最上鋼鉄のミセリコルデ
ミセリコルデという刺突短剣は、フランス語で「慈悲」という意味を持っている。この短剣は、戦闘では使われず主に仲間の介錯のために使われていた。似た形の武器にリングダガーが存在するが、現代では同じものとして捉えられている。リングダガー・ミセリコルデといったところだろう。
中世の時代は、名誉の戦死を望む騎士や兵士は多く、手の施しようのない怪我を負った者を安楽死させる。この短剣が背負ってきた眠りの数や、意志や思いの重さは、想像を絶するものだろう。
武器としても非常に優秀で、鎧の隙間を縫い相手の心臓を貫くことができ。その威力は、メイルブレイカーとして実用が可能なほどであった。どのような状態の敵であろうと、一突きで息の根を止めてしまえるその威力は、決して侮ってはいけないものであり。この武器の残忍なほどの「慈悲」を際立たせている。
弟子がここを訪れなくなり、早いものでもう一週間が経とうとしている。最終ログイン時間を見ると、ゲームの中にログインはしているようだが、俺の前に顔を出すことはなく。一度もここに来ている様子はなく、ここ一週間は寂しい毎日を過ごすこととなった。
結局シュタイナーに頼まれたハンガーは俺が打ち、それを取りに来たシュタイナーは異変を察知したもののそっとしておいてくれた。俺は本当に、友人に恵まれていると思う。
「俺・・・いい師匠やなかったなあ」
今は店を閉め「無口」も外している。ああは言ったものの、やはり一週間なんの連絡もなければ心配になってしまう。しかし、手を貸すことはできない、ここから先はもっと険しい道になる。ここを乗り切れないのなら、ここでやめてしまって次の道を探すのも手だ。
慈悲と名のついた短剣を作る。誰のためでもない、自分のためだろうか、それとも弟子のためか。短剣の剣身は文字通り短く、その為あまり豪快に打つような武器でもない。何度も何度も折り返し鍛錬を行う、普段にも増して何度も、何度も。鍛冶をしている間は何も考えなくて済むから、この武器と向き合い、インゴットと向き合い、ひたすらに思い描く形に近づけていく。
ポイントはすべてを貫くほどに鋭く、しかししなやかに伸びやかに、でも硬さは失わず。真っ直ぐに、仲間を苦しめることなく、一瞬で命を刈り取れるように。その刃が苦しみを与えないように、苦しみから解放し安らかな眠りを運ぶように。理想の姿を追い求める。
今俺は、鍛冶をしている。
そうだ、俺はこのゲームで鍛冶をしてきた。もう二年にもなろうかとしている中、確かにこの8ヶ月は楽しかった、しかしもともとは一人でコツコツとやっていたはずだ。弟子も元々は罰ゲームか何かがきっかけだったのだろうし、よく鍛冶に傾倒する以前の友人たちと狩りに行っていた話もよく耳にした。
だからこそ、信じようと思う。
アリスの目はいつも本気だった、いつも本気でこのゲームを楽しんでいた。時に悔しがって、時に飛び跳ねるほどに喜んで、時に失礼な客に対しての怒りをあらわにして。いつもこの心気臭い鍛冶屋を明るくして、きっかけが何にしろ、アリスの目に曇はなかった。
だからこそ、この場所を守ろうと思う。
馬鹿弟子の為にも、俺はここを守るべきだろう。アリスが帰ってきたくなった時に、帰ってくる場所を残しておいてやらねばと思う。カウンターの横に置いた小さな丸椅子は、その主がもどるまできれいにしておいてやろう。
「まったく、世話が焼ける馬鹿弟子やね」
小さく笑って仕上げに取り掛かる、焼入れの為に焼鈍しを行う。歪みを取るこの作業をしながら、ふと弟子の姿が頭をよぎる。思うに今は焼鈍しの時期なのだろう、歪みをとってさらに固くなるためのステップを踏む為。焼きなましを行った剣身を一気に水につけて急冷していく、下がり過ぎないように、こいつの声をよく聞いて、引き上げる。
徐冷したあとに軽く磨くと、上品な鏡面体が見えてくる。焼き入れが終わった剣身は、どこまでも澄んでいて、全くの汚れを知らない。きっとアリスなら、この試練も乗り越えて、一流といっても過言ではない鍛冶師に成長することだろう。どことない確信を持ちながら、鞘や装飾を施していく。
「なんだ、案外落ち込んでないじゃん」
「ほんとだな、心配して損したわ」
鞘の仕上げをする為にカウンターへ戻ると、どこから入ったのかシュタイナーとエリーゼが立っていた。恐らくだが、前に貸したままの合鍵を使ったのだろう。
「なんじゃ、お前らか。 びっくりさせんなよ」
「なんだとは酷い言いようだねー」
「そうだそうだ、こっちは心配してきてやったのに」
二人は抗議を身振り手振りを交えながら表して、おどけたように笑っている。
「よかったよ、死ぬほど落ち込んでなくってさ」
「お前アリスちゃんにぞっこんだったしな」
二人は俺をからかいながら、それぞれ椅子を引き寄せてカウンターの前に腰掛ける。それに促されるように俺もカウンターに腰掛け、作業半分に会話を続ける。
「いいのか? 会いに行かなくても」
「いいんだよ、今はそういう時やねえけん」
「相変わらずわかんない感覚だなー。 僕ならすぐにでも飛び出して『戻ってこい!』って言っちゃうよ」
「わかんなくていいんだよ、俺と弟子がわかればいいの」
「わかってなかったらどうすんのさー」
エリーゼは本気でわからないようで、カウンターに突っ伏して漏らすように言った。
「わかるさ、あいつなら」
思わず口をついて出た言葉は、どうも自分に似合わず歯の浮くようなくさいセリフで、俺も変わってきてるんだなと感じる。
「ゲームとは言え、そこまで分かり合えちゃうのはなんか焼けるねー」
「そうだよな、こちとら幼稚園から一緒なのによ」
そう言って二人は笑った。こいつらがいるから、俺もこのゲームを楽しめる。それは現実でも一緒で、機械音痴な俺のために説明書を簡単にしてくれたり、一緒に悩みながら配線をしてくれたり。そして、このゲームを俺に教えてくれたり。
「っま! どうも大丈夫そうだし一回戻るわ! ラーメン食いに行こうぜ!」
「わかった、準備しとくわ」
「いいねー! 僕も行くよダーリン」
「やめろ! 俺は男色の趣味はねえ!」
「そろそろ素直になりなよ明彦ー」
「本名を言うな!!」
いつものように彼らは、そんなことを言いながら外に出ていった。一ヶ月でも二ヶ月でも、半年でも一年でも待ってやるさ。彼らはよく遅刻してくるから、待つのは慣れてる。
カウンターの上には、最上鋼鉄で出来た「慈悲」の名を持つ短剣が、優しく光を反射していた。
とりあえず第三部:鍛冶屋騒乱はここで一区切りです。
次回からはアナザーサイドになります。
弟子の感じていたことや、思っていたこと。
本編では見れなかった部分を補足していこうと思います。




