼一族って恥じらいというものが欠けているのよ!あの子を見ていればわかるわ」
「今夜はどうやら着物では来なかったようね、気を遣ってくださったみたいだわ」
「鬼姫様に気を遣っていただけるとは光栄だ」
クスクス。
ヒソヒソ。
そんな言葉が耳に入る。
それに合わせて笑い声も。
視線が交錯する。
その中に青い目があることに柘榴は気づいた。
何処からかアルカードがこちらを見ている。
いつの間にか、周囲は吸血鬼ばかりになっていた。
生気のない白い肌。
ギラギラと輝く獣のような瞳。
(そういえばここ、階段の上でしたね)
食事スペースは階段の上だったことを、ようやく柘榴は思い出した。
そして自分がいかにーーー
嫌われているかも。
「どうしてここに鬼姫がいるの?」
「来ていただかなくて結構よ」
「ゾーイ様にエスコートされていたわ」
「冬青様を後ろにやって……」
「鬼一族の恥さらし」
「ブレイク様も嫌ってる」
「あいつを好きな奴はいないさ」
吸血鬼の囲いの外では他の一族の人達が、わざと聞こえるように囁いていた。
もしかしたら幾分か前から、彼らは柘榴に聞こえるようにそんな話をしていたのかもしれない。
食事に夢中になっていたばかりか、周囲の人達の隙をついて美味しそうなものを口に突っ込んでいたので気づかなかった。
気づいていたとしても、やることはひとつ。
柘榴は息を吐き出し、顔を上げる。
そして柘榴は、
妖艶に笑ったーーー




