欠片Ⅲ
「あらあら……みっともない食べ方ですこと。行儀も何もあったものじゃありませんわね」
不意に、高慢な声が二人のテーブルに投げかけられた。
明確な敵意を感じ取ったアプリは、表情を一気に硬化させて声の持ち主を見上げた。
「あ……クロフォードさん……」
テーブルの側に三人の少女が立っていた。威圧的な立ち方はまるで看守のようだ。
声をかけてきたのは中央に立っているいかにもお嬢様然とした銀髪の少女だった。粉雪のように白い肌に切れ長の目。唇には淡いピンク色のリップが塗られている。頭の両サイドに垂らした髪を螺旋のようにぐるぐると巻き、その付け根には蝶の翅をあしらったデザインのサブコンを装着している。
リーゼロッテ・クロフォードは、まるで汚物でも見るかのように眉をひそめ、ソプラの食事ぶりを見つめていた。
「気安く私の名を呼ばないでくださいません? 元トップアイドルさん」
「元」の部分を思い切り強調した言い回し。相手の弱みを知っていながらあえて突き刺すような悪意たっぷりの語気に、さすがのアプリも気圧される。
食事ぶりを揶揄された当のソプラはといえば、不思議そうな顔でスプーンを咥えたままこの場の様子を伺っていた。ただならぬ気配を感じてはいるらしく、アプリとリーゼロッテの顔を交互に見回している。その仕草はまるで小動物のようだが、三人組にとってはあくまで汚物なのだろう、
「キョロキョロしてんなよ、金髪チビ。……ったく、下層の貧乏人には落ち着きもねえのかよ」
と、リーゼロッテの右隣にいるマゼンダカラーの髪の少女が吐き捨てるように言った。
色白のリーゼロッテと比べ、彼女の肌はよく映える健康的な色。きゅっと引き締まったスレンダーな背中に寄り添うように、ポニーテールの髪がゆるく垂らされている。テールの付け根には三日月を象ったシュシュ型のサブコン。勝気な言動はそのまま顔つきにも表れており、意思の強そうな瞳が真っ直ぐソプラへと向けられていた。
「コトバが汚いよ、ロスヴィータ。ボク、聞いてて不快だよ」
次に、リーゼロッテの左隣に立っている小柄な少女がうるさそうに苦言を呈した。
ボブカットに切りそろえられたライムグリーンの髪。眼鏡型のサブコンの下の目元には泣き黒子が見え隠れしている。他の二人よりもずっと幼い顔つきだが、他者を撥ね付けるような近寄り難さを纏っている。
「うるっさいな! フランツィスカ、お前は黙ってろよ!」
ロスヴィータがポニーテールを揺らしながら、今度は眼鏡の少女フランツィスカに喰ってかかった。フランツィスカはむすっと黙り込んで目をそらし、ロスヴィータの視線をかわす。どうも二人は性格的に相性が悪いらしい。
そんな彼女らを付き従える銀髪のリーゼロッテが、制するような視線を二人に送ると、ロスヴィータもフランツィスカも気まずそうに大人しくなった。リーゼロッテは場を仕切り直すようにゆっくりと息を吸うと、すっかり固くなっているアプリに再度牙を剥いた。
「ふふ。どうして《次代の唱姫候補》とまで呼ばれた貴女が、こんな学園でくすぶっていますの? とっくにプロとしての活動を初めていたはずでしょう、ねえ? ……今は亡きGI社の、元トップアイドルさん」
もちろんその問いかけに対する答えは、この場の誰もがわかっている。わざわざ本人に問い質すまでもない。わかっているからこそ敢えて訊いているのだ。それがアプリを傷つけるために有効な何よりの武器だったから。
「…………」
アプリは答えず、押し黙っている。
彼女の頭に溢れてくるのは、一か月前の「事件」で自分が失ったものの数々だった。
アプリ・ハイエイトは、ゴースト・インダストリアル社――GI社に所属するトップアイドルだった。新進気鋭の新興融社であったGI社から彗星のごとく現れ、「次代の唱姫候補」と呼び讃えられるほどにその人気は凄まじいものがあった。
