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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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1-8. アクテ攻防戦(3)


 再戦は、驚くべきことに翌日であった。夜明け前の、まどろみの中にあるアクテを、騎馬の一隊が襲ったのである。

「第二軍団も捨て鉢になったということかしら」

 読みが外れ、エレシアは手早く胸甲を着けながら顔をしかめた。

 グラウスが死んで再び司令官不在に陥ったのだから、しばらく怯えて引っ込んでいるだろうと踏んで、援軍が到着する前に潰すか寝返らせるかすれば良い、と考えていたのに。

 土塁を越えて侵入した騎馬隊は、天幕に火矢を射かけ、下着姿の兵を容赦なく追い回して蹄にかけている。

 エレシアとマリウスが共に手勢を率いて駆けつけた時には、騎馬隊は土塁の外へ出て整列していた。四十騎ほどいようか。エレシアが現れた途端、わっと一斉に野次が飛んだ。

「そら、雌鶏が慌てて出てきたぞ! コッコッコー!」

「将軍がおらずとも、雌鶏なんぞに負けはせん!」

「いやいや、あの雌鶏にはトサカがあるぞ、気をつけろ!」

「割れた卵にご執心、つつき引っかき大暴れ!」

 子供じみた容赦ないからかいに加え、コッコッコー、などと鳴き真似をしては嘲笑する。野卑な侮辱に不慣れなエレシアは、見る間にカアッと真っ赤になった。彼女自身のみならず、亡き夫と子まで『割れた卵』などと嘲弄され、怒りが瞬時に沸騰したのだ。

「おのれ、下衆どもがよくも……!」

 今にも飛び出しそうになったエレシアを、マリウスが素早く制した。

「陛下が相手をなさるまでもありません。私が蹴散らして参ります」

 言うが早いか自分の馬に飛び乗り、走り出す。準備の出来ていた十数騎がそれに続き、その後から、剣と盾だけ掴んだ歩兵がばたばたと駆けて行く。

 迎え撃つ騎馬隊は余裕たっぷりに、少数の敵を包囲殲滅しようとの動きを見せた。

 が、突っ込んできたのは、数は少なくともマリウスを筆頭にした精鋭である。最初は優位だった騎馬兵が、思うように戦いを進められず、じきに焦って隊形を崩しだした。

 野次の代わりに負け惜しみを投げつけて、騎馬隊は見苦しい撤退を始める。その頃には残りの兵達も、万全ではないものの、下着の上から直接胸当てを着けるぐらいの武装は終えており、次々と馳せ参じていた。

 いよいよ本格的に敵が敗走を始めると、マリウスがエレシアを振り返った。追撃を迷う顔ではない。むろんエレシアも、止めるつもりは毛頭なかった。侮辱には相応の報復をすべし、である。

「行くぞ! 一人残らず討ち取り、屍を並べて晒してやる!」

 槍を振り上げて叫ぶと、周囲で喚声が上がった。

 逃げる方も潰走なら、追う方もまったく無秩序であった。ほとんど子供の喧嘩である。ノルニコム兵にしてみれば、敵は彼らを早朝に叩き起こして食事もさせなかったのだ。しかも崇拝する女王を雌鶏呼ばわりで侮辱した。せめて一撃くらわせてやらねばおさまらない。見逃してやるなど、論外だ。

 しかし、ようやく東の空に顔を出した太陽が照らし出したのは、既に布陣を終えて待ち構える第二軍団の威容だったのである。木立の点在するほかは開けた平地に陣取り、中央は歩兵、両翼に騎兵を配している。

 先頭を走っていたノルニコムの騎馬隊は、ぎょっとなって急停止した。マリウスは罠にかけられたと悟り、素早く周囲を見回したが、すぐに反転して逃げ帰れる状況ではない。あまりに多くの兵が、アクテを離れてここまで引きずり出されていた。

「迎え撃つぞ! 急げ!!」

 マリウスは歩兵を中央にまとめて、敵に突破されぬよう厚い陣を布いた。いつもなら主戦力になる騎馬は、夜の間にほとんどが鞍を外してあったため、突然の出撃に少数しか対応できなかったのだ。

 歩兵が敵の攻撃を受け止め、騎兵が側面を守って、敵の戦力を少しずつ削ぎながら退却する。それしか方法はない。何しろ彼らはまともに武装していないし、胃の中は空っぽなのだ。長くは戦えない。マリウスは己の不覚を悔い、今、第二軍団を動かしている何者かを呪った。司令官不在であるはずだったのに、昨日の今日でこれほど迅速かつ周到に罠を張るとは。

 第二軍団は、ノルニコム軍の布陣が終わるまで動かなかった。遅れてやってくる兵をも、まとめて片付けるつもりだろう。その間に、ノルニコム兵をおびき出した騎馬隊は、悠々と戦列の後ろへ戻って行った。

 そして――

 高らかな喇叭の合図と共に、歩兵が動いた。両翼の騎馬隊は足並みを揃え、ゆっくり前進する。迫り来る第二軍団を前に、マリウスは知らず息を詰めていた。騎兵が先陣を切らないのは、昨日の教訓だろう。疾走しているところへゲンシャスが現れたら、騎馬隊はまるごと倒れてしまう。こちらとしては守りやすいと言えるが、しかし……。

