捜索
8月12日
【7時30分】
201号室の老婆が、202号室のインターホンを押す。合図の様に一定のリズムで鳴らすと、202号室の住人が鍵を開けた。
「ひさしぶりやねぇ」
「はい……」
老婆は部屋の中に入っていく。そして202号室のドアの鍵は再び掛けられた。
【8時00分】
101号室。昨夜、鏡に映った少女の姿を見て気絶していた男は目を覚ました。
男は時計を見る。午前8時。
今日は金曜日、当然平日で仕事だったが今さら出社できるわけがない。電話をしようにも、男は携帯はおろか固定電話すらも持っていないかった。そもそも出社する気分でもないが。
「クビだ……無断欠勤……」
男は覚悟する。だがそんな事よりも重要な事があった。
自分が殺人事件の犯人にされようとしている、と。
「俺じゃねえ……俺じゃねえよ……」
だが、警察官は明らかに男を不審な目で見ていた。そして鏡に映った少女。
「なんでだ……なんでだよ……お前を殺したのは……俺じゃねえよ……」
男は気づいている。
少し顔を上げただけで
見る事の出来る鏡
その中に今だ、少女の霊は立ち尽くしている。
幽霊にまでも疑われている。男は動く事が出来なかった。
だが、どこか冷静な自分も居る。例に写り続ける少女。ここまでアプローチされれば慣れてしまう。
ゆっくり顔をあげ、鏡の中の少女へと話しかけた。
「な、なあ……聞いてくれ……俺じゃないんだ……ホントだ……お前には……俺に見えたかも知れねえけど……」
男は濡れ衣を着せられるのは、これが初めてでは無かった。
それどころか、今まで何度も疑われて来た。見に覚えのない事に
そこから男は自分なりの見解を見出した。
いつかテレビで見たドッペルゲンガーという現象。
もう一人の自分が現れ、自分と入れ替わろうとする。入れ替われれば当然死ぬ。
そのドッペルゲンガーが、どんどん自分に近づいてきていると感じる。
その証拠に、アパートの住人に時々妙な事を聞かれた。
『あら? 辻さん、今日は良く会うわね~ それにしても、辻さんもスミにおけないわね~あんな可愛い子どこで見つけてきたの?』
(今日初めて会うアパートの住人に言われた。思わずゾっとした。)
『辻さーん、ありがとね、さっきは助かったわ~』
(さっきっていつだよ、俺はずっと家にいたよ)
男はこんな体験が数十回とあった。
もはや疑う余地は無い、完全にもう一人、自分が居ると思うしか無かった。
そしてついに、もう一人の自分は人を殺めた。
もう逃げられない。自分は逮捕され、もう一人の自分が何食わぬ顔で生活するのだ。
そして出会った時、入れ替わられる。
男は鏡の中の少女へ必死に自分の潔白を訴えた。少女の表情は変わらない。
今にも泣きだしそうな無表情。男は幽霊という理解できぬものに訴えかける。
自分は無実だと。
「消えてくれ……頼む……消えてくれ!」
男は訴えた。自分の前から消えてくれと。顔を塞ぎながら訴えた。
そして再び鏡を見た時、少女の霊は消えていた。
【8時00分】 202号室
老婆は202号室の炊事場に立って手料理を作っていた。味噌汁に目玉焼き、簡単な漬物、納豆も冷蔵庫から出し、朝食の準備をしている。
「たまには……普通の食事も……いいもんじゃろ?」
老婆は食事を洋室のテーブルまで運ぶ。そしてそこに佇む人間へと食事を提供した。
「ありがとう……ございます」
老婆と対面するように座っているのは一人の男。前髪は目が見えないほどに伸び、ヒゲも伸びきっていた。老婆の食事を夢中になって食べる。久しぶりにまともな食事にありつけたと。
「ところで……おかしな事聞くんじゃけど……この隣の部屋に引っ越してきた子……もしかして……アレの類かい?」
老婆は男に聞く。203号室へと引っ越してきた女子高生が殺された事件について
「いえ……違います……」
男は答える。白米が無くなり、老婆へと御代りを請求する。
「そっか……良い子そうだったのに……すまんねぇ、変な事聞いて……アレじゃったら……あんたが助けとるよね」
「………」
男は答えずにご飯を食べ続ける。目玉焼きを一口で平らげ、漬物も完食、納豆は最後に口へ掻き込んだ。