だが、それもすでに過去の事実となっている。
あの「事件」をきっかけとして、アプリの所属していたGI社は回復不可能な損害を被り、解体してしまったのだ。
GI社の没落。
それは、ワンマン経営者として辣腕を振るっていた理事長のボウキス・シャレードが、何者かにより暗殺されたことから始まった。
ボウキスという大黒柱を失ったGI社は、決壊したダムのごとく一気に瓦解し始めた。崩壊への流れを止められる者は誰もいなかった。残された者たちの尽力も虚しく、GI社のスタッフは次々と他社へ流出。所属していたアイドル達も大勢が引き抜かれ、路頭に迷う者まで出た。「事件」から一週間と経たぬうちに、GIの名を冠する融社はこの人造島から完全に消滅した。
アプリが失ったものは所属先の融社だけではない。
アプリ自身の人気もそれに引き摺られるようにして凋落した。
「事件」の舞台となったライブそのものは、当初からアプリ・ハイエイトの凱旋ライブと告知されていた。だが、何の予告もなく代役として登場したのが、ソプラという、無名どころかアイドルですらない素人の少女だ。やむにやまれぬ得ぬ事情があったとはいえ、それがアプリのライブを心待ちにして配信を見ていた島中のファンを裏切り、失望させてしまった事実は否定できない。さらにその後に起こった騒動まで中継されてしまったことで、失望どころかかえって反感すら覚えた者も決して少なくはなかったのだ。
結局のところ、一連の「事件」はGI社を中心とした一大スキャンダルとして世間に認知されてしまっている。当然、そう認知された裏側には、他社による印象操作も多分に介在していたに違いない。
どんな経緯があったにせよ、スキャンダルを起こしたGI社のトップアイドルであったアプリも、その煽りを受ける形となってしまったわけだ。
アプリがあれほどの実績を打ち立て、多大なファンを獲得したプロのアイドルでありながら、アイドルの卵が集うこの「学園」に身を置いているのは、そうした世間の目を避け、ほとぼりが覚めるまで時間を稼ぎ、再起を狙う思惑があるからだった。
――斜陽のアイドル。
それが、今のアプリ・ハイエイトに貼りつけられたレッテルだった。
リーゼロッテは腕組みしながらアプリを見下ろして言った。
「貴女のような外周層の人間が、トップアイドルの座に居座っていることがまず何かの間違いだったのですわ。アイドルに最も必要なもの、それはカリスマ性に他なりません。……たかが外周層生まれの下賤の者に、アイドルに不可欠な魅力や求心力が生まれると思いまして?」
確かにアプリは第四区層・外周層で生まれ育った、普通の少女に過ぎなかった。GI社が外周層で主催したオーディションをたまたま受け、それに突破し、アイドルとしてデビューした。
対して、リーゼロッテは生まれも育ちも第二区層・央真層、正真正銘上流階級の人間だ。取り巻きのフランツィスカも、やや男勝りな言動が多いロスヴィータも同様だった。よくよく注意すれば、何気ない彼女たちの振る舞いの隅々にも、上流階級に生きる者特有の育ちの良さが見て取れる。
そもそもアイドルとなる少女には富裕層を出自とする者が圧倒的に多い。高い素養を有する者が数多くいることはもちろん、アイドルになるべく自分を磨く機会に多く恵まれていることがその理由だ。
なにより、持っているコネクションが違う。「学園」を卒業後、オーディションを経てどこかの融社に所属したアイドルが、実はその融社の幹部を親に持っていたりすることはままある話だ。
「学園」は表向き、融社による候補生の囲い込みを禁止している。しかし、最初から自分たちの融社に所属させる目的で「学園」に入学させ、卒業後に希望の融社のオーディションを受けさせようと考えている親はかなりいる。もし自分の娘が所属先の融社で成功を収めれば、その融社に勤めている親の出世にも繋がるからだ。