「怯むな、我らの力は彼奴らに劣りはせぬ! エレシア様も我らの戦いぶりをご覧になっているぞ!」

 マリウスは剣を掲げて味方を激励した。おお、と声が応じる。竜の助けがあると思い出しただけで、兵らの顔に気力が戻った。

 両軍あわせて万を超える人馬の足音が、地鳴りとなる。ぶつかり合う盾と盾、剣と剣が、砕ける波頭となって騒いだ。

 もとより有利不利のはっきりした状況である。じきに、第二軍団両翼の騎馬隊がノルニコム軍の貧弱な騎馬隊を押し戻し、側面を包囲にかかった。昨日のマリウスと同じく、一騎一騎の間はかなり広い。

 小癪な、とマリウスが歯噛みしたその時、既に彼にとっては馴染み深くなった感覚が背筋を走りぬけた。危険を知らせる、一瞬の火花のような警告。

 動物的な本能で、彼は脅威の源を振り仰ぐ。それは、多くの兵が同じであった。

 空の高みから、炎をまとった竜が稲妻のように駆け降りる。昨日よりも一段と眩い輝きを放ち、高らかに吼えながら。

 第二軍団の騎馬隊は瞬く間に隊列を乱し、蜘蛛の子を散らすように潰走した。あれは味方だと分かっているノルニコム軍の兵士でさえ、浮き足立つほどの威圧感である。本国側の馬が、恐慌を起こさぬはずがない。

 左翼を救ったゲンシャスはエレシアと共に、続けて右翼へと飛ぶ。ノルニコム兵が歓声を上げた。

 だが、それもわずかな間のことだった。

 第二軍団中央後方、軍旗の掲げられた場所から、単騎、何者かが飛び出した。下士官の鎧を身につけているが、顔は兜で見えない。だが彼が走ると同時に、合図の喇叭が鳴り響いた。

 何をする気かと、エレシアが右翼への攻撃をためらって地上を見下ろす。それを待っていたように、その男は隊列のぽっかり空いた場所で手綱を引いて止まった。

「エレシア=ロフルス=ティウス!!」

 大音声で叩きつけるように名を呼ばれ、エレシアは目をみはって竦んだ。

「そんな、まさか!」

 喘ぎが漏れる。彼女の視線の先で、男は兜を脱ぎ捨てた。

 亡霊が、勝ち誇った笑みを浮かべてこちらを見上げる。

 愕然としたのも一瞬のこと、エレシアは鋭く叫んだ。

「シャス!」

 言葉にして命ずる必要はなかった。ゲンシャスはグラウスめがけて急降下する。

〈炎の力は使うな、エレシア。どういうわけか、竜の力が奴を守っている〉

〈ならば槍で串刺しにするだけのこと!〉

 死神が襲いかかってくるというのに、グラウスはそれを眩しそうに見上げていた。左手で手綱を握り、右手はまるでエレシアを抱き止めようとするかのように、横に広げて。

 だが――その手が、さっと挙げられた。

 合図の喇叭が再び鳴り響き、直後、第二軍団前方の歩兵達が、最前列を除いて盾を頭上にかざした。

 意図を察したマリウスが絶叫する。

「エレシア様!!」

 その声を聞くまでもなく、エレシアは己が失敗を悟っていた。

 後方にいた部隊は歩兵ではなく、弓兵だったのだ。

 偽装の槍がいっせいに倒れ、兵たちは持ち替えた弓でエレシアを狙った。数百の鏃がきらめき、地上から空へ向かう驟雨となって、竜と竜侯を襲った。

「くッ!!」

 エレシアは炎の壁を築き、ゲンシャスが上昇に転ずる時間を稼ぐ。だが矢のすべてを焼き尽くすことは出来なかった。矢羽を焦がしながらも、半数以上の矢は炎を突き抜けて彼らに達した。

 ゲンシャスは爪と尾でそれを払い落とし、エレシアも槍を振るって矢を弾き飛ばす。それでも尚、数本は身体に刺さった。何より、これ以上は攻撃を続けられなかった。

 容赦なく襲いくる第二波を逃れ、エレシアはゲンシャスと共に空の高みへ飛び去った。

 無敵のはずの竜侯が、落とされこそしなかったものの敗退した。蹴散らされた第二軍団の右翼騎兵は、早くも立ち直って再び側面へ回りこみつつある。

 こうなっては、もはやノルニコム軍を支えるものは何もない。包囲される恐怖から、兵は雪崩を打って逃げ出した。

 追撃する第二軍団は、ここからが本番とばかり存分に力を発揮した。逃げる兵を殺すほどたやすい事はない。アクテどころか、ティオル川を越え、ロフリアの都までも攻め込みそうな勢いで、ノルニコム軍を追い立てて行った。


 ――その日、夕暮れになってアクテに入った第二軍団の損失は、死者わずかに十数名。対してノルニコム軍の死者は三百を超え、捕虜は千人を数えた。

 勝利の喜びに沸き立つ軍団兵は、グラウスを称え、口々に言い合った。

 この分では、皇帝陛下が援軍を連れて到着された時には、捕虜の世話しか仕事がないかも知れないな、と。


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