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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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2-6. 竜を墜とす


 一方グラウスも、包囲するだけして遊んでいたわけではなかった。

 使者を送って降伏の説得を続けながらも、攻撃には即応戦出来るように警戒を怠らず、その上で更に新たな準備を進めてもいたのだ。

「これ以上の強度にするのは、ここの設備と材料では無理ですね」

 鍛冶師がそう告げて示したものを、グラウスは厳しい目で検分した。

 地面に置かれた木製の台に、水平に据え付けられた弓。梃子で角度をつけることができ、小型の巻き上げ機が弦を引く仕掛けになっている。すなわち、(いしゆみ)である――ただし飛ばすものは石ではない。

「使い物になるかな」

 グラウスは言いながら、鍛冶師が差し出した鉄の矢を置いた。長さは普通の矢よりも短いが、太さは三倍ほどある。鈍く光るその先端は禍々しい印象を与えた。

 遠く離れた丘の斜面に立てかけた丸太に狙いを定め、把手を下げて弦を引く。

 ガチッ、と音がして止まった後、狙いを微調整してから――

「おっ」

 唸りを上げて矢が飛び、グラウスは思わず声を漏らした。見ていた兵や隊長たちも、ざわめきながら丘に目を凝らす。一人が馬で走り、矢を携えて戻ってきた。

「的はどうした」

 大声でグラウスが問うと、馬上で兵は矢を振り上げ、興奮気味に答えた。

「ばっくり割れて、矢が地面に刺さっていました!」

 おお、と見物人が喜ぶ。グラウスも満足げにうなずいた。が、手元に戻ってきた太い矢を見て、彼はふと表情を曇らせた。

 普通の矢でも、届きさえすれば、かつ焼き払うのが追いつかない数を浴びせれば、竜にも通用すると分かった。それなのに、より以上の破壊力を求める必要があるのだろうか。

(こんなものが刺さったら)

 いかな竜でも、これはたまらぬだろう。ましてや、その背に立つ竜侯にとっては……。

 むごい想像が脳裏をよぎり、グラウスはぶるっと頭を振った。

 これは戦だ。今までにも、敵の首を落とし、腹を切り裂いて、その返り血を浴びてきたではないか。

(だが女ではなかった)

 己を説得しようとして失敗し、彼はため息をついた。

 そうだ、女を殺した事はない。それも、あれほど美しく、しかも強く輝かしい女は。

「将軍? どうされました」

 そばにいた従者が不安げにそっと問う。グラウスは表情を取り繕い、なんでもない、と無造作に応じてロフリアの城壁を見やった。今一度あの街に皇帝の旗を掲げるためならば、ロフリアではなくコムスという昔の名に戻させるためならば。

(やらねばならぬし、やるだろう)

 諦めに似た心境でそう考えた、まさにその時だった。

「将軍、あれを!」

 北寄りにいた兵がざわつき、いっせいに空を指した。グラウスはさっと振り向き、輝く赤い光を見つけて眉を寄せる。まるで決心が鈍らぬ内にと、見計らって現れたかのようではないか。

「忌々しい」

 ちっ、と舌打ちするとグラウスはすぐさま声を張り上げて、迎え撃てと命じた。

 弩を載せた台が馬に引かれてごろごろと動き出し、近辺の部隊が弓を手に集まって援護に向かう一方、騎馬隊が分散して敵部隊の出撃に備える。乱れのない、整然とした動きは見事なものだ。

 しかし、ゲンシャスの攻撃をまともに受けた部隊は、そうはいかなかった。

 炎をまとって輝く竜は、逃げ続けることに相当倦んでいたらしい。デウルムで手痛い一撃を受ける以前のように、槍の穂先をかすめるほど低く飛んで、草でも刈るように兵馬をなぎ倒す。その背に立つエレシアは、氷の仮面を被ったように表情を変えぬまま、次々と兵士を炎の供犠にしていった。

