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 朝靄の中、見慣れた小道をゆっくりと歩む姿は、キーレンのようだった。

 ロキセイは呆然と立ち尽くしたまま、手にしていた籠を落とした。中の野菜が散らばってしまった。


 離れていたのは、ほんの数日のことであったが、ロキセイはキーレンと離れたことはなかったため、ひどく長い時間がたったように感じた。

 それに加え、キーレンは別人のように雰囲気が変わっていた。柔らかな頰は少し鋭くなり、口を引き締めている。何よりあどけなさが消えた薄い茶色の瞳が炯炯と光を宿していたのだった。

 ロキセイはキーレンがすでに、この手を離れたことをさとった。


「……キーレン」


 あまりに異なるキーレンの様子に、ロキセイは駆け寄ることができなかった。ロキセイの異変に気が付いたユーリは、訝しげに小道を見やる。キーレンの姿を認め、手にしていた桶を投げて、走り出した。ユーリはキーレンをきつく抱き寄せる。


「キーレン…、よかった。キーレン…」

 涙で声を震わせている。


 キーレンも細い腕をユーリの背中に回して、会いたかったと、呟いた。


 ユーリの腕の中から、顔を上げたキーレンは今までのように、あどけない瞳をしていたのだった。

 その瞳を見てロキセイは小さく息を吐いて、おかえりと、キーレンに言って、肩を抱き寄せることができた。


「お父さん、ただいま」

 キーレンは白い歯を見せて微笑んだ。




 小さな村の畑の麦が、黄金色に輝きながら、秋風に揺れていた。その美しい景色に魅入られながら、ロキセイは全ては、夢か幻だったのではないかと思った。

 そう信じたくなるほどに穏やかに日々が過ぎていった。


 ロキセイは不安に駆られながらも、やるべきことを、生きるために、村の人々のために、こなしていくことしかできなかった。


 実りの秋を迎えた村は、俄かに活気付き、収穫祭は賑やかに行われた。

 例年に比べて、僅かに収穫量は少なかったけれど、この冬を越すことができることには、ちがいなかった。


 透き通るような爽快な香りをまとい、キーレンはユーリと働き、語らい、ニコニコと微笑んでいた。

 サラスイは村人の水汲みや、薪割りを手伝っていたりして、すんなりと、村の暮らしに馴染み、ロキセイの友人と認識されていた。

 時折、二三日、ふらりと姿が見えなくなることもあったが、ロキセイはサラスイに何も聞くことはなかった。それは、旅立ちの日を知ることへの恐れであった。


 今の暮らしがいつまでも続くことはないとロキセイはわかっていた。


 ーー約束の新年の儀式まではまだある…。


 キーレンが呪力を捨て去り、ただのロキセイの娘として、凡庸な、しかし、穏やかな人生を送ってほしいと望むことは、父親としては間違ってはいないだろう。

 しかし、呪術師としては、間違っていることを十分にわかっていた。


 早く雪が降り積もればいいと、ロキセイは空を見上げた。

 冬の訪れはまだではあるが、北の山脈から木枯らしが吹き、街道が雪に埋もれれば、王都へ向かうことが難しくなる。

 この平穏が一日でも長く続くことを祈らずにはいられなかった。






「ロキセイ!ここの葉を燃やしてもいい?」

「お父さん、お願い?」


 ユーリとキーレンが連れ立って、ロキセイが肥料にするために掻き集めた落ち葉を指差す。

 お願いと、キーレンはロキセイの腕を取り、じっと見上げる。このお願いをキーレンは断られたことがらないことを知っていた、また、ロキセイも断れないことを知っていた。

 ロキセイはキーレンの少し乱れた柔らかな髪を撫でつけ

「また、集めるのを手伝ってくれよ」

 と笑った。


 パッと歯を見せて笑い、キーレンはユーリに飛びつく。

「うん、お父さんありがとう!ユーリ、やったね」

「いったい、何を始めるつもりなんだい?」

「ユーリがね、ラショを焼いて食べたいって言うの。なんだっけ、ヤキイモ?」

「うふふ、ラショを茹でて食べたときに、サツマイモみたいだなぁって思ったの。きっと、落ち葉で焼いて食べたら美味しいかなって」

「ラショを焼いて食べる?落ち葉で?焦げてしまうぞ?しかもラショは火の通りが良くない、外は焦げて、中は火が通らないだろう。とても食べれたものじゃないと思うが…」


 ラショは痩せた土地でもしっかりと実をなすイモで、甘みが強く味もいいため、広く普及していた。

 ロキセイの畑でも、たくさん収穫し、茹でて塩を軽く振って、昨晩食べたのだった。


「うーん、確かにそうだよね。…石焼き芋…、そうだ、一緒に石を焼けばいいのかな?」

「石を一緒に焼くのか?…あぁ、そうすれば石にゆっくりと熱が伝わり、じっくりと火が入っていくが、石が爆ぜるから危ないな。ユーリの食べたいものは、どんなものなのだ?」

