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 春を迎えたばかりの王城の中庭から、やわやわと吹く風をうけて桃の花びらがひらひらとサラスイの足元に落ちてきた。


 今にも止まりそうだった足をここぞとばかりに止め、その桃の花びらをぼんやりと見つめ、ため息を吐く。


 前を行く案内の者は、苛立たしげに振り返り、催促の眼差しをサラスイに向ける。


 それでも動こうとしないサラスイに小さく声をかける。人気のない廊下は思いの外、声が響いた。

「サラスイ殿、ナラティス様がお待ちでございます。お急ぎくださいませ」


 ナラティスに呼び出されることは多くはないが、無くはない。彼女はサラスイにとって気安い相手ではないが、苦手な相手でもない。

 白髪の混ざった栗色の髪を高く結い、深くシワの刻まれた目元は知性と慈悲を含みながら、深い茶色の瞳は落ち着き、力強く煌めいていることをサラスイは思う。

 青龍の庇護のもとにあるこの国を深く強く支える者、この国の全ての呪術師の頂点にあり、最強の呪力を有する者、ナラティスが待つ部屋に向かうサラスイは、いつになく、足が重かった。


「どうしたことか。私には見通しの術など使えはしないのに。こんなにも足が重く、胸が苦しい……」


 案内の者に急かされ、広い王城の廊下を進む。



 案内されたのは、美しく整えられた中庭が見渡せる一室であった。

 膝を折り、低く平伏すると、すぐに顔をあげるように声がかかる。

 蒼い長い衣をさらりと鳴らし、サラスイを見つめる細く小柄な女性。


 この国において、この蒼の長い衣を身に付けることを許されるのは王族と、彼女、ナラティスのみ。

 ナラティスは柔らかく微笑み、目尻の皺を深める。


「サラスイ、ずいぶんと気が重そうですよ。相変わらず、思ったことが全て顔に出てしまうのですね」


「遅くなり大変申し訳ありません。……ナラティス様にお会いするのが、なぜか心苦しく、できるなら、ここへは参りたくありませんでした。私は見通しの術など使うことは出来きませんのに、おかしなものでございます」

 サラスイはナラティスの顔を見ることが出来ずに、磨かれて日差しに光る床を見つめた。


「ほほ、正直だこと。……見通しの術は、全てを知ることなどできはしないのです。特に小さな拾得によって細かく枝分かれしていく未来、それをはっきりと見ることができるのは、フローセイくらいでしょう?……足が重いとはね、恐らくあなたにも見通しの才があるのでしょうね」


 柔らかく目を細めて、ナラティスは物言いたげなサラスイに何も答えることなく、座るように椅子を勧めた。自らもゆっくりと腰をかけ、湯気の上がる茶器を手にする。


 サラスイも茶器を手にして、緊張で冷たくなっていた指先を温めた。

 そっと口に含むと甘く、飲み下すと温かさがきゅうと腹の中に落ちていった。


 茶の用意を済んだところで、ナラティスは人払いをした。広い中庭に面したこの間には二人きりであり、見えないところに警護の者が控えているのだろうが、静かな風の音と、どこかで鳥が囀ずる声が聞こえるのみであった。


 ナラティスはゆったりと茶をすするだけで何も語ろうとはしなかった。

 サラスイはただ待つしかなかった。



「……おそらく、5、6年前になるのでしょうね」

 ナラティスは茶器を手にしたまま、庭から視線をはずすことなく、話しを始めた。


「あなたは今よりも、私が知るあなたよりももっと、あどけない顔をしている。……小さな赤ちゃん、まだ生まれて半年にもならない女の子を恐々抱き上げ、無邪気に笑っているわ。優しく見守るのは、素朴な青年とその妻。……あなたもあんなふうに笑うのね。……いや、笑っていたのね。ここはあなたの笑顔さえも奪ってしまった」


 中庭を漂っていた視線をナラティスはサラスイに向け、困ったように微笑む。


「ナラティス様……。おそらく、六年前に友人の自宅に招かれた時のことでしょう」


 ナラティスが青龍の長たる由縁、彼女の強い呪力のなかでも、見通しの術、特に過去を見る能力は彼女のほかにおいて右に出るものはいない。

 遠く離れた土地での出来事を知ることができる、過去であっても未来であっても、その出来事を見ることができる、見通しの術。しかし、特に未来を見ることは難しい。それはあやふやであり、誰しもが曖昧であることが多い。

 それはナラティスも同じである。しかし、ナラティスは過去、今この時よりほんのわずかでも過ぎれば、見ることが出来る。自在に場所、時を越え、はっきりと一語一句、見ることが出来る。