「矢を浴びせろ! 怯むな、追い払え!」

 各部隊長の叫びも虚しく、歩兵も弓兵も恐慌を起こして逃げ惑った。しばらく竜の攻撃がなくて気の緩んでいたところへの急襲である。しかもクォノスから合流した兵は、竜に襲われるなど初めてなのだ。

 中には果敢に槍を投げつける歩兵もいたが、ゲンシャスは嘲笑うように易々とそれを弾き返した。ぱらぱらと散発的に放たれる矢は、すべて焼き尽くされてかすりもしない。

 なんたるざまだ。グラウスは馬を急がせながら唸った。太刀打ち出来なくもないと判ったからとて、竜は決してたやすい相手ではないというのに、多くの将兵があっさりそれを忘れていたとは情けない。

 とは言え、すっかり失望するほど部下が能なし揃いというわけでもなかった。一部で陣が立て直され、弓の掃射が始まった。炎竜が大きく羽ばたいて旋回し、素早く上空に逃れる。

 グラウスが現場に駆けつけた時には、黒焦げの遺体がそこらじゅうに転がる中、歩兵が走り回って矢を集め、弓兵に渡していた。

 竜が迫り、火柱がひとつ上がるか上がらないか、矢の雨が飛ぶ。また竜が逃げ、その隙に歩兵が味方の矢と竜の炎の標的にならぬように、慌てて移動する。その繰り返し。

(こちらを消耗させる気か?)

 新兵器の準備を急がせながら、グラウスは上空に舞う炎を睨んだ。

 キリキリ……ッ

 弦の引かれる音にグラウスは振り返り、よく狙え、と声をかけようとして、ハッと息を飲んだ。司令官の表情に、弩についていた兵も素早く背後を振り返る。

 ロフリアの城門が開き、騎馬隊が走り出していた。その姿が黒いひと塊にしか見えない。気付かぬ間に、竜につられて北へと動き続けていたのだ。

 元の位置で待機していた騎馬部隊が早くも応戦に動いていたが、集結が間に合うかどうか。それに、相手は恐らくこの一回にすべてを賭けて、死に物狂いで突破をはかるだろう。

 弩についている兵士がわずかに不安げな顔をする。グラウスは不敵に笑って首を振った。

「あちらは騎馬隊に任せておけ。我々はエレシアを狙う。竜さえ落とせば、すべてにけりがつくのだ。外すなよ!」

「はっ!」

 兵士が台を回し、梃子を動かして弓の角度を上げて空を狙う。遠目がきき、器用でこういった仕掛けの理解が早い兵を選んだのだが、既に彼はこの弩を自分の作品かのようにうまく扱っていた。

 グラウスは知らず息を詰めてそれを見守っていた。狙いを定める兵の目に雑念はない。グラウスは空を仰ぎ、再び襲いかかろうと降下してくる竜の姿を見つけて目を細めた。

 カチン。

 掛け金の外れる音。

 続く唸りが耳を打つ一瞬前、グラウスは祈った。当たるようにか、外れるようにか、いずれかは分からなかったが。

 そして――

 咆哮が、天地を揺るがした。

 津波のごとき叫びに、多くの兵が打ち倒されて膝をつく。よろめき、魂まで凍りついたように、誰もが青ざめて空を見上げた。

 宙で紅蓮の炎が渦巻き、翼を広げてのたうちながら、花弁のような火を撒き散らしている。その中心に突き刺さる黒い楔が瞬く間に灼熱し、端がどろりと溶けて地に滴った。しかし突き刺さった部分は抜け落ちない。

「あ……ぁぁ、ぁ」

 絶望の声がして、グラウスはそちらを振り向いた。弩を放った兵士が死人のような顔色で、空を見上げたまま、必死に次の矢を手探りしている。狂おしい焦りが先走り、動きはぎこちなくままならない。追い詰められた獣のように喘ぎ、涙を流しながら、彼は矢を掴み取って弩につがえた。

