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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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2-2. わだかまり


 デウルムで雪のちらつく中、マリウスの騎兵がグラウスに対して緒戦の勝利をおさめた頃、クォノスでは援軍の準備がほぼ整っていた。

 当初の予定では、フィンをはじめ天竜隊はここで皇帝と別れ、北へ戻るはずだったのだが、その彼らは今、一室に集まって険悪な話し合いをしていた。

「言いたかねえが」ヴァルトが唸る。「だから大概にしとけっつったんだよ」

「無理について来てくれとは言ってない」

 売り言葉に買い言葉。フィンは自覚しつつ、せいぜい棘々しくならないように応じた。

「ただ、ヴァルト、あんただって今の季節に山を越えたいとは思わないだろう? それに、セナト侯が東行せずナクテに戻ると言っても……皇帝陛下が率いて行くのは、セナト侯の息がかかった兵たちだ。レーナのおかげで、明らかに二心のある奴は見分けがつくが、それだって今このクォノスで、セナト侯が見ている前で、選り分けてどこかに閉じ込めることは出来ない」

「だから皇都までお供します、ってわけか。そこまで世話を焼いてやらなきゃならん義理はねえだろう。もう充分以上、俺たちは約束を果たした。俺だって、皇帝の部屋に運ぶ水差しからトカゲの二、三匹はつまみあげたし、プラストは皇帝を兎と間違えてた狩人を追い払った。ほかにも細々した嫌がらせを始末しただろうが。もうウンザリだ」

 両手を広げて大袈裟なため息をついたヴァルトに、ネリスが口を尖らせて言い返す。

「ふーん。案外、冷たいんだ。味方が少なくて苦労してるのに、北に帰ってもいいよ、って言ってくれる皇帝陛下を、そりゃどーも、って見捨てちゃうんだ。へーぇ」

「……おまえは皇帝の顔が好きなんだろう」

「いいじゃない、中身も好きなんだから。顔がいまいちなのに、中身もがっかりな誰かさんよりましでしょ」

 容赦ない台詞を返されて、ヴァルトが渋面になる。仲間達が何人か、同情的な苦笑をこぼした。その中には、先日の双子もいた。

「まぁまぁ、その辺で。ヴァルトさん、ついでだから皇都見物に行きましょうよ」

「そうそう。あの小人族の隧道(ずいどう)は、もう通りたくないですからね」

「ここで雪解けを待ってても仕事はないし」

「皇都には可愛い女の子がいるかなぁ」

「ああ、きっとお洒落で美人だろうな」

「美味い食い物もあるだろうし」

「ワインの新酒も飲めるよな」

 勝手に盛り上がる双子につられて、他の面々も楽しげな期待の面持ちになる。フィンがほっとすると、双子は同時にくるっと振り向いた。

「でも、皇都より東には行かないからな」

 見事にぴったり声を揃えた双子に、フィンは目を丸くし、それから笑い出してしまった。

「分かってる。俺もそのつもりだ。どのみち雪解けまで山を越えられないんだから、皇都から船に乗ろうと考えていたんだ。川を下って海に出て、コムリスまでなら行ってくれる船もあるだろう。その先は……おなじみの陸路だが」

 言葉尻でフィンは皮肉めかした苦笑を浮かべた。束の間、部屋に沈黙が下りる。北に帰る、今度は人間の住む町を取り戻せる、と希望ばかりに目を奪われていたが、ほかでもない、帰るということは、またあの闇のなかを歩いて行くことなのだ。

「……そういうことなら、皇都まで付き合ってもいいか」

 ぼそりとヴァルトが言い、皆が無言でうなずいた。

 こうして一同は、皇帝の率いる一軍と共にクォノスを発つことになった。

 外まで見送りに来たセナト侯は、誠意の感じられない慇懃さで別れを告げた。

「まことに残念だ。本物の竜侯をナクテにお招きしたかったのだが」

「いずれ伺う機会もあるでしょう」

 フィンは丁寧に応じて頭を下げた。彼の目には相変わらず、セナト侯は灰色の影を帯びて映っていた。ちょうど、まさに今の空模様のように。

 セナト侯はうなずき、意味深長な微笑をちらりとヴァリスに向けた。

「じきに世の中も落ち着くであろうしな。それでは陛下、グラウス将軍にも武運を祈るとお伝え下され」

「そちらも。ルフス殿が西方を鎮めて無事に戻られるように」

 ヴァリスは滑らかな社交辞令のように応じて、軽く会釈をする。一瞬、皇帝とナクテ領主の視線がぶつかり、見えない矛先を交えたが、ほぼ同時に二人は目をそらした。

 皇帝が無言で馬上の人となり、先頭へ進む。警護兵がそれを囲み、声を張り上げて進軍の号令をかける。軍団の士官が復唱し、やがて全体が巨大なひとつの生き物のように動き出した。

 天竜隊は皇帝の警護兵と軍団との間に位置を占めていた。歩きながらヴァルトが鼻を鳴らし、小声で皮肉る。

「結局、手を結んだっても、ちっともお互い信用しちゃいないってわけか」

「兵の大部分は、皇帝に対しても敵意はない」

 フィンもささやきで応じる。ヴァルトは、当たり前だとばかりの顔で軽くうなずいた。それから、ようやっと彼の言葉の意味に気がついて顔をしかめた。

「おい待て。この間はうっかり聞き流しちまったが……おまえ、レーナのお陰で二心のある奴は分かる、ってったな。今の言葉もそうだが……まさか、他人の心が読めるのか」

 ヴァルトは半歩、フィンから離れた。それが怯えではなく嫌悪のゆえだということは、表情からして明らかだ。

「分からない」

 フィンは周囲の仲間達が耳をそばだてていることを意識しながら、正直に答えた。この状況でこの話が出たのは、かえって幸運だったかもしれない。今なら、フィンを忌避したくとも、隊列から飛び出してどこかへ走り去ることは出来まいから。

