義兄弟には憂鬱が似合う ー02ー
「……様が!」
「お医者様……!」
「……で……!」
それは深夜だった。
普段ならば静かなはずの夜。
ざわめきと足音に気づき、柘榴は目を開ける。
柘榴の部屋は屋敷の端の方だというのに、ここまで人の声が聞こえてくるのも珍しい。
それだけ屋敷中の人間が動いているのか。
寝間着代わりの浴衣の上に羽織をまとうと、柘榴は障子を開けた。
月の灯りを頼りに真っ直ぐ続く廊下を進む。
誰かに尋ねようと思ったのだ、何かあったのかと。
けれど誰もが余裕がなさそうで、声をかけられない。
しかもーーー
全員の顔が青いのだ。
嫌な予感に、柘榴の身体中の血が冷たくなった気がした。
「お嬢様!どうかしましたか!?」
柘榴が立ち尽くしていると、聞きなれた声がする。
振り返るとやはり。
毛布やらシーツ、タオルを抱えた芹がいた。
芹の顔も青く、血の気がない。
「芹!冬青兄様に何かあったんじゃないの?」
ここまで使用人に余裕がないなんて。
理由はひとつしか思いつかない。
柘榴の問いに、芹は青ざめた顔で頷く。
「歩きながらでいいから説明してください」。
芹はそれに応じ、歩きながら説明してくれた。
いわく、冬青の容体が急変した、と。
夕方までは落ち着いており、医者もこのままならば明後日にも全快するといっていたらしい。
それなのについさっき急に血を吐いた、と。
体温は上がり、意識朦朧としているらしい。
使用人は慌てて医者を呼びに行っているが、今晩は柘榴の両親はいない。
そのせいでいま、このようにパニックになってしまっているらしい。
「ですのでお嬢様はお部屋に……」
「ええ、よくわかりました」
申し訳なさそうな芹の言葉を受け止め、柘榴は拳を作った。
「冬青兄様の部屋に行きます!!!」
芹が「えっ!?!?」と声をあげたが、柘榴はもう聞いていなかった。
青い顔をして右往左往しているメイドや執事を追い抜かし、廊下を駆け抜ける。
どう考えても今の冬青を救えるのは自分しかいない。
そう思ったのだ。
そして今晩しか、この瞬間にしかできない。
柘榴は改めて拳を握りなおし、決意を固めた。
「柘榴様!!」
冬青の部屋の障子を開けると、中にいた数人の使用人達が驚いた声をあげる。
声もかけずに開けて申し訳ない。
けれどこの状況ではマナーやら言ってる場合ではない。
ベッドの上の冬青の顔は青白いばかりか、胸をかきむしりながら苦しそうなうめき声をあげている。
もしかして、と思っていたことが現実になった。
実の所、柘榴は昼に冬青を見たときから嫌な予感がしていたのだ。
きっとこれは元魔女の勘だろう。
「悪いのですが、部屋から出てくださいますか?芹、人払いをして。私の合図があるまでお医者様でも部屋に入れないように」
「お嬢様、し、しかし……!」
「お願い。従って」
柘榴を追いかけて部屋に飛び込んできた芹に、そう指示する。
芹も使用人達も何かいいたげな表情を見せた。
しかしすぐに彼らは素直に、柘榴の言葉に従ってくれる。
きっと2ヶ月ほど前に柘榴が同じことをいっても、誰もそれに従ってくれなかっただろう。
柘榴は悪名高いワガママな高慢ちきなお嬢様であり、使用人達の中でも評判は最低だった。
柘榴の食事に毒を盛ってしまえ。
そういうことをいう使用人もひとりやふたりではなかったほどなのだから。
けれどこの2ヶ月とちょっと。
屋敷から外に出ていなかった柘榴は、気分転換に使用人達と話して仲良くなっていた。
「あの鬼姫は頭を打って人が変わった」。
それは今や四方木家の使用人達全員の見解である。
そして人が変わった柘榴は信用に値する。
前の柘榴ならば、弱っている冬青に何をしでかすかわからないから冬青に近づかせなかっただろう。
しかし柘榴は冬青とふたりきりになれた。
大きく息を吐き出し、柘榴はベッドの上で苦しむ義兄の元に行く。
「兄様……」
「ざく、出て行け、お前、何しに……っ!」
胸やノドをかきむしりながら、冬青が呻く。
薄紫色の瞳は充血し、色白の肌は土気色になっている。
それでも、柘榴を睨む目の強さは変わらない。
