2-4. 都人の思惑
王宮から出たところで、フィンとマックはいきなり途方に暮れた。どこで仲間達と落ち合うか、決めていなかったことに気付いたのだ。
都会といってもせいぜいウィネアしか知らない彼らにしてみれば、待ち合わせの場所を指定する必要などなかった。何軒か宿屋を当たれば見付かるだろう、見付からなくても中央広場に行けば誰かがいるだろう、というのが彼らの常識だ。
しかしこの皇都はあまりにも広い。宿はもちろん、今までの生活で彼らが目印にしてきた広場や神殿でさえ、大小あわせて何十とあるのだ。
案内の召使は二人の困惑を察し、仲間の方で彼らを見つけてくれる、と請け合った。二人が王宮に向かったことは分かっているのだから、宿が決まれば知らせに来るだろう、それまで皇都をひとめぐりしていれば良い、運が良ければそこらで出会うかも知れないし、と。
フィンとマックはいささか恥ずかしそうに、それもそうだ、と同意した。
それでは、と召使は先に立って歩き出す。フィンは相手が自分とそう歳の変わらない少年であるため、気安く話しかけた。
「助かるよ。おのぼりさんの扱いには慣れているんだな」
すると少年は奇妙な表情をして、返答に詰まった。その反応にフィンとマックは顔を見合わせ、首を傾げる。二人がきょとんとしているので、少年は緊張を解いて苦笑した。
「皇帝陛下のお客様に、親しくお声をかけて頂くことには、慣れておりません」
「ああ、なんだそんな事か」
フィンは笑って手を差し出した。
「俺達はたまたま皇帝陛下の仕事を引き受けることになっただけで、元々ただの北部の田舎者だよ。遠慮しないでくれ」
「ですがフィニアス様は竜侯でいらっしゃいます」
少年は慎重なまなざしで彼の本心を推し測り、手を取ろうとはしなかった。鼻白んだフィンに、マックが助け舟を出す。
「この竜侯様は貴族じゃなくて、成り上がりだから庶民と一緒だよ。俺はマクセンティウス、従者のふりしてるけど実際はフィン兄の弟分なんだ。よろしく」
言いながら、有無を言わせず少年の手を取って握手する。それから彼は、その手をフィンに引き渡した。
「名前は?」
フィンの問いに、召使らしい従順さで「ミオンです」と答えが返る。フィンは耳慣れない響きにちょっと考え、相手をしげしげ見つめて気付いた。
「ドルファエ人か」
帝国東部、ノルニコムの北に広がる乾いた草原に住む民族だ。ミオンにもその特徴が見られた。漆黒の巻き毛、黒曜石の瞳。赤みを帯びた褐色の肌に、細長い手足。
ミオンは睫毛を伏せて、はい、と応じた。
自由気ままな遊牧生活をしているドルファエ人は、普段は一致団結するということがない。だが大戦後のある時期、野心家の族長が部族をまとめて帝国に挑み、完敗した歴史がある。大勢のドルファエ人が奴隷として皇都に連行された。ミオンもその子孫なのだろう。
だがもちろんフィンは、そうした血筋を気にする性質ではなかった。
「よろしく、ミオン」
あっさりと言われて、ミオンは驚いて顔を上げる。彼が戸惑いに絶句していると、マックがにっこり笑いかけた。
「とりあえず、腹減ったから何か食べに行こう。ミオン、案内よろしく。出来れば安くて美味いところ!」
おどけた注文に、ミオンはつられて笑った。
「私どもが行くような店でよろしければ、ご案内いたします」
「そんなにへりくだらなくてもいいのに」
マックが呆れると、ミオンは悪戯っぽく目をきらめかせて答えた。
「お客様にぞんざいな口をきいているところを、誰かに見られて罰せられたくありませんので。それに、一度でも気を緩めてしまうと、取り繕うのに苦労致します」
「分かるよ」フィンもしかつめらしく同意した。「俺も皇帝陛下や将軍の前では、いつも緊張してるんだ。陛下はともかく、グラウス将軍は気さくな方だったから、うっかりつられないようにするのが大変だった」
「え、そうなのかい? 兄貴はいつだってカチコチに礼儀正しいじゃないか。あれが普通だと思ってたよ」
マックが驚き、ミオンが笑う。三人は連れ立って、皇都の下町へと足を向けた。
表通りから外れると、途端にがらりと雰囲気が変わる。賑わいぶりは表通りに勝るとも劣らないが、圧倒的に下働きや中流以下と見える人間が多い。好奇の視線は相変わらずついて回ったが、今のところ話しかけようと寄ってくる者はいない。
「ミオンは歳、いくつだい?」歩きながらマックが問う。
「十八でございます」
「俺にまで丁寧な口きかなくてもいいよ。俺は十六歳、年下なんだしさ。あ、何だよその顔。どうせ俺がちっこいから驚いたんだろ」
「申し訳ございません、大変失礼致しました」
