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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
82/209

1-4. 館に巣食う影


 聞いたフェルネーナは眉をひそめ、タズに話しかけた。

「さぞや心配でしょうね。その友人というのは、どこの町にいたのですか」

「ぅ、っと、コムリスに」

 タズは慌てて蜂蜜ケーキを飲みこみ、言葉遣いに気をつけながら説明を続けた。気後れはしたが、わずかでも消息が知れるなら、という思いが勝ったのだ。

「粉屋をやってました。両親と妹と、あと、何人か……仲間だという人達と一緒に。去年の、夏の終わり頃に一度だけ会えたんです」

「そうですか。コムリスで変事があったという知らせは聞いていませんが……どこかに移ったのかもしれませんね。何という名前なのです?」

 フェルネーナがそう尋ねたのは、儀礼的なことだった。粉屋一家の消息など、領主の耳に入るようなことではない。名が分かったところで、家門名や家族名を持たない庶民の中から、正しい一人を探し出すのはほぼ不可能だ。

 タズも、そのぐらいは想像がつかないではなかった。相手が義理と同情心から尋ねてくれたのだと知りつつ、己もまた、期待せずに答える。

「フィニアス、です」

「――フィニアス?」

 繰り返したフェルネーナの声音の妙な響きに、タズのみならずセナトやネラも、訝しげな顔をする。フェルネーナは、確信なさげにためらいながら言った。

「北の、竜侯と……同じ名前ですのね」

「竜侯?」

 今度はタズが聞き返す番だった。ぽかんとしたタズに代わり、セナトが問いかける。

「母上、北部に竜侯はいなかった筈です。まさか、新しく現れたのですか?」

「ええ。先に言うべきでしたね、あなたのお祖父様は、皇帝と不戦の協定を結ぶためにクォノスへ行きました。その立会人として、北の天竜侯フィニアスという若者が同席する、と知らせにあったのです」

「北の、天竜侯……まさか、そんな。あいつが?」

 タズは呆然とつぶやき、首を捻る。コムリスで見た時は、取り立てて変わった様子はなかった。もちろん竜なんて連れていなかったし、そんな話は誰もしなかった。

 ありえない。そう思う一方で、あいつならおかしくない、とどこか納得もする。

「あの……奥方様は、その天竜侯には会ってないんですよね? どんな感じか、誰かから聞いてませんか。俺の知ってるフィニアスは、黒髪で、今……ええと、十九歳だったかな、そのぐらいで。目は藍色なんスけど」

 うっかりいつもの口調が出てしまい、慌ててタズは「ですけど」と言い直す。だがフェルネーナは気にかけなかった。

「残念ですが、名前のほかには何も。クォノスへ行けば会えるかも知れませんが」

 その言葉に、すぐにも行きたいとばかりの反応を示したのは、タズだけではなかった。セナトが身を乗り出し、「行こう」と強い口調で言ったのだ。

 フェルネーナは目を丸くして息子を見つめた。

「何を言い出すの? たった今、ようやく帰って来たばかりだというのに」

「ああ、母上、もちろんすぐにではありません。でも、出来るだけ急いでクォノスへ行かなければ。皇帝との協定には、帝位継承権のことも問題になるのでしょう?」

「そのことなら、もう協定は結ばれました。一昨日、急使が知らせてくれましたよ。あなたは……改めて、皇帝ヴァリスが養子に迎えるとのことです。これでお祖父様も、あえて皇帝陛下に盾突くことはないでしょう。戦の心配は、せずとも良いのですよ」

「だったら尚更、行って、皇帝陛下とお祖父様に、私の無事な姿を見せなければ。二人とも、空約束のつもりでいるかもしれないでしょう? それに、協定が結ばれたのなら立会人となったその竜侯も、どこかへ去ってしまうかも知れません」

 熱心に説くセナトに、でも、とフェルネーナは複雑な顔をする。何もセナト本人が出向かなくとも、使いをやれば済むことだし、じきにルフスやセナト侯もナクテへ戻ってくるだろうに、と。