「どうとも言えるってことだ。竜侯ではなくても、表情や態度から多くを読み取る人はいるだろう? もちろん、その読みが間違っている場合もある。俺の目も大体は同じなんだ。強く激しい感情を抱いている人間の周りには、それがさまざまな色の靄になって見える。だがそれを、正しく読み取れるとは限らない」

 自分の考えを整理するように、フィンは静かに説明する。靄だけでなく、心の声が聞こえることもあるが、それも基本的には同じことだ。強い思いだけが聞こえるが、青葉の時のように誤解もあり得る。 

 フィンは仲間達に視線をめぐらせ、さっと目を伏せられて苦笑した。

「今だって、皆が不安になっているのは、特別な力がなくたって分かるさ。だけど心配しないで欲しい。今までの経験からして……本当にはっきりと分かるのは、相手が邪悪だとか、危険だとかいう場合だけだ」

「てぇことは」ヴァルトが辛辣に冷笑した。「おまえを背後から刺すのは無理なわけだ」

「だったら良いんだが。ともかく、人の秘密をなんでも見通せるわけじゃない。ただ……そう、今までよりも少しだけ、他人の感情に敏感になったとは言える。なんとか上手く対処出来るように、努力しているところなんだ」

 生真面目にフィンがそう締めくくった後、しばらく誰も口をきかなかった。が、ややあって、一緒に歩いていたネリスがぼそりと唸った。

「言っとくけど、あたしの心を覗いたりしたら、ぶっ飛ばすからね」

 途端に、深刻な空気がふっと軽くなる。フィンは思わずにやりとした。

「頼まれても見ないさ」

「それはそれで失敬なんじゃないの」

「じゃあどう答えろって言うんだ」

「それこそ察しなさいよ、この馬鹿兄貴」

「悪かったな」

 堪えきれずにマックがふきだし、忍び笑いが広がる。前を行く警護兵の最後尾が、不審げにちらりと振り返って眉をひそめた。

 兄妹のやりとりにもヴァルトは表情を変えず、ふんと鼻を鳴らして前を向いた。

 フィンは並んで歩きながら、視線を落とし、声を低めてささやく。

「ヴァルト、この機会に言っておく。あんたが俺に何か含むところがあるのは、気付いている。レーナと絆を結ぶ前からだ。でも俺は、あんたが話さないことを敢えて知ろうとは思わない。だから」

 そこまで言い、ふと口をつぐむ。自分が彼に何を望んでいるのか、よく分からなくなったのだ。信じて欲しい? 離反しないでくれ? それではまるで部下の心を掴もうとする上官のような言い草だ。かと言って、もっと親しくなりたいとか、信頼関係を築きたいとかいった望みがあるわけでもない。

 しばらく考えた末、彼は小さく首を振った。

「出来ればあんたには、敵よりは味方であって欲しいんだ」

 フィンの言葉に、ヴァルトは驚いたように目をみはり、短く笑った。

「随分と殊勝な竜侯様だな。俺みたいにちっぽけな人間風情、敵にしたところで屁でもないだろう」

「俺が粉屋の息子で、まだ二十歳にもならない若造だってことは、竜侯になっても変わらないさ。だからあんたも、しょっちゅうぼやくはめになるんだよ」

「はは、確かにな!」

 ヴァルトは言って、フィンの背中をばしんと叩いた。フィンは前のめりになって苦笑しながら、ほっと緊張を緩める。同時に、後ろで複数の押し殺した吐息がこぼれたことにも気付いた。

 二人の静かな対立に、皆も警戒していたのだろうか。あるいは、自分以外の全員がヴァルトの秘密を知っているのだろうか?

 その可能性を考えると、折角の安堵もくすんでしまった。

 ヴァルトも仲間達の反応に気付いたらしい。ちらりと背後を振り返って眉を上げ、ちょっと肩を竦めた。

「そうだな。俺も、この機会に言っておこう。理由があって、俺はおまえを完全には信用出来ない。竜侯様万歳、ってなわけにはな。時々八つ当たりもしたし、これからもするだろうよ」

 歩きながら喋る口調は静かで、いつものヴァルトらしくない。フィンは彼を横目に見たが、相手は視線を合わせようとしなかった。

 向かい合うのでなく、並んで歩いているから出来る話なのかもしれない。フィンは察して、自分も目をそらした。

「だが安心しろ。俺も一応は、大人だ。おまえに責任のない、こっちの事情で、むやみに噛み付きゃしない」

 そこまで言って、彼は深く息を吸い込み、ふうっと一気に吐き出した。様々なわだかまりを、吹き飛ばそうとするように。次に口を開いた時には、すっかりいつもの口調に戻っていた。

「だが、『理由』とは関係なく、おまえが馬鹿な選択をした時にはガミガミ言うし、愛想が尽きることだってあるだろうよ。味方でいて欲しけりゃ、もちっと精進しろ!」

「ああ、心しておくよ」

 フィンは苦笑して、うなずいた。


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