「……そういうの、慇懃無礼って言わないか?」
「召使の特権でございます」
二人のやりとりに、堪えきれなくなってフィンが笑う。マックは大袈裟にがっくりとうなだれた。
じきに三人は一軒の居酒屋に着いた。カウンターに据え付けられたいくつもの甕に、香辛料入りの温かいワインや、豆と野菜の煮込みなどがたっぷり入っている。隣近所には肉屋やパン屋もあって、どこからでも出前がとれるようだ。食欲をそそる香りがそこかしこから漂ってくる。
フィンは客の注目を集めてしまい、曖昧に肩を竦めた。立派な“竜侯様服”が場違いなのは分かっているが、さりとて、服に相応しい場所で食事をしようと思ったら財布が空になってしまうだろう。
ミオンは二人を席につかせてから、慣れた様子で注文すると、碗にたっぷりのワインと煮込み、それにパンとレタス、削ぎ切りにした燻製肉まで運んできた。
手際よくパンに切れ目を入れて肉とレタスを挟み、どうぞ、とミオンが差し出す。二人は迷わずかぶりついた。
「うまい」
驚きの声を上げ、二人は目を丸くする。北部ではこんなに柔らかくて香りの良いパンには出会えなかった。それに、真冬にレタスがあるのも温暖な本国ならではだろう。
二人の食べっぷりに、まわりの客達もいくらか親近感を持ったらしい。場違いな客に白けていた店の雰囲気が和み、いつもの賑わいが戻ってくる。
「お気に召しましたかい、竜侯様」
亭主がカウンターの向こうから声をかけてくる。口いっぱい頬張っていたフィンは返事が出来ず、こくこくとうなずいた。その子供っぽい仕草に、どっと笑いが起こる。
「おまえ本当に竜侯なのかぁ?」
「服だけどっかからかっぱらったんじゃないだろうな」
近くにいた数人が悪気なくからかった。フィンは食べる合間に、「確かに竜侯だが貴族ではない」という事実をなんとか伝える。たまたま竜に気に入られただけの、粉屋の息子なのだ、と。
「実際に自分がなってみるまで、竜侯なんておとぎ話の中の存在だったよ。東の竜侯エレシアはどうだか知らないが」
さりげなく水を向けると、一人の酔客が知ったようにうんうんとうなずいた。
「あっちは炎の竜侯なんだってな。グラウス将軍も危うく丸焼きにされかかったってよ。恐ろしいもんだなぁ」
「女の恨みほどおっかねえもんはないぜ。ゲナス様も、どうせやるなら徹底的に大掃除なさったら良かったんだよ。ノルニコムの連中は大体が、本国を馬鹿にしてんだから」
「確かにな。しょうがないから本国に協力してやってんだ、みたいに言いやがるし。この機会にグラウス将軍が連中の鼻っ柱を折ってくれりゃいいんだ。なんせ今度の皇帝はちっと頼りないから……」
そこまで言って、酔客はミオンの存在を思い出し、慌てて口を閉じた。ばつが悪そうに、今のは内緒だぞ、とワインを一杯奢る。ミオンはいつものことだと言うように、当たり前の顔をしてそれを受け取った。
フィンはそんな光景を興味深く観察していたが、ふと気付くと、ネリスやおじさん達も美味いものにありつけたかな、などと、いつの間にか他所事を考えていた。
気まずくなった場をごまかすように、亭主がことさら陽気に呼びかける。
「そういやフィニアス様は、どちらの生まれで?」
粉屋の息子に様付けなんて要らない、とフィンは訂正したくなったが、どうせこの先ずっとこうなのだろうと諦め、聞き流すことにした。
「北部だよ。ディヴァラ海に面したナナイスの街だ」
「へぇ、イスレヴ様とおんなじですかね。そっちじゃ、こういう食い物はありませんので?」
「なくはないと思うが……ナナイスでは肉よりも魚介類のほうが多かったから。イスレヴ様って?」
「評議員のお一人ですよ。下町にもよくお見えになるんで、あたしらも存じ上げてます。どこってったか……ウィネアでしたっけかね。北の出身だって話で。やっぱりあっちは、本国より寒いんでしょうね」
思いがけず馴染んだ地名が亭主の口から飛び出し、フィンは一瞬、怯んだ。
彼らは何も知らないのだ。ナナイスやウィネアが正確にどこにあるかも、どんな街かも、……今、どんな状況にあるかも。
束の間黙り込んだフィンに、近くの客が妙な顔をする。フィンは苦笑でごまかした。
「ああ、もちろん、ずっと寒いよ。今頃だったら吹雪の日が続いて、海は真っ暗に荒れて、家から一歩も出られないことも多いぐらいだ」
「そりゃあ大変でしょうなぁ」
「まあね。でもその代わり、冬は冬で美味いものも沢山とれる」
魚は脂が乗るし、雪に埋まった野菜は甘くなるし……。他愛のない話をしていると、客達も面白そうに耳を傾けてくる。ここにいるような、商人や軍人でない、旅といったらせいぜい近隣の村や町まで親類を訪ねて行く程度の庶民にとっては、山脈の北など別世界なのだ。
