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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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2-3. 皇都ディアクテ


 それからの道中は、これといった出来事もなく過ぎた。フィンが密かに進言して、何人かの兵や下級士官を、隊列の最後尾に回させたぐらいだ。

 本当に連中が何か企んでるのか、とヴァルトが訊いたが、フィンは肩を竦めて応じた。

「それを確かめて明るみに出したら、結んだばかりの協定が破棄されることにもなりかねない。何事も起こらないようにする、それが今出来るぎりぎりのところだろう」

 皇帝ヴァリスもこれに同意見のようで、フィンの助言による配置換えを、理由も問わずに実行した。訊けば要らざる情報を耳にせざるを得ない。ことは暗黙の了解の内に処理された。

 クォノスを発って五日目、一行は皇都ディアクテへ到着した。

 と言っても、オルヌ川を挟んで東西に広がる広大な市街地に武装した軍団兵は入れないので、郊外に天幕を張り、皇帝は警護兵とフィンだけを連れて市内に入ることになった。

「竜侯がお供なしじゃ格好つかないから、俺も行くよ」

 名乗り出たマックに、フィンは渋い顔をした。従者ではない、と彼が言うより早く、マックはにっこり笑って続けた。

「クォノスで仕立てて貰った従者の服、まだ持ってるからね」

「マックだけ? ずるーい」

 ネリスがぶうっと膨れる。マックは、おや、という顔をして見せた。

「皆だって軍団兵じゃないんだから、自由に街を見物できるはずだよ。そもそも、皇帝が無事に都に着いたら俺たちの仕事は終わりなんだから、軍団の世話にはなれないんだし、宿を探さないと。俺とフィン兄が皇帝陛下のお供をしてる間に、皆はそっちを頼むよ」

「そう言われたら、そうだな」

 オアンドゥスとファウナが顔を見合わせ、さて報酬は支払われるのか、皇都の宿代はどのぐらいかかるのか、と早速懸念顔になる。ヴァルトが「なんだよ、不景気な」と嫌そうな声を上げた。

「着いた初日ぐらい、楽しもうぜ。美味い酒に食い物、美人の姉ちゃん! 竜侯様と違ってこちとら気兼ねなく遊べるんだ」

「浮かれすぎて騒ぎを起こさないでくれよ」

 即座にフィンが釘を刺す。ヴァルトが凶悪な目で睨んだが、フィンはもうすっかり慣れて、平然と受け流した。

「楽しむのはいいが、あんたはもう『北部天竜隊』の隊長格として軍団兵や皇帝にも顔を覚えられている。俺たちの信用を落とせば、皇都にいづらくなるのはもちろん、皇帝の信頼をも損なうだろう」

「ああもう、おまえはいちいちうるせえなぁ。皇帝なんざ知るかよ」

「あんたはそうだろうが、全員が同意見か? それに、皇帝は横に置くとしても、『北部人は野蛮で性質が悪い』なんて悪評を立てられたくはない」

 冷静に指摘されて、ヴァルトがうっと詰まる。プラストが弓をこつんと弾いて「もっともだな」と同意した。ネリスもうんうんとうなずく。

「だよねー。そうでなくともあたし達、田舎者なんだしさ。ウィネアやナナイスの評判を落とすのは嫌だよ。たとえ……」

 たとえ、今はもう存在しない街であっても。灰と瓦礫の山になっているとしても。

 その思いを口には出せず、ネリスは語尾を濁して黙り込む。ファウナがネリスの肩をそっと抱き寄せた。ヴァルトも減らず口を叩けず、口をひん曲げて沈黙する。

 ありがたいことに、ちょうどそこへ皇帝の使いがやって来て、フィンを呼んだ。慌ててマックが従者の服に着替える。フィンはネリスの頭をくしゃりと撫でてから、使者と共に皇帝の待つ場所へ向かった。

 深紅のマントを翻し、白い長剣を佩いたその姿は、既にひとかどの人物らしい風格があった。もっとも、当人は自分が他人の目にどう映るか、ほとんど意識していなかったのだが。

 しばしの後、フィンは皇帝の後についてマックと共に歩きながら、驚嘆の念に打たれて皇都を眺めていた。街を囲む城壁はまだ新しく、城門をくぐると漆喰塗りの家屋や集合住宅がびっしり立ち並んでいた。そこかしこにまじっている立派な石造りの建物は、豪商や貴族の別邸、あるいは集会所などの公共建築物なのだろう。それが、街の深部に進むほど、大規模になってゆく。

