ファイティングキャット
ピトは微動だにせず相手の動くのを待っているようだ。
20匹の凶暴な猫たちがピトにじりじりと迫る。けれども、威圧されているのは間違いなくピトではなく群の方だと確信できた。
「ギニャ!・・・フニューン・・・」
唖然とするしかなかった。
先陣を切った1匹の灰色の大猫がピトに飛びかかったと思ったら、ほぼ同時に向こう側にすっ飛んでうつ伏せのまま動かなくなった。正直ピトの動きが全く見えなかったので推測するしかないけれども、ピトの右前足で払われたような感じがした、としか言えない。
「ギニャニャニャ!・・・フニュニューン・・・」
今度は3匹いっぺんに飛びかかったけれども全く同じだ。右・左・右、とピトが前足を動かしたような感じがしただけで哀れな3匹の狂猫は地べたに伏せっている。
けれどもさすがに次の布陣を見て僕らは戦慄した。残りの猫全部がピトを丸く取り囲み、一斉に飛びかかろうとして呼吸を計っているのだ。
「ピト・・・」
ユウリは箒を上段にかまえて加勢しようとしているけれども、またもやミツキさんがそれを制した。
「大丈夫」
その、大丈夫、というミツキさんのつぶやきを合図にするかのように、狂猫たちはピトに飛びかかった。
「あ、また・・・」
またピトが笑った。
根拠が全く分からないけれどもこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。
ピトは十分に猫どもをひきつけてから中空へジャンプした。
狂猫どもがコンパスの軸に集中するように頭をぶつける。やっぱり動物だな、と僕が思っていると、円の外へ軽々と飛び降りたピトがとても動物とは思えない動きを始めた。
「うわ・・・蹴ってる・・・んだよね?」
さっきまでの前足の動きはまあ猫パンチという言葉があるくらいだから想定の範囲と言えないこともなかったけれども、今のピトは後ろ足でプロレスラーがストンピングするように猫どもを背後から蹴りまくっている。
それもガラ空きになった急所を正確に。
悶絶してバタバタと倒れる猫たち。
「全員オスだったんだね」
そう言ってしまってからユウリは顔を真っ赤にしてしまった。
蹴りが浅かったのか、1匹の黒猫がふらふらと立ち上がった。そして何をトチ狂ったのかユウリに飛びかかる。
「あっ!」
僕は咄嗟に手に持っていたモンキーレンチで黒猫を打とうとしたけれども猫は僕の頭上をはるか上にジャンプしてユウリの顔面に爪を突き立てんとしていた。
ピシュ!
その黒猫の何倍ものスピードでピトがもうユウリをガードするように間に割って入っていた。そして空中で体を半回転させ、鋭い音を立ててピトの白い長い尻尾が黒猫の眼をムチのように打った。
「ギャーン!」
黒猫は地面に落ちて眼を抑えのたうち回っている。
僕らは口を半開きにしてこの惨状を眺めやった。全猫が戦闘不能の状態で苦悶している。
そこへピトが尻尾をピン、と立ててゆっくりと歩み寄り、
「にゃあ」
と可愛らしく一声鳴いた。
猫どもは一瞬ビクッ、とした動きを見せてから立ち上がった。
そして、
「ニャニャーン!」
と全猫、神社の裏側へ猛スピードで逃げて行った。
はっ、として後を追ってみるけれども、もう猫の姿はどこにもない。
「ミツキさん、なんなんですかあの猫たちは」
「神社に参拝に来られた方々のネガティブな感情の集合体ですわ」
「え?」
「宮司さまがおっしゃていたでしょう。人は神社に様々な思いを持って来られるのですわ。前向きな願いを持つ方も、不遇な自分がやるせなくて他人が堕ちるのを望む方も。こうした注目されず閑散とした神社にはネガティブな黒い願いを抱いた方々が人目を憚って参拝に来られることがよくあるんです。そして、そのぎゅーっと思いつめた感情が猫の姿となって現前したのです」
「じゃあ、ピトは」
「はい。宮司さまのおっしゃった通り、そのネガティブな思念の集合体を相殺したのですわ」
「猫のケンカという形で相殺するんですね・・・」
僕は率直に聞いてみた。
「ピトは化け猫ですか?」
「あら、ヒロオさん。そんな風におっしゃったらピトが可愛そうですわ。ほら、ご覧になってください」
見るとピトはまたユウリのふくらはぎのあたりに頭をピトっとくっつけて眼を細めている。
「この通り、宮司さまに飼われている普通の猫ですわ。可愛らしい」
「うーん、そうですかねえ」
「確かに私が子供の頃から容姿が全く変わっておりませんけれども。歳をとらないみたいですわね」
やっぱり化け猫なんじゃないだろうか。