フィンは、随分遠くまで来てしまったな、としみじみ痛感した。
そうしてしばらく、当たり障りのない話題でお互いの情報を交換した後、満腹した二人は支払いを済ませて店を出た。思いのほか皇都の物価が高いことに驚いたマックが、正直に心配そうな顔をしながら、苦笑まじりに言った。
「北部が恋しくなってきたね、兄貴」
「ああ。出来るだけ早く帰らないとな」
――と、急にミオンが奇妙な表情になった。
「お帰りになる? 皇都に住まわれるのではないのですか」
複雑な声音に含まれている心情のうち、フィンにはっきり分かったのは『失望』だった。彼が何にがっかりしたのか、フィンは理解出来ずに目をしばたたく。知り合ったばかりの、親しくなれそうだと思った相手が、あっさりといなくなる――そのことに対する失望か。だが、ミオンの顔に寂しさは微塵も見えない。
訝るフィンに代わり、マックが答えた。
「俺達はクォノスから皇帝陛下の護衛をしてきただけだからさ。皇都で装備とか食糧とか整えたら、船で西を回って北部まで戻る予定なんだ。もちろん、すぐに出発するってわけじゃないから、しばらくは皇都にいるけどね」
「さようでございましたか」
ミオンは納得した風情でうなずいた。だが相変わらず、失望の薄い靄が彼を取り巻いている。フィンはその気配に微かながら不快感を抱いた。ために、詫びの言葉は思い浮かびもしなかった。
その後もミオンは相変わらず丁寧に、二人を案内して皇都のあちこちを回った。壮大な神殿、昔の偉大な皇帝が建造した広場や大劇場、何より貴重な書物を納めた大図書館、等々。説明は丁寧だし、こちらが冗談を言えば気の利いた言葉を返すのは変わらなかったが、しかし、明らかにミオンからは最初の親しみが消え失せていた。
日が傾くまでかかって一通り見て回り、王宮に戻ると、宿屋の使いが待っていると知らされた。
「ミオンの言った通りだったな」
フィンがほっとして言うと、ミオンは得意がるでもなく、丁寧に頭を下げた。
「連絡がついて良うございました。もうお会いする機会もありませんでしょうが、今日はお二人を案内することが出来て光栄でございました。それでは、私はこれにて失礼させて頂きます」
淡白に別れを告げて、ミオンは引き止める間もなく去って行く。後にうっすら残った気配が、フィンの耳にささやいた。
(関っても何の得もない)
そこには好悪の感情どころか、軽侮の意識さえなかった。虫の食った木の実を籠から選り分けて捨てるのと同じ、作業としての判断。
フィンは愕然として立ち尽くした。横でマックが、むっとした顔で鼻を鳴らす。
「なんだよ、冷たいなぁ。そりゃ、どうせ長くはいないけど……」
「お近付きになれば、引き抜いて貰えるかもと期待したんだろう」
フィンはため息をつき、マックの問うまなざしに説明した。
「ミオンの今の立場がどういうものか知らないが、召使の暮らしに不満が多いことは想像がつく。ちょっとでも楽な仕事に代わりたいと考えているんだろうな。俺が……竜侯が皇都に住み着いたら、当然、新しい屋敷と使用人が必要になる。今の内に親しくなっておけば、あるいは、と」
「ああ、なるほどね。……そうか。俺はテトナで育ったから、お屋敷とか使用人とか、そんなもの見たことなかった。皆が同じように野良仕事して、牛や羊を世話して、パン焼いたり籠作ったり、自分で自分の仕事をしてたけど。ミオンみたいな召使は、そうじゃないんだよな」
マックはつぶやき、うつむいて唇を噛む。毎日、自分で決めて働くのではなく、他人のために、他人に命じられて、他人の都合で働くのだ。そこから抜け出すことが叶わないのなら、あるいは想像も出来ないのなら、せめてその仕事の範囲で楽をしたいと望むのは当然だろう。
フィンは小さく頭を振った。
「俺と一緒にいたら、純粋に友達になってくれる人がいなくなるかも知れないな。縁を切るなら今の内だぞ、マック」
「馬っ鹿、何言ってんだよ!」
思わずのようにマックが素っ頓狂な声を上げる。まともに罵られて、フィンはわざとらしく驚いて見せた。マックは少し顔を赤らめたが、納まらない様子で憤慨する。
「今すっごくネリスの気持ちがよく分かった。言いたかないけど、兄貴って時々とんでもなく馬鹿になるよな! まったくもう! そんなんじゃ放っとけるわけないだろ!」
「そりゃどうも」
フィンは澄まして礼を言う。マックは大袈裟に渋面をすると、フィンの腹に拳をお見舞いしたのだった。八割方、本気の一撃を。