リーゼロッテ達もその例に洩れない。むしろ「その手」のアイドル候補生としてはかなり上の部類に入る。なにしろ三人とも「三大融社」のひとつ、ラグナロク=エンタープライズ社の幹部を親に持っているのである。
リーゼロッテの父親がラグナロク=エンタープライズの上級幹部であり、ロスヴィータ、フランツィスカの父親がその部下だった。父親の権力関係はそのまま娘たちにも受け継がれているということのようだ。ロスヴィータとフランツィスカがリーゼロッテの下で大人しくしているのも、ひょっとしたら父親から「逆らわないように」と言いつけられているからかもしれない。
「GI社も滅びて当然でしたわね。外周層や境界層のような掃き溜めでゴミ拾いなんてしている融社に、未来などあるわけありませんもの」
「……!」
アプリが歯を食いしばったのがソプラには見えた。GI社を愚弄されたことが、アプリの心の琴線に触れたのだ。決して触れてはいけない琴線に。
「あ……なたに……なにが……わか……」
じっと膝を見据え、肩をわなわなと震わせながら何かを呟いている。
怒りを必死で抑えようとしているのだとソプラはわかった。
この場を早く離れないといけない。そう思った。
「……アプリちゃん、もう行こう! あたし、おなかいっぱいだし!」
口からスプーンを放し、勢いよく立ち上がる。叩くようにしてテーブルに手を突いたためにバンと大きな音が立ち、それが周囲の視線を引いた。
唐突なソプラの行動に、リーゼロッテは眼を白黒させた。やがて学食にいる他の生徒たちが奇異の目でこちらを見始めたのに気づき、慌てて顔を赤くする。
「ふ、ふん。最初から最後まで品がありませんのね。こんな生徒が同じ学園にいると思うと、恥ずかしくて仕方がありませんわ!」
陳腐な捨て台詞を残し、その場からすたすたと去っていく。ロスヴィータはソプラ達にひと睨みし、フランツィスカはやれやれと溜息をついて、リーゼロッテのあとにくっついていった。
ソプラは三人の背中におもいっきり「いーっ」をしてから、アプリに振り返った。
「アプリちゃん、あんな人たちの言うことなんて気にしちゃダメだよ。あたし、なんて言ったらいいかわかんないけど……あたしたちはあたしたちでガンバらなきゃいけないんだから。シャレード理事長のためにも、なくなっちゃったGI社のためにも、ね」
「……うん。そうですね。そうですよね。わかっています……」
すっかり意気消沈してしまったアプリの様子に、ソプラはおろおろした。食事を始めたときとは立場がすっかり逆転してしまっている。まさかアプリを自分が慰めることになるとは思わなかった。
アプリは、あのアプリだ。数々のライブステージに立ち、大観衆の心を奪っていったアプリ・ハイエイトなのだ。その精神力たるや、同年代の少女とは比較にならないほど強靭なものであるに違いなく、ちょっと嫌味を吐かれたくらいで折れるような心の持ち主ではないはずだ。
そのアプリが、こんなに暗い顔をして沈んでいる。裏を返せば、それだけアプリにとってGI社という融社が大きな存在であったのだということでもある。
「うう~ん……」
これはあたしには荷が重いぞ。誰かに代わって勇気づけてもらう必要がありそうだ。
そうだ、とソプラは閃いた。
「ねえねえ、これからソフィア先生のところに行ってみようよ!」
ソプラは駆け足でアプリの横まで来ると、その手を取った。
「次のカリキュラムまで全然時間があるでしょ? ソフィア先生、いいひとだし、きっとお話を聞いてくれると思うんだ!」
アプリの顔がゆっくりと持ち上がり、その視線がソプラの視線とかちあった。大きな黒い瞳がこちらを見つめている。ソプラはどぎまぎしながら、アプリを連れ出そうとする。
「ねえ、行こ!」
「……は、はい……」
半ば引っ張り出すようにしてアプリを立ち上がらせると、ソプラは二人分の食器を片づけて、学食を後にした。