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2.

 七紫は本名をお七と言い、弟は一太と言う。両親が七宝の絵付け師をしていたのでお七と名付けられたことから来る。何故それが橋下の小屋に生まれ育ったかというと、それが神のお告げだったからだ。信心深い両親は家を離れここに住み始めた。

「へえ。有栖ってえのかい」

 お面をかぶって丈の短い梅小袖を召し、頭からは縦縞衣をかけた少女有栖を見て、弟のお一太は無遠慮にならない程度に見回した。

「そうだ。まだ日は明るいんだ。元気付けに川でも滑らせるぜ」

 言うと一太はにかっと笑って二人を連れていった。

「そうだね」

 立てかけた江戸傘を女はさし、一太のものなので大きめの草履を有栖にはかせて小屋を出た。

「川滑りは初めてかい。ちょっと今の時期寒いが、綺麗なもんだぜ。鳥がすいーっと俺等の横を通るときなんか、羽根が陽に透けて綺麗なんだ。高い声で鳴くもんだから、俺も唄を止めてつい聞きほれちまってね」

 言いながら一太は舟を出し、二人を乗せた。

 湖でボート遊びをするアリスはそれに悦んで見回した。イギリスのボートとは違った見た目の小舟だ。

「風が出るからね、頭に帯を巻いておくといい」

 七紫がささやいて、紫の帯をアリスのお面と衣をかぶる額に巻いた。

 舟を滑らせると、一気に水面に出た。水の勢いで流れ、水面が近くなって風が冷たい。頬を撫でていく。視界が低くなると、全く違う景色が広がるのだ。長い棒を操って舟が規則正しく流れていく。江戸傘をくるくる回して、小鳥がその上を掛けていく影が赤の和紙に浮き滑る。

「雅だなあ」

 二人の女を見て一太はにこにこほほえみながら舟を操った。美しく珠の如きい姉、彩り鮮やかに妖しげな有栖。それは柳が揺れる川の風情によく映えて、橋の美しさで引き立った。綺麗な町屋を楽しむ白狐のお面の有栖も、それが雰囲気でよく分かる。

 きらきらと光る水面は、彼女達のことも射している。今に黄昏になってくれば、夕陽が紅に町を染め上げ、川をその色にし、そしてあの柳がぎらぎらと揺れて川もを揺らして影を落とすのだ。そして夜にもなれば、闇と紅に染まっていた彼等も夜色に染まり、町屋や川岸は灯籠が灯され、屋形舟の明かりがぼんやりと浮かんで川にも映る。月などは上がればまた良いものだ。

 猫は今、水が苦手なので岸でお留守番だった。また会ったときの縞猫だ。

 流れていくと、米俵を運ぶ舟がすれ違う始める。樽を運ぶ舟は、醤油屋の紋が入っている。ここから先は問屋が出入りするので引き返すことになっている。興味深げにアリスはそれを眺めていた。

 寒くなってくると、彼等は舟から上がった。七紫が手を引いて歩いていく。アリスが岸辺に紫の小さい野花を見つけると、それを一輪微笑んでつんだ。この花も季節を終えれば本格的な冬に向かう。春なら違う種類の花が咲き蝶も飛び交う。秋には一面、彼岸花の紅に岸辺は染まった。

 岸辺を歩いていくと、アリスはいきなり七紫と一太に身を隠した。橋の上に、彼女を追いかけ回してきた子供達がいたからだ。だが、今は元々彼女が来ていた水色と白のエプロンドレス、白と黒のタイツではない。彼等はアリスが落としていった黒い靴をもって、棒の先に吊してくるくる回し歩いていた。もしも見つかって、大きな声で皆にいわれたら、もしかしたらいるのかもしれないハートの女王のあの四角い城に連れて行かれるだろう。まあ、それがハートの女王の城かは分からないのだが、どんなに見回しても、あの高い山のような城も町では見当たらなかったし、スペードのカードの兵隊達も一匹も見かけていない。薔薇の咲かない場所には彼等はいないのかもしれない。

 橋の下をそのまま通り過ぎていき、逆にお面を祭り以外でかぶった子供に、橋の上の子供たちは興味津々でさわいで見てきていた。

 何もアリスを悪い意味で追いかけ回していたのではない。可愛いものを見つけて声をかけたくて追って来ていたのだが、その勢いときたら、スペードのカード達に追いかけ回されたばかりのアリスには恐怖だった。しかもアリスが気をきかせてもカードのようにはドミノ倒しにぺらんとはひっくり返らない子供達は、あっちにこっちに駆け回ってまるで掴めない蝶においかけまわされているようだった。