 ろくに目標を定めぬまま、第二の矢が放たれた。

 炎がさらに激しく燃え、血のような赤い輝きが滴り落ちる。兵士は顔をぐしゃぐしゃに歪め、さらなる矢を求めたが、わななく手はもはや何を掴むことも出来なかった。

 ついに彼は両手で頭を抱えてくずおれた。ひきつった嗚咽を漏らしながら、地面に何度も何度も頭を打ちつける。

 狂ったか。グラウスは戦慄し、もがき暴れる炎に目を戻した。

(俺も狂いそうだ)

 ――なんということをしてしまったのか。

 果てしなく深い絶望と後悔が魂を奈落に引きずり込む。炎が正視できないほど白く輝き、かと思えば一部は暗くしぼんでボッボッとくすぶる、そのさまはあまりにも恐ろしかった。人の手に負えない事態を招いたと、誰もが本能で悟ったのだ。

 人間のみならず、馬や鳥たちまでが、凝然と炎を見つめていた。

 もはやそれは竜の姿を保っていなかった。荒れ狂う炎の塊と化し、渦巻き、爆発しながら高く昇ってゆく。竜侯の姿はとうに見えない。

 炎の輝きはどんどん小さくなり、そしてそのまま遙か彼方へと飛び去って……

「……消えた」

 吐息とともにつぶやき、グラウスは呆然と首を下ろした。まだ多くの者が、地にひざまずいたまま空を見上げていた。


 軍団兵が平常心の一部なりとも取り戻す頃には、ロフリアの領主館からティウス家の旗が降ろされ、代わって皇帝の旗が翻っていた。

 略奪も破壊も行われず、まるで葬式のように静かに街が明け渡され、マリウスをはじめとするノルニコム軍士官たちが自ら縛についた。

 グラウスは捕虜にしたマリウスを連れ、軍団兵を率いて領主館に入ったが、勝利の喜びなど微塵も湧かなかった。

(それどころか、最悪の形で戦を終わらせてしまったかも知れぬ)

 道中、市民たちの恨みと敵意に満ちた暗いまなざしを浴びて、グラウスは陰鬱に考えた。

 炎竜ゲンシャスは倒れた。

 だが、その火と熱は姿を変え、市民の間に留まってしまったようだ。

 ノルニコム軍の武装解除が終わっても、グラウスは領主館周辺と軍団兵の野営地とに、常よりも厳重な警戒を命じなければならなかった。いかに彼が敗軍の将を丁重に扱おうと、部下の軍団兵が市民に礼儀正しく振舞おうとも、である。

 日が傾き、館が茜色に染まる。光は勝者グラウスのいる広間にも、敗者マリウスが軟禁されている部屋にも、等しく射し込んだ。そして両者は共に、太陽と共に死の国へ沈んで行きそうな表情をしていた。

 ――だが。

 やがてマリウスが、ゆっくり立ち上がって燭台に近付いた。暗く冷えてきた室内に明かりを灯す、いつもの習慣そのままに。

 蝋燭の先に炎がゆらりと灯ると、彼はしばらく、虚ろな目でそれをじっと見つめていた。じりじりと蝋が溶けて盛り上がり、縁からとろりとこぼれ落ちる。その滴が、マリウスの手に落ちた。

 びくっ、と手がわなないた。が、それだけだった。マリウスは当惑したように自分の手を眺め、それから燭台をテーブルに置くと、まじまじと改めて炎を見つめた。

 そして――右手をもたげ、指先を炎に近付けた。炎に照らされて、傷だらけの手が暖かく明るい色に染まる。ジジッ、と炎が揺らいで爪の先をかすめた。それでもマリウスは手を引かなかった。

 炎の舌がてのひらを舐める。

「…………」

 彼は呆然とそのさまを見ていた。たっぷり数呼吸はそうしていただろうか。

 手を引いた時にも、てのひらはほんのり赤く温まっている以外、まるで変わっていなかった。


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