 昔の城壁の名残を通り抜けて街の中心に入ると、大通りの両脇には、一行を見ようと興味津々の市民が人垣を成していた。皇帝が竜侯をともなって帰還することを先触れが知らせ、既に噂が広まっていたのだろう。戦の後の凱旋ではないので、仰々しい儀礼や式典は一切ないが、迎える群衆の規模はそれにも劣らない。それに、どことなく歓迎する雰囲気でもある。

〈大きな街ね。こんなに人が沢山いるところは、初めて〉

 レーナが尻込みする気配を見せる。フィンも、励ましたり安心させたり出来る気分ではなかった。あまりに一度に多くの人や建物を目にして、くらくらする。

〈俺も初めてだよ。想像したこともなかった。気が遠くなるほど人間だらけだ……レーナ、大丈夫かい?〉

〈ちょっと混乱しそう。しばらく休ませて〉

 返事と同時に、心に触れるレーナの存在が小さく、遠くなる。フィンはその温もりを大事に抱くように意識しながら、皇都の空を仰いだ。建ち並ぶ商館や神殿といった立派な建造物に囲まれて、空はいささか窮屈な形に切り取られている。

 斜め後ろについているマックが、小声でおどけた。

「すごいや。見物しに来たつもりが、される側になるなんて思わなかった」

 思わずフィンは失笑しかけ、慌ててしっかり口を引き結んだ。

 人、人、人の波。食いつくような好奇の視線が、興奮が、色彩の靄となって渦を巻く。全体がまとまって巨大なうねりを作っているのに、ひとつひとつの色が混ざって消えてしまうことはない。

(魚の群れみたいだ)

 ナナイスの海を思い出し、フィンは何とも言えない妙な気分になった。

 やがて市街の中心部にある古い広場まで来ると、議事堂の前で評議員達が揃って皇帝を待っていた。思わぬ迎えに、ヴァリスは片眉を上げて不審げな顔をする。

「諸君が私の帰還をこれほど歓迎してくれると知っていたら、帰路ももう少し心弾むものであったろうに。何か知らせがあるのか」

 問いかけに応じてフェルシウスが進み出た。満面に笑みを浮かべ、揉み手をせんばかりだ。

「おめでとうございます、陛下。グラウス将軍はアクテを奪還されました」

「――!」

 さしものヴァリスも束の間、絶句した。一呼吸する間を置いて、驚きを隠せずに言う。

「もう、か。流石だな。むろん将軍は無事なのだろうな」

「はい」

 フェルシウスは慇懃に頭を下げ、フィンに視線を移した。

「竜侯フィニアス殿のお力添えに助けられた、と使者が申しております。フィニアス殿が皇帝陛下と共に皇都に来られることがあれば、厚く御礼申し上げるように、と。私からも感謝致しますぞ。何しろグラウス将軍はいまや帝国の要。そこにあなた様の貴いお力添えを頂ければ、我ら帝国市民も心安んじて過ごせるというものです」

 あからさまにおもねられ、フィンはどう答えて良いか分からず曖昧にうなずいた。どうやらグラウスに施した加護が、竜侯エレシアの力を防いでくれたらしいと知って安堵したものの、それについてまったく見知らぬ他人からこんな態度を取られるのは、どうにも気味が悪かった。

 ヴァリスはフィンの困惑を察し、如才なく議員達をあしらうと、さっさと王宮に入った。

 王宮――帝王の宮殿――と呼びならわされているものの、そもそもはグラアエディウス一門の屋敷である。長い歴史の中で皇帝を輩出した家門は何度か変わったが、今のグラアエディウス一門がもっとも長く続いているため、いつしか王宮という呼び名が定着したのだ。

 門に近い辺りには、応接室や会食堂など公の用向きに使う部屋が並び、庭園を横切って奥に進むと、やっと皇帝の私的な生活空間に入る。殆どの客が立ち入れず、召使の姿も目につかなくなって、街の喧騒も少し遠のく。