「えっと、甘くてねっとりと柔らかくて…」

 ロキセイはユーリの言葉を聞き、思いを巡らせる。

 ふと、思いついた。


「…キーレン、サアナンの葉をとってきてくれないか?」

「サアナンの葉っぱ?…あのお肉を包んで焼いたりする葉っぱっ!わかったっ!あれで包んで焼くんだね、すぐにとってくるね!」

 薬草畑を駆け抜けて、小さくなっていく背中を見ていた。

「ロキセイ?」

「大丈夫だ、ユーリの言うヤキイモ?だったか。食べさせてあげられる。さぁ、今のうちにラショを綺麗に洗っておこう」

 キーレンのとってきた、サアナンの大きな葉にラショを包み、ロキセイは家の中に入っていく。

 不思議そうな顔をしたユーリをキーレンと二人でクスクス笑う。


 長い金串を突き刺し、囲炉裏の灰の中に埋める。


「こうしておけば、ゆっくりとラショに火が入る。それにサアナンの葉でラショは焦げないし、灰で汚れることもない。串を刺しておくと、どこに行ったかわからなくなることもないし、火の通りも早くなる。ちょっと時間はかかるがな」

 ユーリは目を大きく開いて、ありがとうとロキセイに微笑む。


「楽しみだねー、美味しいかなぁ?ちゃんとできるのかな、ヤキイモ?」

「大丈夫さ」

「うん、ちゃんとできると思う」

 ユーリはにっこりと微笑んで、キーレンを撫でた。


 囲炉裏はパチパチと火を鳴らし、ロキセイは火にかけてある鍋をくるりと混ぜた。


「ねぇ、ユーリ、ここにずっといてくれない?ずっとずっと、お父さんといてほしいな。そうしたら、私、すっごく嬉しいよ。ユーリが私のお母さんじゃなくても、私嬉しいよ?ダメかな?」


 小さな膝を抱えて座っていたキーレンは、薄い茶色の瞳を潤ませている。じっとユーリを見つめた。


「キーレン、私ね。キーレンが大好きよ、…ロキセイのことも…好きよ。……私、ずっとずっとここにいてもいいのかな。この世界のこと、当たり前のことがわからないし、薬草のこともわからない、私がここにいても何も役に立てないよ。…それでもいいのかな」

 闇夜のような瞳から大粒の涙をこぼし、ユーリはもう一度いいのかなと呟いた。


「ユーリ、ずっとここにいてくれると、俺もうれしい」

 ロキセイはキーレンの言わんとすることがわかり、胸が痛んだ。そっとキーレンの肩を抱き寄せた。


「ユーリは、やっぱり元の世界に帰れるなら帰りたいの?」

 キーレンの問いかけにユーリは瞳に涙を溜めて、囲炉裏の火を見つめたままポツリと呟いた。


「……わからない」


「わからないのか?帰りたくはないのか?」

 ロキセイはキーレンを抱き寄せた腕に力が入った。


「お母さんや、お父さんが心配してるのかもしれない、悲しんでいるのかもしれない、それを思うと胸が痛むよ。すごく辛い。友達もみんな、心配してるかな。だから、そのままだから、帰りたいとは思うの」

 ユーリは頰を伝う涙をそのままに言葉を重ねる。


「……私は、今の私はとても幸せなの。大好きな人と暮らして穏やかに過ごしていける、今の生活に満足してる。だからね、キーレン、もしも、帰れるなら、帰ってお母さんとお父さんに伝えたい、私は幸せだよって。そして、私はまたここに戻ってきたいよ。だから、ここが私の場所になるなら、うれしい」