(精神力の強さときたら……今まで出会った誰よりも強いかもしれませんね)
柘榴が一歩ベッドに近づくと、冬青は「出て行け!」と叫んだ。
多分叫んだつもりなのだろう。
しかし声は出なかった。
ヒューヒューと息を吸う音だけがする。
「冬青兄様。申し訳ありませんが、あなたの言葉には従えません。よって、私は近づきます」
そう宣言すると、柘榴はベッドの傍にぴったりと張り付く。
昼には叩き落とされた手を、素早く冬青の頰にやった。
熱い。
多分40度以上はあるんじゃないだろうか。
冬青は声にならない声で何かをいうが、柘榴は無視する。
大方、出て行けだとか近寄るなだろう。
「失礼しますね。セクハラされたなんて訴えないでくださいよ」
「セ……?」
冬青が眉をひそめる。
声を出せたのはいいが、最期の言葉になるかもしれないのだからもっと考えてほしい。
セクハラの意味がわかっていないらしい義兄はスルーし、柘榴は冬青のシャツの前を開いた。
胸を中心に白い肌が黒に侵食されている。
その黒は胸から喉に向かって広がっていた、今この瞬間も。
「やっぱり。冬青兄様、あなたは呪われています」
しかも強力なやつだ。
病気ではなく呪いだったから、今までの医者の診察も意味をなさなかったのだ。
それにしたって凄い。
柘榴は思わず感心してしまう。
こんな複雑で強い呪いをかけたものも凄いが、これを耐えている冬青が何より凄い。
生まれ持っての精神力、そして鬼特有の肉体の強さのおかげでなんとか正気を保っているのだろう。
これが他の種族であれば、もしくは冬青でなければとうに死んでいてもおかしくないほどだ。
「この呪いはもうすぐ冬青兄様の心臓を飲み込み、兄様を死に至らすでしょう。しかし私ならば治せます!!」
柘榴は両手の指をくっつけ、脳内で魔法陣を組み上げる。
複雑で強い呪いを解くには、それ相応の複雑で強い魔法を用いらなくてはならない。
確かに冬青にかけられた呪いは複雑だ。
しかし、多分手慣れてないものが奇跡的に成功したに違いない。
それに多分、この呪いは本来であれば他の人間にかけるべきものを冬青が受け止めてしまったのだろう。
呪いは狙った人物以外にかけてしまうと、一時的に沈黙する。
夕方に医者が冬青の体調が良くなった、と勘違いしたのは一時的な沈黙のせいだ。
それが過ぎると、呪いは激怒して心臓を食らう。
まさに今がその時。
こうなると呪いを解くのは断然難しくなる。
けれど柘榴は思う。
私を誰だと思っているのだ、と。
柘榴は妖艶に微笑んだ。
脳内で組み上げた魔法陣から、魔力が体内に膨れ上がる。
この肉体は魔力が高くないが……
それでも私に敵うものはいない。
「ひとつだけお願いがあります、冬青兄様!
私のことを大嫌いなままでいてくださいね!!」
くっつけた指を離すと、薄暗い部屋の中で柘榴の両手がぼんやりと輝いているのがわかった。
柘榴はその両手を静かに冬青の胸の上に置いた。
両手を伝い、柘榴の魔力が冬青の体内に注がれる。
ぼんやりと冬青の身体が輝き、頰まで達していた黒い影はまるで逆再生のごとく縮小していく。
苦しみ、うめき声をあげていた冬青の吐息が正常に戻っていき、土気色の顔に生気が宿る。
ぼんやりとした輝きがなくなったのを確認し、柘榴が手を離すと、黒い影は跡形もなく消えていた。
代わりに柘榴の身からはごっそりと、何かがなくなった気がした。
柘榴は立っていられなくなり、ベッドの側で膝をつく。
何とかベッドにすがりついたおかげで、倒れることはなかった。
「柘榴…………!」
崩れ落ちそうになる柘榴の手を、冬青が握る。
その手はまだ熱かったが、もう大丈夫。
薄紫色の瞳はもう柘榴を睨んでいない。
柘榴は義兄に向けて、薄く微笑んだ。
「約束、ですよ、冬青兄様…………」
こんな呪いを解く程度で、こんなに魔力を使うなんて情けない。
久々に魔法を駆使したからか?
転生してきてから一度も使ってなかったからか?
原因を究明しないと………
その前に、冬青の看病を…………
柘榴はそんなことを思いながら、意識を手放した。