 彼女が黙っていると、ネラまでが言い出した。

「奥方様、クォノスへ参りましょう」

「ネラ?」

「いえ、クォノスでも、どこでも良うございます。このお屋敷は空気が濁っております。せめてしばらくでも、外へ出られた方がお体にもお心にも、良いかと」

「それは……」

 フェルネーナは言い淀み、不安げに視線をさまよわせた。給仕していた召使たちが急いで目を伏せ、我関せずを決め込む。フェルネーナはため息をついた。

「確かに、そなたの言う通りです。この館の空気は暗くなる一方でした。気付いたでしょうけれど、厳しい倹約令のために召使も何人か解雇し、門番も……一人しかいないので、たまたま外していたのでしょうね」

 得体の知れない魔術師には住処と食べ物を与えているというのに、とフェルネーナは顔をしかめる。だが、部外者のいる前でそのことは口にしなかった。代わりに彼女は顔をあげ、やや無理をして微笑んだ。

「とは言え、私はこの館を預かる身。冬の館が陰気だからという理由で、ここを離れるわけにはゆきません。それに、そなたがセナトと共に戻ってくれたおかげで、随分と明るくなったわ」

「奥方様……。仰せの通りです、浅慮で失言を致しました。お許しを」

 ネラが詫びると、フェルネーナは鷹揚に首を振った。

「そなたが私を案じてくれたのは嬉しく思いますよ。ともあれ、今は出て行く事など考えず、寛いで、もっとお食べなさい。タズ、あなたも」

 飲み物を勧められ、タズは慌てて、もう結構です、と辞退する。嘘ではなく、既に立ち上がれないほど満腹になっていた。

 それからしばらく、社交辞令と、菓子や果物の鉢が行き来した後で、ようやく食事がお開きとなって、タズは客間へ案内された。

「げふ……。もう駄目だ、動けねえ……」

 ベッドに転がり、独りごちる。部屋は整えられていたが、しかし、館の住人たちが言う通り、陰気であった。部屋の隅に、現実の影以上の暗がりが潜んでいるような気がする。しばらくじっとしていたものの、タズは次第に鬱陶しくなって起き上がり、窓辺に行った。

 真冬なので昼もカーテンがぴったりと下ろされ、出来るだけ光のほかのものは通さぬようにされている。タズは留め金を外してカーテンを開け、冷たい外気が吹き込むに任せた。北部育ちで、荒れる海の上で冬を越した経験もある彼にしてみれば、本国の冬など小春日和のようなものだ――少なくとも、そう言い聞かせて痩せ我慢できる程度ではある。

 と、背後で静かに部屋の扉が開いた。

「何やってるの、この寒いのに」

 呆れた声はセナトだ。タズは振り返り、胡散臭げに目を細めた。

「おまえ、奥方様の前じゃ、随分態度が違うじゃないか」

「当たり前じゃないか。母上は『セスタス』の僕を知らない。僕とネラが酒場の残り物を漁ったこともある、なんて聞いたら卒倒するよ。そんなことよりタズ、クォノスに行くんだろう?」

 セナトは喋りながらとことこと歩み寄ると、間近でタズを見上げた。灰色に黄金の散った瞳が、まともにタズの目をとらえる。タズは思わず怯み、慌てて目をそらした。

「ああ。無理して今日出発しても、いくらも行かずに日が落ちるだろうから、明日の朝一番に発つつもりだ」

 そう答えてから、彼はハッと気付いて振り返り、牽制した。

「連れてけ、ってのはなしだぞ! お袋さん、じゃなかった、奥方様が、ようやっと会えた、って喜んでんだから、おまえはここで親孝行しろよ」

「そうだね」

 セナトは拍子抜けするほどあっさりとうなずいた。タズが勢いを挫かれて目をしばたくと、セナトはにこりともせずに続けた。

「馬には乗れる?」

 質問の意図をはかりかねて、タズは変な顔のまま首を振る。セナトは「そうか」と残念そうにつぶやいた。

「それじゃあ、急使の代わりをする、って案は駄目だね。馬に乗れるのなら、クォノスまでひとっ走りしてすぐに戻って貰おうと思ったんだけど」

「……戻る? なんで」

「戻って来ないつもりだったの?」

 逆に問い返されて、タズは返事に詰まった。薄情者となじられた気がして、目をそらす。

「そりゃ、……俺がここにいる理由はないんだし」

「ふうん。ネラのことも、どうでもいいんだ?」

「おまえな、何かっちゃすぐネラさんを持ち出すの、やめろよ。しょうがないだろ、俺はただの水夫で、ここにいたって役に立たねえんだから。おまえが無事にお家に帰ったとなったら、くっついてる理由はない。ここは海の上でも、大森林でもないし、おまえはネラさんと二人きりでもない。ここには、おまえを助けてくれる人は大勢いる。だろ?」

