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「……サラスイ、お前なのか」


 照りつける太陽が西に傾き、暑さが少し弛む。薬草畑に水をまいていたロキセイは、灌木の脇にたたずむ人影に気付き、声をかける。


 いつ来るのか、明日か、明後日かと落ち着かない日々を過ごしていた。

 キーレンが水やりをすると、いつも以上に大きく成長する木々、いつも漂う爽快な香り。

 青龍の宮が見過ごす訳がないと、呪術師であるロキセイはわかっていた。

 このまま、過ぎていくことはないとわかっていた。

 それでも、その希望にすがらずにはいられなかった。




「美しい庭だな、手をかけられ、慈しみ育まれた木々は効果も増す。……久しぶりだな、ロキセイ。もう、六年か?」

 深く笠を被っていてもあの頃と変わらない暁の空のような紫の瞳を細め、すっきりと整っていた顔立ちは怜悧さを増していた。けれど、長い旅ためか、衣は土埃に汚れ、頬は削げ落ち、目の下には濃い疲れが浮かんでいた。


「……そうだな。サラスイ、もう六年になるのだな」

 ロキセイは桶を手にしたまま、旧友との再開に頬を緩ませた。サラスイが来た理由はキーレンを連れていくこととわかってはいた。

 それでも、ロキセイはサラスイに会えたことは純粋に嬉しく感じ、頬を緩ませるけれど、サラスイの目的をわかっているため、うまく笑えなかった。

 しかし、それはサラスイも同じことであったため、サラスイもうまく笑えなかった。

「……」


 ロキセイはサラスイと過ごした日々を思う。


 優秀で誰からも一目おかれていたサラスイと落ちこぼれもいいところだったロキセイは練成館で共に学んだ。ロキセイには不思議でならなかった、サラスイの圧倒的な呪力。

 ロキセイはサラスイに聞いたことがあった。

「何故、そのようなことができるのだ?どうやっているんだ?」


 するとサラスイは驚いたのか目を丸くしてから、思案するように目を伏せてから言った。


「ロキセイはどうやって歩いている?どうやって立っている?」


「……は?」


「それくらい説明ができない。ただ出来るだけだ」


 ロキセイは、呪力は持って産まれるただそれだけであることを改めて知る。

 知識や技術は呪力を高め、調整することはできても、増やすことはできない。

 神から分け与えられた力だ。




「ロキセイさん?お客様ですか?」


 来客に気づいたユーリは、表に出てきて、サラスイに微笑む。


 黒く艶やかな髪をさらりと揺らし、黒い瞳を細めて笑う、ユーリに濃く漂う香りにサラスイが気付かないわけがなかった。


「……はじめまして、サラスイと申します」

 この辺りでは、見ることのない上等の衣、長い旅の間に汚れてはいたけれど、それは明らかだった。また、洗練されたたたずまいと、上品な所作にユーリは戸惑いを隠せない。


「サラスイさん……?」

 ユーリは黒い髪をサラサラと揺らし不思議そうにサラスイを見上げる。

 サラスイは笠をつっと持ち上げ、にこりと頬を緩める。


「ユーリ、サラスイはこうみえても俺の友人だ。王都に住んでいる。サラスイ、この人はユーリ、怪我をして今、療養中だ」


「……行き倒れていたところを助けていただきました。いくところもないので、こうして居候させてもらっています」

 ユーリは深く頭を下げる。


 サラスイはユーリを見つめ、一瞬何かを思索するように瞳を閉じる。


 ロキセイは心配をかけまいとユーリに微笑みかける。

「ユーリ、茶の用意をしてくれないか?すぐにいく」


「はい」

 ユーリは頷き、口元を緩めると、小走りに家に入っていく。


「ロキセイ」


「……キーレンだ。わかっているだろう?俺の呪術じゃない。俺の匂いとは全く違う。……娘の、六歳の娘のキーレンが瀕死の彼女を癒した、たった一度でな。しかも、言葉の通じない彼女がいつの間にか、言葉がわかるようになっていた。濃く、呪術の痕を匂わせてな……。呪文も何もわからないのに、何にも習っていないにもかかわらず……だ。それがどういうことかわからないわけじゃないんだ……、わからないふりをいつまでもできるとも思ってなかった。それでも、……それでも、三人で暮らしたかったんだ。……わかっているんだ、王台に上がると。それでも、サラスイ……、ダメか?このまま、後三年、三年なんだ。知らないふりをしてくれないか?俺から家族を奪わないでくれ。頼む、頼む、サラスイ」