 ナラティスが見たのは、サラスイの唯一の友人の子供の誕生を祝うために出向いたときのことだろう。


「……青龍の宮に属する前なのですね。この宮はあなたから、いろいろなものを奪ってしまった、我が青龍は、あなたという素晴らしい人物を得たのにね。……ここはあなたにとって辛いだけのところなのでしょうね」


「ナラティス様、決してそのようなことはございません。こうして青龍の宮の者としてお仕えできることは、呪術師にとって、誠に名誉なことでこざいます。辛いだけのところなどではございません……」


 いつになく、ナラティスの声は沈んでいた。何かを思い悩むような、迷うような、ため息を吐く。



「心にもないことを言うのね。……あなたは王台に上がってもおかしくはなかった、呪力も十分です。知識も技術も申し分ない、加えてあなたには、品位とでもいうのかしら、青龍を統べる者としての覇気を感じたわ。でも、何かが違った……、私自身とても不思議だったのよ。後継者があなたではないと、感じる私が間違っているかと思ったもの。……未来はいつも濃い霧が立ち込めたように霞み、はっきりとは見えない。仕方のないことだと、わかってはいるのですよ。それでも……、私は辛かったのです。青龍の宮を統べる者として、私は至らない。呪力も技術も何もかも……、それでもやっていけるのは、あなた達が支えてくれるからですよ。妬みも嫉みも、根も葉もない噂もあなたを苦しめ、家族とも生まれ育った故郷からも遠ざけてしまった」


「ナラティス様……、私はそのようには思っておりません。妬みも嫉みも、私が未熟者であるからでございます、家族と疎遠になってしまっているのは、私が親不孝者だからでございます。……それに私が後継者などと恐れ多い、私の呪力は強くはありません」


「サラスイは、自分を卑下しすぎなのですよ。そのように慎み深いが故に、王から扇を下賜されてしまうのです」


 サラスイは呪術師として類い稀な能力を有していた。しかし、サラスイはそれを人に知られることを望んではいなかった。その能力のため、故郷へ戻ることを許されず、王宮に勤めている。

 王宮に勤めるということは、呪術師として名誉なことであり、誰しもが羨むことてあった。そのため呪術師は驕り昂り、傲慢になる者が多い。

 王宮に勤め、また特殊な能力を有していながら、いつも謙虚さを失わないサラスイを王は目をかけ、蒼い美しい扇を下賜したのだった。

 サラスイは失うことを恐れ、その扇をいつも身に付けている。


「……ナラティス様」

 帯に差し込んだ扇が少し重くなったように感じた。


「サラスイ……、この宮を統べる者は後暗いのです、地を這うような、血を吐くような苦しみを伴うのです、しかし、それを誰かに見せることは許されないのです」

 ナラティスは苦いものを口に含んだように、顔を歪める。


「……なぜ、そのような話を私になさるのですか?」


「必要だからです」


「なぜ、必要なのです?」


「サラスイ、覚えていますか?私に初めて会った日のことを」

 ナラティスはサラスイの問いには答えず、唐突に話始める。


「…………、覚えております。九つの秋のことでございました。契約の間で、ナラティス様のお優しい眼差し、それと王の低い声が腹に響いたことを、今でもはっきりと覚えております」

 初めて足を踏み入れた王城は、広く高く、静かだった。案内の者について歩いた廊下はひんやりと冷たく、キンと張り詰めた空気が流れていた。

 薄暗い広い契約の間、平伏し、磨き抜かれた床を見つめていた。


 王にかけられた言葉、

 ーーこの国の為に尽力せよ。その力をこの国の民の為に使うと誓約せよ。


「私もよく覚えていますよ。でも、おかしなことを言う、ほほ、あなたくらいではないですか?王の蒼い瞳ではなく、声が記憶にのこっているのは」


 この国において、蒼い瞳こそ王の証。澄みきった静かな深い泉のような蒼は王族の中にしか現れず、またとても少ない。その蒼い瞳を持つ者が呪術師と契約することができるのだ。


 蒼い瞳は何もかも見透かすのではないかと思うくらいに青く、また冷たく突き刺すような低い声とともに、現王の近寄りがたい印象を与えている。


 あの時のヒヤリとした頭や手足の痺れるような感覚をありありと思いだし、サラスイは背筋を一瞬、強張らせる。その感覚はわずかに続き、サラスイを悩ませていたことをサラスイは誰にも言えないでいた。



「……あのときから、サラスイ、体の芯が痺れるような、頭がぼんやりするような感覚が続いているでしょう?」


 サラスイは伏せていた視線をナラティスに向ける。



「…………?!」


「私はあなたの呪力を封じたのです。体と心が繋がらないような感じがするでしょう。……わからなかった、なぜ、王台に上がらないのか。私はどうしてこんなにも強い呪力を持つ者の存在に気づかなかったのか、本当にわからなかった。少し落ち込んだのですよ……。あなたを見て、呪力を封じなければならないことはわかったけれど、やはり、私はわからなかった……。しかし、全ては繋がりました」


