罠
一週間前。
高校一年の夏休みを間近に控えたその日、日本最大の音楽・映像コンテンツ制作会社である『アグリス』のサーバーが炎上した。
サイトの内部が荒れたという意味ではなく、文字通り、物理的に炎上したのだ。
事故当初、無人消火機の活躍により死傷者は0と報じられていたが、後に行われたアグリス関係者による記者会見の場で、思いも寄らない事実が明らかになった。
『世界的バーチャルアイドル、優月奏の存在が失われた』
沈痛な面持ちで語られた言葉に、多くの人々が言葉を失った。
一部のデータ破損だけには留まらず、存在する筈のバックアップデータまでもが、データの多重上書きで再現不可能な状態にあるのだという。
通常記憶媒体からデータを削除する際には、その場所にデータを書き込んでいますという位置情報のみを削除するという方法が取られるために、削除したつもりのデータが復元ツールで復元できてしまうことがある。
多重上書きとは、そうしたデータ復元防止のために、削除した場所に適当なデータを繰り返し書き込んでデータを完全消去する方法だ。
それが事実だとすれば、今回の火災が単なる事故ではないという可能性があるということだ。
サーバーの管理体制、データのバックアップ体制など、記者から多数の質問を浴びせられて、アグリス広報担当者の顔が歪んだ。
結局、皆が納得するような回答はないまま、ニュースは瞬く間に世界中に広がっていった。
『バーチャルアイドル優月奏が死んだ』
『今世紀最高の歌姫の存在が失われた』
『経済効果は三千億円』
『永遠の少女に訪れた突然の死』
ファン達は阿鼻叫喚し、家に引き篭もる者、川へ飛び込む者、焼身自殺を図ろうとする者まで現れたらしい。
幸いにして、一人で灯油を購入しに来た少年の行動を不審に思ったガソリンスタンドの店員が事情を聴き、惨事には至らなかったということだが、正気とは思えない。
騒動は収まることなく、ついには公開葬儀まで執り行なわれることになった。
ネットに追悼サイトが立ち上げられて、今に至るというわけだ。
ふぅ、と溜息を吐き、俺はサイトを閉じた。
人間同然に振舞うことが可能な人工知能搭載のバーチャルアイドル……か。
TVに目を向けると、『残留磁気さえ残さず消えた少女の謎』と特番が報じられていた。
バーチャルアイドルがどうなろうと、俺には関係ない。
何が『萌え』だ。男なら『燃え』であるべきなんだ。
そして女は『リアル』でなければ意味がない。
それが俺、燈坂 優斗のポリシーだ。
息抜きがてらのネットサーフィンを終えて元の作業に戻ろうとした時、ツイッターにダイレクトメッセージが届いた。
『あなたは奏のこと、嫌いなの?』
俺は眉をひそめた。ユーザー名がない。許可していないユーザーからダイレクトメッセージが送られることはない筈じゃなかったっけ?
それに名前がないとはどういうことだろう?
俺は首を捻る。
なんだろう?
すごい気になる。ちょっと付き合ってみるか。
『別に嫌いじゃないけど興味ない。どうしてみんな、あんなに騒いでるんだろう?』
『そうだね。ほんとに意味わかんない』
俺と同じバーチャル否定の発言に、俺は口の端を吊り上げる。
そうだ。あんなもの、ただのデータの集合体と擬似感情に過ぎない。
信じて裏切られないからか? 拒絶され、それまでの時間が無になることへの恐怖を感じないからか?
そんなものは真実じゃない。
アイドルオタクの悪口に盛り上がり、気づけば次第に自分の趣味のことまで話してしまっていた。
どうやら相手は女の子で、十五の夏を迎えた俺と、そう歳は離れていない様子だ。
『気が合うね。わたしたち』
『ああ』
『会ってみない?』
『俺も会ってみたくなってきた。こんなに話が合ったのは初めてかも』
勢いに任せて入力する。
『ほんとに?』
『ああ』
『ほんとに、ほんと?』
なんか、可愛い子だな。と、その姿を想像して思わず顔がにやけてしまう。
『ほんとだよ』
『……ちょっと、待っててね』
ちょっとって、なんだよ?
少しの間を置いて、彼女から添付ファイル付きのメッセージが届けられた。
待ち合わせ場所でも送ってきたのか?
すごい積極的な子なのかもしれない。
中を確認しようと『勝手口』と意味不明な名前が付いたファイルをダブルクリックした瞬間、ハードディスクが唸りを上げ、ウイルスキラーが立ち上がった。
ウイルス警告だって!? くそっ、罠かよ!!
とっさの判断で、コンセントの横から伸びたネットワークケーブルを引き抜く。
モニターに視線を戻した俺は、はちきれんばかりに目を大きく見開いた。
――女の子が、立っている。
瞳を閉じ両手を胸の前で祈るように組み合わせた、あどけない少女がモニターの中にいる。
風なんて吹く筈がないその場所で、淡くシルクゴールドに輝く髪をなびかせる少女は、ゆっくりと瞳を開く。
くりっとした深く紅い瞳がこちらを見つめ、微笑みを浮かべながら、
「はじめまして」
と、可愛くお辞儀した。