 頭を下げ、強く歯をくいしばり、サラスイにすがりつきそうになるのと、涙がこぼれそうになるのを堪えた。


「……ロキセイ、頭を上げてくれ。お前の気持ちはわかった。しかし、決めるのは、お前ではないだろう?」


 サラスイは困ったように笑った後、小さく息を吐いた。ロキセイの肩を軽く叩き、軒下の長椅子に腰をかける。


 ロキセイはのろのろと歩み、軒下の長椅子には座らず、椅子のそばの土の上にドサリと座り込んだ。



 太陽の光を受けて、キラキラと光る畑の薬草、青い空には鳥が高くとびまわっており、かすかにその鳴き声が聞こえた。




 ユーリが中から出てきて、沢の水で冷たくした茶を運ぶ。なみなみと入った器をサラスイとロキセイに手渡し、ロキセイの様子を伺うように見る。

ここにいてもいいか?と問うようなその視線にロキセイは頷かなかった。ユーリは少し悲しそうに笑ってから、また中に戻っていった。


 冷えた茶はスルスルと喉を落ちていった。

「何度来ても、ここはいいところだな。静かで、すべてが落ち着き、正しく営まれているようだ。お前がここを選んだ理由がわかる気がする」


「……俺じゃない。俺の村はなくなってしまったからな。ここはニイラーンが選んだ村だ」

 ロキセイの村は大雨による大規模な山崩れによって失われた。呪術師になるべく村を離れていたロキセイはその難を逃れたが、帰る村も家族も無くなってしまった。そのころ薬師をしていたニイラーンと知り合い、ロキセイは結婚し、この村にやって来たのだった。


「ニイラーン、優しい優秀な薬師だったな……もう三年か?」

 ニイラーンは病で呆気なく死んでしまった。ロキセイは呪術師としての無力を痛いほど感じ、自信をなくした。ニイラーンの衣を見ることさえ辛く、キーレンがいなければ暮らしていけなかった。


「……ユーリは、居候と言っていたが、居候なのか?」


「サラスイ、それはどういう意味だ?ユーリは山道の脇で瀕死の状態で倒れていたところを見つけたんだ。……ここではないどこかから来たらしい。月が一つしか登らない、呪術のない、ニホンという国だそうだ」

 ロキセイはちょうど聞きたかったんだとポツリと言い、サラスイの質問をはぐらかす。



「ニホン……、聞いたことはないな。黒い髪と黒い瞳を持つ者はこの世界では、もう誰もいないとされている。月の一つしか登らない、呪術のない、世界か。……夢のようだな。…………ニイラーンはお前が誰かと一緒に住んでも怒ったり悲しんだりしないと思うが」



 マコトラの街で過ごした日々はサラスイにとってもロキセイにとっても、楽しいものだった。

 優秀であるがゆえに孤独であったサラスイに無知であったゆえに臆することのなかったロキセイは積極的に関わりを持とうとした。ロキセイの含むところのない誠実で素朴な人柄にサラスイも心を許した。


 呪術を補うために薬師の知識や技術を学ぶと決めたロキセイはニイラーンと出会う。

 三人で様々なことを語りあった。

 サラスイの特殊な呪術を知っても、態度の変わらなかった唯一の存在であった。

 彼らと過ごした時間は心から笑い、心から安らいだ。



 唯一ともいえる友人の愛娘をもらい受けなければならないことにサラスイは深くため息をこぼす。

 しかし、それはロキセイとその娘の命を守るためにも必要なことであった。



 手にしていた茶を飲み干して、サラスイは話始める。

「ロキセイ、青龍の宮は今、大きく揺らいでいる。こんなことは今だかつてない」


「……?なぜそのような話をするのだ?」

 サラスイはロキセイの問いには答えず、話を続ける。

「ナラティス様を凌ぐ、呪術師がいる」


「ありえない、そうだろう?ナラティス様は青龍の宮の長なのだから。先の宮の長が王台に上げたのだろう。それに見通しの術は特に秀でているのだろう?違うのか?」


「あぁ、そうだ。……ナラティス様の見通しの術は優れていらっしゃる。日照り、地震、嵐、こと天候に関しては右に並ぶものなどいない。だからこそ、この国の作物は安定した収穫があり、民の暮らしも、また私たちの暮らしも安定している」


「昨年の冬は厳しいと、通達があったな。みな、早くから、寒さに備えた。……それで?どういうことなんだ?そのナラティス様を凌ぐというのは本当なのか?」


「……ナラティス様よりも強い呪術師は今はいない。しかし、歴代の青龍の宮の長と比べると、ナラティス様は数段、劣るのだ。知識も技術も申し分ない、けれども呪力は及ばない、しかしそれは努力でとうにかなるもなでない。ナラティス様はいつも苦しんでおられる。ナラティス様を支えるなどとは、おこがましいが、支えるに値する素晴らしい方なのだ」

 サラスイはナラティスの苦痛に耐えじっと瞳を閉じる姿を思い浮かべる。

 離反を知ったときにも、声をあらげることもなく、ただ瞳を閉じていた。

「……一人の呪術師がいる。彼は清定館を優秀な成績で修了し、青龍の宮に配属された。すぐに頭角をあらわし、ナラティス様も、現王も、目をかけておられた。しかし……、彼は青龍の宮を統べること、長となることを欲した」


「そんなこと、出来るわけがない。ナラティス様に逆らうことは、王に逆らうことと同じ。契約に反する。呪力は消えてしまうはずだろう?」


 王と契約し、その力を国の安寧のため、この国の民のために使うことを誓約する。それに反することをすると必ず、青龍の宮に知れ、呪力は失われる。



「その通りだ。……しかし、彼は呪力を失うことはなかった。彼は、いや、彼らは青龍の宮だけでなく、この国を統べることを欲している」


「ちょっと待て!わからない、何だって?一つずつだ。まずは何故、そのような強力な呪術師が王台に上がらないのだ?ナラティス様に並ぶほどの呪術師ならば、王台に上がってしかるべきだろう?」