「ねえ! 七紫姐さんの妹かい!」

「タキに青治にきい坊におちよちゃん。あんた達、またいたずらな目して」

「この変わった下駄をやるよ。だからその子の友達にしてよ」

 アリスは自分の靴をぶらんぶらん棒の上にさせているのを見ていた。棒には布が色とりどり靡き、鈴や飾り、それに蜻蛉珠がついている。かたむきかけた陽に照らされていた。

「あ! それ、お峰ちゃんの小袖だ!」

 驚いたおちよが言い、お峰より背が大きいアリスをみた。

「まあまあ、本当? 後で返しに行かないと」

 七紫がそれを言うと、何か収まって理由でもあるのだろうとおちよは頷いた。

「お友達になるって言っても、この子は旅芸人の一座の子らしくて、お面はずっと掛けたままだし、すぐに行っちまうよ」

「そうなの? へえ。どこの旅一座だろう」

 きい坊が言うと、彼等を呼ぶ親の声がした。

「じゃあ、また今度町に来たら遊ぼうよ!」

「まだすぐ出るなんてわかんねえだろ! じゃあな!」

 夕暮れ前に子供達は帰って行った。

 アリスは自分の前に橋の上から投げ渡された自分の靴を見て、それを草履の変えてはいた。

 橋の向こうからは、子供と親の会話が聞こえていた。アリスは無言のままそちらを見ていたのを、手をそっとひかれて歩いていった。

 赤トンボが跳んでいる。ススキは紅い陽に照らされ初めてこがねに光って揺れていた。その先にトンボが停まって、向こうの町は軒先が黒い影に西側が染まり、そして東側は各の色染めされた暖簾が昼見た優しい色合いとはまた違った風にそれぞれの色で合わさり染め上げられていた。

 金城の簾を何度も潜っていき、岸辺を歩く。

 だんだんと一番星から星が増え始め、カラスがかあかあと飛んでいく。眩しく巨大な夕陽は、白狐のお面を光らせ、片腕を掲げた縦縞の衣を透かす。彼女達の影を地面に伸ばして、夕凪の川を空の紅、紫、藍の色で映す。

 軒下には明かりが灯され始め、暖簾の内側からの明かりは暖簾の色をそれぞれが鮮やかに浮き上がらせる。岸辺の上に並んだ石灯籠も照らされて、ぼんぼりは秋の色で揺れ始めた。

 アリスは初めて見て包まれる、その日本情緒の町並みに、いい知れない美しさを感じた。

 暗がりが増すと夜空をコウモリが舞い始める。ぱたぱたと音を立てて。

 少し不気味になった幻想的な夜の柳は、夜気に揺られていた。

「夜も遅くなれば、あまり女中は出歩いていないから、この子を屋敷の旦那様のところに連れていけると思うのよ。それで、蔵をこの子の部屋にしてあげることも出来ると思ってね」

「あのお屋敷は大きいからなあ。それは、子供一人がいたって気づかれないだろうが、朝餉や夕餉の動きは分かるだろう。厠にだって行かせてあげなきゃ可愛そうだ」

「あの屋敷には今、子供はいないからね。あの子等をあたしが招いて、何か住み込みでお稽古させてやるってのはどうだろう。そうすりゃ、子供が一人増えてようが分からない」

 まだ一太にはアリスが南蛮人らしいことは言っていない。今は夕餉を三人で食べていた。アリスは箸を使えないので、匙で食べさせている。アリスには珍しい食事だった。甘さが無くて、少し塩っけがあって、どれも潤っている。パンも見かけない。脂っこいものも無かった。ヒエのご飯と、野菜の汁と煮物、それに漬け物だが、漬け物はアリスは一口しか食べられなかった。「まだ子供なのだな」と一太は笑った。

「一太、あんたも一通り蔵にこの子を通して良いとなったら、来てもらいたいんだよ。一応は確認のためにね」

「ああ。引き受けるぜ。おやすいご用だ」

「さあ。今日は疲れただろう有栖。よく眠るといい。あたしも今日は泊まってくわ。さっき、屋敷に戻って伝えてきたから」

 月に一度ほどは実家に戻るので、旦那様もいつものことと思って頷いた。それを女中はいつも「お屋敷の奥様ですから、お屋敷にいらしたほうがよろしいのに」と言うのだが。それでも七紫が手土産においしいお菓子を手に戻ってくると、女中も何も言わなくなって笑顔で受け取るのだが、そこなのだった。甘い菓子が女中が好きなので、何かとごねてくるのだと七紫はくすくす笑いながら思っている。

 布団を床に二つ敷くと、お面を付けたまま七紫と一緒の布団に入った。アリスの部屋のベッドは柔らかいので、まるでシートのようなものが布団で驚いたのだが、入ったとたんに直ぐに眠りに落ちていた。七紫はもともと長年の慣れで夜に強いので、時々泣き声が響いていた禿たちの夜にも慣れたことのように、アリスの頭をなで続けながら静かに眠る白狐のお面を見守り続けた。いつもは必要ないが、衝立でもう一つの布団と仕切られた方では既に一太の鼾が鳴り響いている。奥の障子から差し込む青い月明かりにお面も、七紫の美しい顔立ちも照らされ、静かな夜が流れている。夜に鳴く虫の音がりんりん響く。猫はアリスの足元で丸まって眠っていた。と思ったが、あの顔で目と牙を光らせ月光に照らされていて、七紫はなんともつかずに見て、はにかんでからまた顔を戻したのだった。



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