 ナラティスは瞳を煌めかせにっこりと微笑む、そこには先程まで見られていた迷いはない。ゆっくりと立ち上がりサラスイに近付き、サラスイの額に右手をかざす。


 ナラティスは小さく呪文を口にする。ふわりと爽やかな酸味と甘味、わずかに残る苦味をまとう香りが濃く漂う。久しぶりに鼻腔を抜けるナラティスの呪術の香りにサラスイは酔いしれる。


 大きく深く息を吸い、ゆっくりと吐ききると、同時に閉じていた瞳を開けたサラスイは、視界が開けたように明るくはっきりと見えた。また、ぐっすりと眠った朝のように頭がすっきりとしていた。


 膝の上の両手を握ったり、開いたりすることさえ、いつもより簡単に出来るように感じた。

 そのようなサラスイの様子にナラティスは満足そうな微笑みを浮かべる。



「サラスイ、古い友人に会ってきてはくれまいか」


「…………そういうことなのですか」

 すっきりとした微笑みを見せるナラティスとは裏腹に、全てを悟ったサラスイは瞳を閉じて小さく息を吐く。



「……人さらいをしてもらわねばならない。私に娘を、……あなたでなくてはならない」


「王台の者ではなく、私が参らねばならないのですね。……あの子が王台に上がる。私以外の者では、ロキセイは娘を渡さない。そういうことなのですね、ロキセイとの縁を結ぶために私はあの町の錬成館に行かなければならなかった……、全ては繋がっているのですね」




「……サラスイ。……呪力とは、よく言ったものですね、本当にこの力は呪いです。呪力が強いほど、しがらみも多く、嫉妬も受ける。自由などありはしない、普通の幸せなど、思うことさえ許されないのです。子をなそうとすると、誰かから奪わねばならない。……ねえ、サラスイ、九つのとき、契約などせずに呪いから解き放たれるほうを選べばよかったと、思ったことはないか?」


「……ありません」


「サラスイ、顔に出ていますよ。……選ばせてあげなさい。その子には、蒼龍の宮の長として王台に上がるか、ただの人として生きるか、選ばせてあげなさい。」


「ナラティス様、そのようなことは出来ません。王台に上がるような呪力の持ち主をみすみす野に戻すことは出来ません。ましてや、強い呪力は危険です……」


「ほほ、本当に正直だこと。青龍の宮も一枚岩とは言えませんからね、あちらの者達に彼女を任せることは出来ません。……あなたは十分に承知していることですね、恐らくは命を危ぶまれることもあるでしょう。でも、あなたは彼女を守れる。必ず」


「ナラティス様、それは希望ですか?」

 呆れたようにサラスイは呟いてしまう。


「本当に失礼なことを言う。ふふふ、そうね。……たくさんの未来のなかに見えるわ、私の望むもの、望まざるもの……。私は信じています。サラスイ、あなたの横に蒼い長い衣を身にまとった美しい呪術師が立っているわ。その未来を信じています」


 ニコリと緩めた口元をナラティスはきゅっと引き締め、もう一つ語らねばなりませんと、サラスイに向き直る。


 ナラティスから淡々と語られる事実にサラスイは言葉失う。一枚岩とはいかなくなった青龍の宮、誰もが不可解であっても、決して言葉にしなかった疑問。全てがスルスルとつながっていく。

 そうして、この国の闇をサラスイは知る。綺麗なことだけでは国を支えることなどできはしないと、サラスイは知ってはいた。けれど、これほどまでに青龍の宮の長の責務は重く暗いとは思ってもみなかった。


「私が至らぬために、このようなことになったのです。せめて私が長として立っている間に終息させましょう。弱い長だと、落胆させてしまいましたね」


「ナラティス様…、そのようには思ってはおりません。青龍の宮の長の責務の重さに私は……、何と申し上げていいのかわかりません」

 サラスイは友人の娘を次の青龍の宮の長として、ここ来なければならないことに小さく息を吐いた。


 そんなサラスイにナラティスは姿勢を正し言う。

「あなたに王台の任を命じます。サラスイ-アルライト、今このときを持って、王台の者として、青龍の後継者を導くことを命じます。すぐに立ちなさい」


「ナラティス様……、」


「サラスイ、頼みます。あなたにとって酷なことであることは重々承知」


「……わかりました。確かに拝命致します」


 サラスイは椅子から降りて、ナラティスの足元に膝を折り、ゆっくりと頭を下げる。


「サラスイ、頼みます。弱い私を恨みなさい」


 



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