「わからない。ナラティス様にしか、後継者は選ぶことはできない。ナラティス様が違うと言えば、違う。彼は後継者ではない。だからこそ、王台に上がることなく、清定館で学んだのだ」


「……次だ。何故、ナラティス様に逆らって、呪力を失わない?」


「……考えられることは一つ、別の契約を交わしている」


「はあ?別の契約?そんなことが可能なのか?わからない……、サラスイ、お前はわかるのか?」


「知りたいか?ロキセイ?」


 伏せていた顔を上げて、サラスイは紫の瞳でロキセイを真っ直ぐに見つめる。

 その鋭い視線は暗さを滲ませており、ロキセイはたじろいた。


「……」


「知ってもらわなくてはならないの、だろうな。キーレンのために」


「……」


「この国は、蒼い瞳を持つ者が王となる。蒼い瞳こそが王の証。……蒼い瞳を持つものは同時に二人は生まれない」


「……そういう理なのだろう?」


「……次の代を継ぐべき時を見計らうようにして、蒼い瞳を持つ者が生まれる」


「本当に上手くできてると思う」


「……そういう理を作っているのだ。この世を乱さないために」


「……?どうやって?」


「……王族は死産が多い。そのために王族の出産の際には呪術師が立ち会うことも少なくない。先にも、降嫁された現王の末の妹君のお子が生まれた。しかし、生後間もなく、逝去された」

 サラスイは淡々と言葉を繋げていく。


「……つまり、間引かれているというのか」


「そうだ。……歴代の青龍の宮の長は生まれでる前に知ったそうだ。その赤子の瞳の色、またその赤子の定め、王となる者かどうかを知るのだ。そしてその命を奪う」


「なんと恐ろしいことが……、事実なのか?サラスイ。……長く、この国が始まった頃からずっと、行われていることなのか?!」

 ロキセイは憤りを隠せない、震える手を握りしめた。

 サラスイは何も言わず、瞳を閉じていた。

「……」


「そのような恐ろしいことをしてまで、しなければこの世は平静を保つことができないというのか!なんと愚かなのだ……。子を失う悲しみは耐え難いものだぞ?しかも、生まれて間もない子を!」


「……誰しもがそう思う。ロキセイ、お前だけではない」


「そうまでしなければ、保てないのか?この世界はっ!サラスイ!」


「……ロキセイ。蒼い瞳を持って産まれた。それゆえ、生きることを許されない。ただそれだけなのだ、理不尽だと感じ、なんとしても生かし育てたい、人は誰しもがそう思うのだろうか」


「当たり前だろう?そう思うのが親だろう。誰が好き好んで自分の子供をっ!」


「今、蒼い瞳を持つ者が王の他にもいるのだ。ナラティス様の呪力は及ばなかったのだよ。生まれる前も後も、ナラティス様はわからなかった。蒼い瞳を持つ者が呪術師と契約したのだ」


「……」


「己の境遇を恨み、現王を妬み、簒奪せんとして力を欲し、呪術師と手を結んだ」


「……」


「現王を、ナラティス様を弑すべく、彼らは虎視眈々と狙っている。……ロキセイ、キーレンの呪力は強大だ。彼女の命はもちろん、お前の命も危険であることがわかるか?」


「……」

 ロキセイは弾かれたように、視線をあげて、サラスイを見つめる。


「お前に彼女を守れるか?自分自身が人質に取られるようなことがあれば、キーレンは彼らの言いなりになるしかないことがわかるか?お前は後、三年という。三年も、あるのだぞ?契約を交わさないままにすれば、彼女の呪力は消える。それは間違いない。彼女の強大な呪力をコントロールするすべをお前は教えられるのか?暴発を抑えられるのか?彼らから身を隠し、守り続けることができるのか?ロキセイ!」

 サラスイは挑むようにロキセイを見る。


「言うな!……わかっている。俺に力がないことなど、初めからわかっている。俺にはキーレンは導けない、守れない。自分の身さえ守れない。キーレンの弱みになることは、火を見るより明らかだ。青龍の宮に差し出し、王台に上がれば、もう、キーレンとは暮らせない……、初めから選ぶことなど出来ないのだ」


「……ロキセイ、お前が選ぶことはできない。キーレンの人生だからな。ナラティス様はキーレンに選ばせよと、仰った」


「どういうことなんだ?」


「九つの冬までに、新年を祝う儀式、それまでにキーレンに、王台に上がるか、ロキセイのもとにただの人として戻るのか、選べとな」


「……何故?」


「わからない。ナラティス様にもわからないのではないか?……ロキセイ、キーレンが決めるまで、私は彼女を守り、導こう。彼らに見つからぬよう、守り通す。約束する。彼女を私に託してはくれまいか?」


「……否と、言えるわけがないだろう……」



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