「ユーリ、ずっとここにいてくれ。ここをユーリのいる場所にしてくれ。帰ることができても、戻ってきてほしい。俺のそばに、俺と一緒に生きてくれ」


「ロキセイ……」


「お父さん、ありがとう」


 キーレンはゆっくりとロキセイの肩を押して、ニコリと頰を緩めた。

 ロキセイから離れたキーレンはユーリの首にしがみ付き、大好き、ありがとうと呟いた。


 ロキセイにはキーレンの声が安堵を含んでいるように聞こえ、それが辛かった。






 サラスイはどんよりと低く垂れ込めた雲を眺め、小さく呪文を唱える。

 サラスイの甘い香りが辺りを漂う。


 言葉少ないサラスイは、冬の足音が聞こえるようになってくると、さらに言葉少なくなっていった。


「サラスイ……、どうしたんだ?王都で何かあったのか?」


 振り向いたサラスイの紫の瞳は空をさ迷い、ロキセイの問いに答えることなく、困ったように笑った。


「……雪が落ちてきそうだな」


「あぁ、今日は冷えるな。日が落ちたら、ちらついてきてもおかしくはない」


「そうだな」


「サラスイ、いいのか?こんなにも王都を離れても大丈夫なのか?」


「……私の役目はキーレンとともにあることなのだ。ナラティス様は選ばせよと言われた、だから、私はキーレンの思うままに、ここにいるならば、ここで、私はキーレンに教えられることを全て教えるのみなのだ。……ヤフィルタは動かない。いったい、キーレンはどのようにして、あちらを辞したのであろうな。ヤフィルタは先読みの術は使えない、なればこそ、キーレンを手放すことはないと思うのだが」


「不安なのか?お前が……」


「当たり前だろう、青龍の宮の未来なのだ。私がいくら未来をのぞきみても、呪術は及ばない、未来は霞み、また全ては断片的なのだ。……不安を煽られるだけと、わかってはいても覗かずにはいられない。己の弱さを思い知るのだ。あぁ、ロキセイ、宮の長となるものの、責務はなんと重いのだろう……」




 北の山脈から吹き降りてくる風に、ちらちらと白いものが混じってきた。


「あぁ、降ってきたな」

 ロキセイは、待ち望んだ雪が舞うのを安堵を込めて眺めた。


 雪が街道を埋めると、幼い子供を連れて王都に向かうには厳しくなる。

 雪解けまで、キーレンと過ごせることを確信したロキセイはニコリと頰を緩ませ、隣に佇むサラスイを見た。


 サラスイは、空を見上げたまま痛みを堪えるように瞳を閉じた。



「お父さん…、」

 かけられた声に振り返るとそこにはキーレンがいつの間にか、立っていた。

 その瞳はいつか見たときと同じように、炯炯と光を宿していた。

 ロキセイはキーレンの言葉を遮り

「キ、キーレンっ、雪が降ってきたぞ。まだ積もらないけれど、すぐに街道は雪が積もるな」

 キーレンの言葉を聞きたくなかった。


「お父さん……」


「今年の冬は雪が多くなると、青龍の宮から通達があったから、今のうちに冬の支度をー」


「お父さんっ!」

 キーレンは鋭くロキセイの言葉を遮る。


「……」


「わたし、行ってくるね」


「……」


「…行かなきゃ、わたしを待ってる人がいるよ。リマムとも約束したから、行ってくるね」


「キーレン、どうしても、行くのか?」

 ロキセイはわかってはいたけれど、問わずにはいられなかった。


「うん、行ってくる。わからないよ、どうしてなのか、どうしたらいいのか、何もわからない。それでも、わたしはわたしを待ってる人に会いに行かなきゃいけない」


「キーレン……」


 ロキセイは跪き、キーレンをきつく抱きしめた。キーレンの柔らかな髪、細い肩を撫でる。キーレンの全てを忘れてしまっても、この手や胸がキーレンを覚えていられればいい。そう強く願った。



 旅装に身を包み、キーレンはサラスイと並んで立つ。

「キーレン、気をつけて。サラスイさん、キーレンをよろしくお願いします」

 ユーリはキーレンを抱き寄せ、涙を滲ませながら、頰を緩ませた。


「ユーリ、行ってくるね。お父さんと一緒に待っててね」


「……キーレン、気をつけて」

 ロキセイはキーレンを見つめた。


「ロキセイ、キーレンを守ると約束する。必ず、王都へ、ナラティス様のもとへ送り届ける。……待っていてくれ」


 ロキセイはサラスイの言葉の意味を掴みかねた。

「?」


「……いつになるのかはわからない。しかし、キーレンはここに帰ってくる。長い滞在とはいかないかもしれない、それでも、キーレンはここに帰ってくる。私はそれを信じている」

 サラスイは目を細めて口元を緩めた。

 サラスイの嘘をつくことのない人柄を知っているロキセイでも、にわかには信じられないことであった。


「本当か……、あぁ俺からキーレンを奪わないのだな?キーレンの記憶を消さないのだな?……ありがとう、サラスイ。……だか、いいのか?俺がキーレンの枷とならないのか?」


「大丈夫だ。その心配はない」

 サラスイが力強く頷くのを見て、ロキセイは目頭があつくなった。涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えた。


 冷たい風が吹き、キーレンは外套をはためかせてる。

 何度も何度も、振り返り腕をいっぱいに伸ばして、大きく手を振る姿がすっかり、街道に向かう山道の奥に消えるまで、ユーリとロキセイは、見ていた。



次は最終話です。

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