 ヴァリスはそこまで、フィンとマックを連れて行った。

 野次馬や議員達から逃れられて、フィンは思わずほっと息をついた。意識の中でレーナも羽を伸ばすのが分かる。

 ヴァリスは警護兵を下がらせると、フィンとマックに椅子をすすめた。

「すまぬな。まさかグラウスがこれほど早く戦果を上げるとは思っていなかった。道理で市民が歓迎してくれたわけだ」

「将軍がご無事で何よりです」

 フィンが答えると、ヴァリスもうなずいた。その口元に、微かな笑みの気配が浮かぶ。

「私が出向かずとも良いようにと、気を回したのだろう。過保護な将軍もあったものだ……おかげでそなたを議員達に紹介する手間が省けた。だが代わりに、そなたを一躍有名人にしてしまったな。恐らく皇都に滞在中は、心得違いをした議員たちが蜜に群がる蟻のように寄ってくるだろう」

「私と知り合いになっても、利益はないと思いますが」

「そうか? そなたはこうして皇帝の住まいにまで招かれている。自治を認めるという言質も与えられているし……そうだ、あの件を正式に書類にせねばな……特別な地位にあると言っても良いだろう。いわば未知の力をもった駒だ。権力争いの参加者が、手に入れておきたいと思うような」

「政治にかかわるつもりはありません」

 フィンが顔をしかめると、ヴァリスは「知っている」とうなずいた。

 召使が飲み物と、干し果物を盛った器を運んでくる。ヴァリスは水だけを飲み、フィンとマックもそれにならった。

「そなたは皇都に長居せぬほうが良かろうが、すぐには準備も整うまい。しばらく部下を休ませる必要もあろう」

「彼らは私の部下ではなく、仲間です」

 フィンは律儀に訂正した。どうせ言ったところで、グラウス同様ヴァリスも認識をたいして変えまいし、実際、物事を動かすにはフィンが指揮官で残りは部下、としておいたほうが便利ではあるのだが。

 ヴァリスは目をしばたき、ふむ、とうなずいた。

「そうか。しかし、全員をこの屋敷に招くわけにはゆかぬぞ」

「……は?」

「皇都滞在中、そなたはこの屋敷を使うと良い。仲間から引き離すことになるが、その方が何かと安全だろう」

 皇帝からの気前の良い申し出に、フィンはぽかんとしてしまった。絶句しているとそのまま話を進められそうになったので、慌てて彼は口を挟んだ。

「お心遣いには感謝します。ですが私は、仲間達と一緒に街で宿をとります」

「しかし」

「畏れながら、皇帝陛下のお抱え竜侯になるつもりはありません」

 きっぱり言い切ったフィンに、ヴァリスはやや目をみはって、呆れたような顔をした。そして、ふと笑みをこぼす。

「そうか。賢明だな。だが友人としての厚意は受けてもらいたい。いつでも、そなたは自由にこの屋敷に出入りすることを許そう。マクセンティウス、そなたのことも門番に言っておく。フィニアスの用がある時は、通るが良い」

「あ、ありがとうございます!」

 いきなり声をかけられて、マックは頓狂な声を上げる。ヴァリスはフィンに目を戻すと、真顔になって続けた。

「そなた達には充分な報酬を届けさせよう。市中で宿を取り、北に戻るための装備や食糧を整えるが良い。その間、フィニアス、そなたは今一度クォノスからの兵を見て回り、誰を司令官に任命すべきかを知らせてくれ」

「陛下は皇都に留まられるのですか?」

「そうだ。一人で充分とばかり張り切っているグラウスを邪魔しに行っても、追い返されるだろうからな。だがセナト侯の手足を司令官にして送りつけるのでは、何のための援軍か分からぬ」

「……承知しました」

 フィンが頭を下げると、ヴァリスもうなずき、話は終わりだというしるしに、手にした杯を置いた。

「では、外まで召使に送らせよう。ついでに市中を案内させると良い。宿の良し悪しにも詳しいはずだ。だがどこに泊まるにせよ、ひっきりなしに客が来ることは覚悟しておけ。訪問者に会うのは良いが、招待は誰からであれ迂闊に受けぬようにしろ」

「気をつけます」

「一人だけ、そなたに会わせようと思っていた評議員がいるが……まあ、わざわざ紹介せずとも、そなたならば見抜けるだろう」

 返事を待たず、ヴァリスは一人合点して召使を呼ぶ。フィンは目をしばたいたが、丁寧に礼を述べて皇帝の前を辞した。


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