「でも、信じられる人は少ない」

 セナトが暗い声でささやいた。タズは驚いてまじまじと眼前の少年を見つめる。単に服を着替えたからというだけでなく、表情も雰囲気も、すっかり貴族らしくなっている。改めて、そこにいるのがもはや『セスタス』ではないのだと思い知らされた気分だった。

 そんなタズの視線に気付き、セナトはわざとらしく苦笑した。

「ちょっとは喜んでよ、今、僕は遠回しにタズを信じてるって言ったんだから」

「おまえがそんなことを言うのは、何か企んでる証拠だ。喜べるかよ」

 タズも調子を合わせてしかめっ面を作り、やれやれとため息をついた。

「――で、何をさせようってんだ、お坊ちゃん」

「クォノスに行くのは待って欲しいんだ」セナトは短く答え、急いで続けた。「もちろん、竜侯のことは急使に頼んでおく。皇帝陛下とお祖父様に、僕が戻ったことを知らせるついでに、竜侯がまだクォノスにいたらタズの友達かどうか確かめて貰うよ。そりゃ、直接会いたいだろうけど、タズが歩いて行く間に竜侯はクォノスを離れるかもしれないし、そもそも別人かもしれないわけだろ? だから、タズにはここに残って僕らを助けて欲しいんだ」

 助けて、と正直に言われたのが意外で、タズは面映くなって曖昧な顔をした。ついて来るなと言われた時は、強引について行くのも平気だったのに、おかしなものだ。

「……俺に出来ることなら、そりゃ、手伝ってやるけど……」

 ぽりぽりと頭を掻きながらむにゃむにゃ言う。と、窓からひときわ冷たい風が吹き込み、二人は揃って大きなくしゃみをした。顔を見合わせてちょっと笑い、二人がかりでカーテンを閉める。桟の下にある留め金にカーテンの下端をひっかけると、気分だけでも少し暖かくなった。

 セナトは鼻をこすってから、室内を見回して椅子に座った。

「さっき、急いでネラと相談したんだ。僕らが留守にしている間に、この館はどこかおかしくなった。母上をここに一人で残しておくのは良くないから、僕もクォノスに行くのは諦めたんだ。どっちにしろ、いずれ皇都に行くことになるわけだし……だからそれまでに、この暗い影の原因を突き止めてなんとかしたいんだ。今ならお祖父様もいないしね」

「暗い影、ねぇ。確かに陰気だけど、春が来なきゃどうにもならないんじゃないか?」

「それもあるけど」セナトは苦笑して肩を竦めた。「でも、ネラの直感だと、冬だからとか、人が減ったからとか、それだけじゃない。何かあるんだ」

 言いながら、無意識に視線を部屋の隅にやる。タズもつられて同じところを見やり、淀んだ暗がりに一瞬だけ身震いした。

「だとしても、どうすりゃいいんだか、俺にはさっぱり分かんねえぞ」

「そうだね。まずそこからだよね」

 セナトは足をぶらぶらさせ、勢いをつけてぴょんと立ち上がった。

「明日から僕が、恩人のタズお兄さんに屋敷をあちこち見せてあげるよ。ついでに、普段行かない隅々まで探検して遊ぼう。その間にネラが、母上から留守中のことを聞き出してくれるから」

 悪戯っぽく目をくりくりさせて、セナトがタズを見上げる。タズが顔をひきつらせて絶句していると、セナトはにっこり満面の笑みを見せた。

「仲良くしようね、タズ」

「……おまえ……」

 しばし愕然とし、それからタズは大きなため息をついた。何て奴だ、と呆れて頭を振る。

「分かった、降参だ。付き合うよ」

「ありがとう、親切なお兄さん」

 セナトは白々しく澄まして答える。タズは堪えきれず苦笑をこぼし、久々にセナトの頭をくしゃくしゃにしてやった。


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