「あんた、納豆はご飯にかけるものじゃ……」
「違います……」
【10時00分】
姫川瑠衣の葬式が始まる。通夜より人が少なくなっていた。友人の大半は、ショックで寝込んでしまっていた。葬式に金森香苗の姿も無かった。
喪主も憔悴しきっていた。半年前に自分の弟と義理の妹、瑠衣の両親の葬式を上げたばかりだというのに、なぜ今その娘の葬式をあげているのかと。
男は数珠を握りしめる。
許せない、瑠衣の命を奪った奴を許すつもりはない。
どんな手を使っても、と。
男は復讐を決意する。
【14時00分】
瑠衣の火葬も終え、男は挨拶を済ますと周りの心配も他所に滞在しているホテルへと戻った。
男の目に涙はない。あるのは復讐心のみ。
犯人を捕まえて八つ裂きにする。それだけ考えていた。
男はパソコンに向かい、探偵へと依頼する。警察など当てにならない。自分が唯一信頼する探偵へとメールを送った。
【20時00分】
裏野ハイツ、103号室。
3人の家族が、リビングで夕食を取っていた。
二人の両親と3歳の息子。
その息子は瑠衣から貰ったカステラを気に入っていた。
「ねえ、お姉ちゃん、またカステラもってきてくれるかな」
息子は無邪気に母親へと言った。母親は震えるも、息子の目を見て
「そうね、また……会えたら……お願いしてみましょ……?」
息子は頷く。そして一番早く夕食を済ませた息子は、洋室へと向かいテレビの続きを見始めた。
息子が居なくなったリビングで、母親と父親は顔を見合わせる。
「あなた……あの子になんて言えば……」
「ああ……まさか……殺されるなんて……」
夫婦は頭を抱えていた。殺された高校生には悪いが、息子には早く忘れて欲しいと思っていた。
「あの子……あの女の子の事気に入ってるみたいなのよ……ずっと……あのお姉ちゃんと遊びたいって……」
母親は嘆く、自分の息子は人見知りが激しかった。近所の友達とも遊ぼうとせず、ずっと一人で籠っていたのだ。共働きの家には良くある事らしいが、と母親は思うが
「せっかく……あの子が懐いてくれたのに……なんで……」
「もうよせ……」
その時、テレビの音が大きくなる。母親は耳が悪くなるからと、息子にテレビの音量をある一定以上上げないように注意していた。
「こら、音大きいわよ……?」
リビングから洋室へと呼び掛けた、しかし
「え? 大樹? 大樹ー?」
居ない。息子が居ない。
「おい、どうした」
父親も洋室へと顔を出す。
「貴方、大樹が……」
「トイレじゃないのか?」
そんなはずは無い、と母親は首を振る。洋式からトイレに行くにはリビングを通らないと行けないのだ。
トイレに行ったのなら気づくはず、と。
「あ、あなた……まさか……」
母親の脳裏に、このアパートで殺された女子高生の事が横切る
父親も焦りだし、子供の名前を呼びながら探した。トイレ、風呂、物入れ、どこにも居ない。
その時、母親があることに気づく。エアコンがついているのに、窓が開いていた。
「貴方……窓……あけた?」
父親は首を振る。
夫婦は思わず、最悪のケースを想像してしまう。自分の息子も、あの女子高生のように、と。
「け、警察……っ」
母親は思わず110番し、父親は外に飛び出て子供の名前を呼びながら探した。
その声を聞いた101号室の男、例の女子高生に憑りつかれ、ドッペルゲンガー現象に悩まされている男がドアを開けて尋ねた。
「ど、どうされました……?」
「息子が……息子が居ないんです……!」
101号室の男は思う。チャンスだと。
そして自室の鏡へと向かい、呼び掛けた。
「おい、出てきてくれ! 頼む!」
その呼びかけに、当然の様に現れる女子高生の幽霊、相変わらず無表情で。
「隣の子を探してくれ……お前を殺した犯人が……一緒かもしれない……」
幽霊は消える。探しに行ったのか、ただ消えたのかは分からないが。
男も外に飛び出し、男の子の名前を呼びながら探しだした。
【21時00分】
妙に静まり返った夜。通報を受けた警察と地元の消防団、そして両親とその知り合い達で男の子の捜索が始まった。